第5話 硝子の誓約
朝の光は柔らかく、城の尖塔を金色に染めていた。
だが、少女の胸には、金色よりも冷たい緊張が広がっていた。
シエル=フレイアは、手に小さな硝子の箱を握る。
昨日、廊下の影で目撃した使用人の動き――何者かが情報を集めている気配――が、頭を離れない。
箱の中には、リィドが儀式で見せた花の名前リストと、王家に関する密書のコピーが入っていた。
触れるだけで、少女の心は揺れる。触れてはいけないものを、知らず知らず手にしてしまったような感覚。
「……これは、私に託されたもの」
胸の奥で、覚悟が芽生える。
涙を流すことは許されない。だが、使命は果たさなければならない。
リィドの幸せを守るため、そして王家を護るために。
廊下を歩くと、リィドがこちらを見つめていた。
「おはよう、シエル」
少女は無言で頷く。
言葉にすれば、心の揺れが漏れる。
――まだ、揺れは収まらない。
「昨日、君が硝子の箱を握っていたね」
リィドの声は低く、静かに響く。
「……見てはいけないものを、見たような顔だった」
少女は一瞬、胸の奥が痛む。
見せるわけにはいかない。
「……私は、何も見ていません」
リィドは微かに笑う。
「そうか……信じている」
その言葉に、少女は心の奥で小さく震える。
――信じられるのは、彼だけ。
――でも、私の心は、揺れを止められない。
午後、城庭での訓練場。
シエルは剣を握り、形を整える。
眼前には、リィドが立つ。
その目には、いつもの優しさと、ほんの少しの不安が混ざっている。
「シエル、今日も一緒に訓練しよう」
少女は無言で剣を構える。
一振りごとに心の揺れを抑え、感情を押し込める。
汗が頬を伝うが、涙ではない。
――これは、私の誓約。
――硝子のように透明で、壊れやすい誓約。
訓練の後、少女は小さく息をつき、遠くの空を見上げる。
光は変わらず、空は青く澄んでいる。
雨は降らない。
しかし、少女の胸の奥には、小さな涙の影が静かに降り積もっていた。
そして、硝子の箱を握り締める手に、もうひとつの覚悟が宿る。
――この城に潜む影が、私たちの幸せを奪おうとも、
――私は、あなたのために、涙を流さない。
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