<プロローグ>
For you
『騎士とは、守る者である。
生前に行動し、死後に証明されるものだ。』
――霧の島 騎士団訓練教本 第一章より
窓を叩く風の音に、彼はふと目を覚ました。
眠っていた間に溜まっていた息を大きく吐き出し、静かに身体を起こす。そして床に散らばった装備を一つずつ手に取り、手慣れた動きで身に着けていった。
装備をほとんど身に着け終えた頃、彼は窓の外に視線を向ける。時折、暖かな陽の光が恋しくなって外を眺めるが、そこに広がっているのはただ、暗く神秘的な紫の霧だけだった。
ひび割れ、曇った鏡に映る自分の姿を確認する。服装に問題がないかを確かめながら、しばし右目を見つめた。
この島で目を覚ました時、彼の瞳は本来の灰色ではなく、この霧に似た色を帯びていた。その目元に触れた後、彼は決意を胸に、部屋の扉を開けた。
* * *
螺旋階段を上がり、島で最も高い場所へと向かう。
霧の島の中心に建つ廃れた古城。その頂にある長い廊下の先、巨大な扉の前には、全身を鎧で覆った骸骨の兵士が二人、微動だにせず守りを固めていた。
彼が歩み寄ると、二人の兵士は手にした長槍を交差させ、進路を塞ぐ。
「ご主人にお目通りを願いたい」
その一言に、骸骨の兵士たちは槍を下げ、静かに道を開けた。
彼が扉を押すと、思いのほか滑らかに開いていく。
そしてその先には、まるで彼の到着を待っていたかのように、小さなティーパーティーを用意した、この亡霊の島の主がいた。
「ここに座って、ハデス」
主の言葉に従い、ハデスと呼ばれた男は静かに椅子に腰掛ける。
彼女は何も言わず紅茶を注ぎ、ハデスの前に差し出した。
「今日は、初出陣だったわね?」
「はい、その通りです」
「緊張をほぐすために、久しぶりにこの島で採れた葉でお茶を淹れてみたの。温かいうちに飲んで」
湯気が立ち昇る。
ハデスはカップを手に取り、そっと口に含む。
味を感じ取ろうとしたが、すぐに諦めたように喉を通した。
「美味しかったです。おかげで緊張が和らぎました」
「……正直に言っていいのよ」
「この身体になってから、感覚が鈍くなりました。温かさは感じても、味は分かりません。ご存じでしょう?」
「ハデス。あなたは私を“ご主人”と呼ぶけど、もっと気楽に『セフィナ』って呼んでくれていいのよ?」
微笑みながら語りかけるセフィナに、ハデスは丁寧な表情で答えを返した。
「ご遠慮いたします。それより、任務の説明をお願いできますか?」
そう言った瞬間、セフィナは興味を失ったように残りの紅茶を飲み干し、手元の魔石を握る。
すると、光と共に一つの村とその周辺の地形が映し出された。
「帝国の西端にある、人口三十人にも満たない平凡な村よ」
彼女は一度言葉を止め、魔石に映る景色を見つめた。
「帝国がエルフとの戦争で無茶な要求を突きつけ続けた結果、村長が『これ以上従えない』と拒否したの。すると徴兵官は見せしめにすると言って、騎士団を連れて村人たちを虐殺したわ」
任務の内容を聞き、ハデスの顔が曇る。彼は強く拳を握りしめた。
「……帝国は、本当に変わりませんね」
怒りを含んだ声だったが、セフィナは気にも留めず、淡々と話を続ける。
「今、騎士団は村で残された物資を集めながら、野営の準備をしている。
騎士団とは言っても、駐屯兵からかき集めた急造部隊。初任務にはぴったりよ」
そう言って、彼女はハデスを指差した。
「これはあくまで“あなたの試験”だから、基本戦力以外の支援はないと思って」
セフィナは軽く手を打ち、彼をじっと見つめる。
「目標は単純。村人を虐殺した騎士団と徴兵官を……」
彼女の瞳から、色が消える。
「一人残らず、全滅させるの」
その言葉は、これまでになく重かった。
「……承知しました。準備いたします」
「……ええ、頑張って」
ラピスの期待を裏切るわけにはいかない。
この任務に失敗すれば、彼女との約束も、自分がここに存在する意味も全て消えてしまう。
自分に価値があることを証明するためにも――ハデスは、この任務を必ず成功させなければならなかった。
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