第51話 遭遇
「………っ、結局…こうなんの……っ!!!」
平穏だったはずの友人との日々は、結局いつもの『非日常』へと引き戻される。
血を流し倒れる風子を背にしながら、雪穂はあたりを伺う。
もう既に『戦う』姿勢になってしまっている自分に、少し嫌気が差す。
「ひひっ……うひひひひひひひひひ……!!」
既に儀式具を構えた雪穂の前に現れたのは、黒く長い髪を振り乱しながら、裂けた口から涎を流す女だ。
雪穂は以前、この『悪魔憑き』と遭遇したことがある。
「あんた、あの時の……!!」
「アナタ……?アナタ、知らナイ。私、私、会いたいのはあのかわいい子。あの子、あの子のこと、食い殺したいのよォォォォォォ!!!!」
ひどい形相のまま、悪魔の女は雪穂に向かって飛び掛かってくる。
反応が遅れた。
そのまま、雪穂は10メートルほど吹っ飛ばされ、電柱に身体がぶつかる。
「痛、った……!!!」
痛みに苦しむ身体を庇いながら、雪穂は再び黒髪の女と対峙する。
「アナタ、アナタはどうでもいいの。さっきの子だって、別に殺してしまったって構わない。邪魔、邪魔しないでェェェ!!!!!」
聞いているだけで頭が痛くなる金切り声に、雪穂は頭を押さえる。
何よりも悪魔憑きとの戦いは、異常をきたした人間のこういった行動が、本当に精神を削られることを、雪穂は嫌というほどこれまで実感していた。
だが、この女の異常さは他とはまた種類が違う。
まるで狂気と正気を短く行き来しているような、狂気なのか正気なのかわからない言動に、ひたすら惑わされそうになる。
そして、何よりもあの金切り声。あのショッピングモールで遭遇した時にも聞かされた、窓ガラスをそのまま爪で引っ搔いたような不愉快な音声が、雪穂の精神を大きく乱していた。
「アナタ、要らない。アナタ、死ねェッ!!!!」
女が再び雪穂の方へと近づく。今度は何とか反応して、対応する。
だが、女の動きは予想外に早く、対応するだけで精一杯で、攻め手が全くない。
完全に押されている。
「こいつ、マジでッ……!!!」
儀式具を一度でも振りかざせば、こちらのペースに持っていけるはずなのに、動きが速すぎて全くその隙を見せそうにない。
不規則に動いているようで、どうにも戦闘に慣れているようにも見えて、雪穂はその差が、また不気味でならなかった。
そして、疲労のためなのか雪穂はついに一瞬、動きを止めてしまった。
女はその隙を、見逃さなかった。
儀式具を振りぬこうとした雪穂の右腕に、噛み付いたのだ。
「んぐ……ぅっ!!!???」
予想外すぎる動きに、つい動きが止まる。だが、次に腕全体に走る痛みで、最早それどころでもなくなってしまった。
「こいつ、万力かなんかか……っ!!!」
一体どんな筋力が籠っているのか、がっちりと腕が固定され、雪穂は完全に動けなくなってしまう。
ギチギチ、ギチギチと腕を圧迫する音とともに、激しい痛みに襲われる。
しかもどういうわけなのか、その痛みは腕だけではなく全体に広がって、まるで立っていられないかのように、頭がフラフラとするのだ。
「くっ、そぉ……っ……!!」
遠くで横たわっている風子が、心配でならない。だが、そんな風子の身を案じる以前に、もう自分の命が危ない。
だがこのまま抵抗も出来ずにいたら、自分も風子も殺されてしまうだろう。
「ぁぁぁぁっ!!!!」
「な、ナニをするノッ!!!!」
雪穂は力いっぱい、掴まれている腕を振りぬいた。
そしてそのまま、振りぬいた腕を振り回し、万力のように引っ付いていた女を、
「潰……れろっ!!!!!!!」
背中から地面に、叩きつけた。
最早そんなことをしてしまえば、悪魔の憑いている女の方も決して無事ではないだろう。
だが、それを案じるほどの余裕は、今の雪穂にはなかった。
「はぁっ……ほんっと…死ぬかと…思った……!」
骨は折れているだろうか。自分は今どんな状態だろう。あまり考えたくはなかったが、ひとまず雪穂は自分の勝利を喜んだ。
だが風子の方へと歩き出そうとした途端、足が凄まじい力で掴まれる。
「ヒヒヒヒッ……痛い…痛い…痛い痛い痛い痛い痛い痛ぁぁぁぁぁぁい!!!!!!!!」
あれほどの力で地面に叩きつけられ伏せたはずの女が、地面を這いずりながら雪穂の足を掴んできたのだ。
「キモいキモいキモいキモいなんで動けんのよ!!!???」
さながらその様は、ホラー映画の怪異の様。その異様な風体に、雪穂はひたすらに戦慄していた。
「ヒヒヒッ……ヒヒヒヒッ………!!!」
涎を流しながら、女は雪穂の脚を掴み、そして。
投げ飛ばした。
自分の身体が宙を舞っていることに気づいた時には、もう既に視界はだいぶ遠くまで飛んでしまっていた。
「(やばいやばいやばいやばいやばいっ……!!!)」
あたりは商店街近くの住宅街。人にぶつかるかもしれないし、何より地面にまで叩きつけられてしまったら、いくら悪魔の力の影響の再生能力があるとはいえ、どうなるかわからない。
やがてどこにぶつかるかもわからないうちに、雪穂の視界は一度、暗転した。
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綾崎風子は目を覚ました。
痛む頭を掻きあげてみれば、手にドロリとした液体がつく。
それが自分の頭から出ていた血液だと気づくまでに、そう時間はかからなかった。
「何、何があったの……」
意識が朦朧としていた間も、何か物音がしていたことだけはわかる。だが、周りすら見られない状態であった風子に、何があったか把握することは出来ない。
「と、とりあえず病院…?警察…?こういう時マジでどうすりゃいいんだっけ?つーか携帯…無事……?」
制服のポケットに手を入れる。少しヒビこそ入ってしまっているが、それ自体が壊れたという様子はなく、電源がついて点灯した液晶画面に、風子はひとまず安堵する。
そして数瞬した後に、風子はあることに気づく。
雪穂の姿がない。
「えっちょっ、マジ…!?ってか、雪穂どこいったん!?」
困惑しながら、風子は雪穂の番号へと電話をかける。
「…………!」
返事がない。
自分の身に起きた状況も把握できていないのに、親友がどこにいるかもわからない。風子の心は依然として、不安に包まれていた。
「無事だといいんだけど……!」
だが、そうもいっていられない状況に、風子はついに遭遇する。
「ヒヒヒッ、ヒヒヒヒヒッ……!!!!」
「な、何これ……!?」
風子の目の前に現れたのは、異様な姿をした女性だった。
乱れた長い前髪から覗く、焦点の合わない目。裂けたように広がった口からは涎が垂れ、その姿はまるでホラー映画の怪異か何かのようだった。
風子の生存本能は、その場から立ち去ることを選択しようとした。
だが、あまりの恐怖に足がすくんで動けない。
しかも、女はこちらに向けて、ゆっくりと近づいてくるではないか。
「……いやあああああああああああ!!!!!」
明確な危機に、風子は絶叫し、すくむ足を何とか動かそうともがく。
だが、抵抗も空しく、女は風子の方へと飛び掛かり、そして……
それが風子の方へと到達することはなかった。
「……あれ、私…助かった……?」
「君は危ない。すぐに立ち去ってくれ」
風子の視界には、背の高い美青年が映っていた。




