第52話 ヒーロー
「君は危ない。すぐに立ち去ってくれ」
風子の視界に映ったのは、背の高い美青年だった。
やや白い髪と、長身に見合った低くよく響く声。危うく死にそうになった自分のもとに現れた救世主のように、彼女の目には映った。
「邪魔を…するなアアアアアアアア!!!!!」
けたたましい叫び声を上げながら、女は青年の方へと近づいてくる。だが、青年はそれを意にも介していない様子で、女に立ちはだかる。
「ハァッ!!!」
「んぐぅッ!!!!」
あまりの速さで、最初は何が起きているのか風子には見えなかった。
だが、青年の掛け声と、その後に響いた鈍い音を認識した時、風子はその正体を理解した。
青年が素早い動きで、女に向けて『拳で素早い突きを繰り出した』と……
「何をしているんだ。危ないから立ち去ってくれ」
「あ…でも……ごめん、腰が、抜けちゃって……」
嘘だ。
風子はもう、腰が抜けてなどいない。立ち上がって逃げようと思えば、すぐにでも逃げられるだろう。
だがそれでもそんな振りをしてまで、その青年が戦っているさまを、見届けたかったのだ。
青年の動きはまさに華麗というべき美しさだった。まるで獲物を効率よく仕留める猛獣か、いや違う。
今の風子にとって、彼はまさにヒーローだったのだ。
戦闘の音が止む。
きっと、あの正体不明の女は、あの青年が倒してくれたのだろうと、そっと胸を撫でおろす。
「なんかよくわかんないけど、なんとかなった、よかった……」
そんな独り言をつぶやいて、制服についた埃を払いながら、風子は立ち上がる。
そして、何となく、何となくだが。青年がどうしているのか、覗きに行った。
「立ち去ってくれと言ったはずなんだが」
青年はすぐに気づいたのか、こちらに振り返ってきた。
「え!?いやでも…なんか…ちょっと気になっちゃって…ダメでした……かね……?」
思わず慌てた風子は言い訳を考えようとするが、上手く言葉が出てこない。
それ以上に、見下ろしてくる青年の整った顔が、風子の目を離さず惹きつけてきて、その先は言葉が出てこなくなっていた。
「ダメというわけではないが、言うことは聞いてほしい」
「はい!はいそうですよねぇ!!??」
「……どうした?」
自分に目線を合わせるためだろうか、青年の顔が目の前に近づいてくる。風子は頬が紅潮し、全身から火が出たかのような猛烈な恥ずかしさに襲われた。
あまりにも、距離が近すぎる。
この場からむしろ逃げ出したくなるほどの恥ずかしさだったが、風子はなぜか離れることが出来なかった。
「え、えと、あのー……」
「早く帰るといい。僕からは報告しておく」
報告?何を?と疑問を浮かべる風子だったが、それ以上にこの青年のことが気になって仕方ない。
「あのー…そういや、お兄さんっていったい何のお仕事をしているんですか……?」
「……………」
青年はそのまま固まって、何も言わなくなった。
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「…痛、ぁ~~~~~~~!!!」
ドンと何かにぶつかるような音と共に、八坂雪穂は目を覚ました。
コンクリートに倒れ伏していた彼女は、全身に走る痛みに苦しみながらゆっくりと立ち上がる。
目を上げてみれば、そこには街路樹が見えた。そして苛立ちながら髪をかきあげ、そこから何枚か葉が落ちてくる。
そして、雪穂は自分が、吹き飛ばされて街路樹にぶつかり、そこから落ちたということを理解する。
周りの景色を見てみれば、そこまで遠くまで吹き飛ばされてはいないようだ。
全身は痛むが、それでも動けないわけではない彼女は、そのまま歩き出す。
しばらく歩いてみれば、先ほど見た景色が見える。
もう何も騒がしい音はしておらず、静かに風が吹くばかりだった。
これはきっと誰か助けてきてくれたのだろうと、雪穂はそこへと近づいていく。
「……何してんのあの人?」
そこにあったのは目を疑うような光景だった。
見覚えのある銀髪の青年が、自らの親友である風子の前で、どういうわけなのか立ち尽くしているのだ。
いくらコミュニケーション能力に問題があるとはいえ、目の前でこんな背の高い青年が立ち尽くしていたら、風子だって困ってしまうのではないだろうか。
「ちょい、尊さん。風子困ってる、困ってるって」
「…なんだ、君の知り合いか」
「え、雪穂この人と知り合いだったの!?」
助け舟を出そうと声をかけたら、二人同時に驚かれてしまった。
「……あっ」
しかし、冷静に考えたらこれはだいぶマズい状況ではないだろうか。
今まで、風子には自分が悪魔祓いということは隠してきた。
きっと、それを知ったら風子も気が気でないだろうから。それに親友同士だからって、アルバイト先まで知っている必要はないんじゃなかろうか。
何せ、自分も風子がどこで働いているかなんて、知らないのだから。
「…尊さん、上手いことごまかし…は無理か……」
「…そうだな」
尊にこういったコミュニケーションを期待するのは無理だ。それに、この様子だとおそらく尊と悪魔憑きが戦う場面は、見られていないというのは期待できないだろう。
「あの、色々と話見えないんだけど…っていうかさっきこの人、戦ってた…よね……?」
「ねえ雪穂、なんか知ってる、でしょ?」
こういう時の風子が一歩も引かないのは、雪穂自身がよく知っている。
こうなるなら、もう伝えるしかない。
「はー、もう誤魔化すのも無理でしょ。あたし、戦ってるんだよ。さっきみたいなやつと、ずっと」
「え?そうだったの!?ってか、もし…かして……」
風子が何かを思い出したかのように、急に目を見開く。
「もしかして、澤田が暴走したときのやつも、もしかして雪穂が……?」
「あれは別の人にも手伝ってもらってたけどね、でも。あたしが相手したのはそう。…というか、風子、覚えてたんだ」
「…うん、だいぶ意識やられちゃってたから、ほとんど覚えてないけど。でも、微かになんか聞こえてたのは覚えてる」
悪魔祓いとは裏の仕事だ。
だが、雪穂自身に「表」の生活があって、それが完全に切り離せるものじゃない以上、いつかはその日が来るはずだった。
しかし、いざ言ってしまうと、どうにも雪穂自身、落ち着かない感情が増していくような気がしてしまう。
それは、風子の身が更に、これ以上危険に晒されるのではないかという、不安だ。
「ねえ雪穂。もうちょっとその…戦ってる仕事についてさ、教えてくれない?それに、そっちのお兄さんも。ぶっちゃけ雪穂とどういう関係なのか、とか……」
「ここでは少し落ち着かないだろう。僕が案内してやる」
尊はあくまで、冷静な態度を崩さないようだ。
ただただ、嫌な胸騒ぎが、雪穂の中で増していった。




