第2話 静寂の誓い
翌朝、城は静かだった。
日の光は柔らかく差し込み、廊下の石畳を金色に染める。
だが、空気は重く、息をするたびに胸の奥に微かな痛みが響く。
シエルは鏡の前に立ち、髪を整えた。
その指先は震えている。誰にも見せられないほどの、小さな震え。
「……今日も、泣かない」
自分にそう言い聞かせる。
昨日の儀式で感じた、胸の奥の乱れを、決して表に出さないために。
涙は禁忌。だから、抑えるしかない。
扉が静かに開いた。
リィドだった。王子らしい微笑みを浮かべ、彼は静かに立つ。
「おはよう、シエル」
その声に、少女はまた心を揺らされる。
朝日よりも優しい声。だが、それは彼の無垢な微笑みと同じくらい危うい。
「おはようございます」
声は冷たく、整えられていた。
しかし胸の中で、小さな波が立つ。
「昨日の儀式……」
リィドは言葉を止め、少女の目を見つめた。
「……君は、よく耐えたね」
その言葉は優しさで満ちている。
しかし、少女には痛みとして届く。
なぜなら、その「耐える」という表現には、私の感情を封じなければならなかった事実が隠されているからだ。
「……私は、あなたの盾ですから」
少女は淡々と答える。声の震えは、鏡の中の自分にしか聞こえない。
リィドは微かに眉を寄せ、そして静かに頷いた。
「……ありがとう」
その短い言葉に、少女の胸は熱くなる。
触れてはいけない、触れられない熱。
それでも、心はほんの少しだけ、温かさを覚えた。
昼下がり、城庭にて。
花々が揺れ、風が石畳を撫でる。
少女は庭園のベンチに座り、手元の布をぎゅっと握った。
「……私は、何もできないのに」
独り言が、風に消える。
でも、誰も聞かなくてもいい。聞かれたら、涙は確実に零れる。
遠くから、リィドの声。
「シエル、少し歩かないか?」
少女は首を横に振った。
「……結構です」
しかし心の奥底で、ほんの少しだけ、触れてほしい、話してほしいと思った自分に気づく。
触れることは許されず、話すことも危うい。
だから、静寂の中で誓う。
――どんなに心が揺れても、
――私はあなたのために涙を流さない。
――これが、私の使命。
夕刻、城の尖塔に太陽が傾くころ。
シエルは窓から遠くを見つめる。
雨のない空に、今日も光は満ちる。
そして、胸の奥に、小さな涙の影が降り積もった。