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第50話 穏やかな空気

結局、授業にも風子との会話にも、全く集中できなかった。

それに、ルクシアが話していたことも、まだ気にかかっている。

まるで歯の奥に詰まったものがとり出せないような不快感に、雪穂の心は揺さぶられてしまっていた。

そのまま、授業が終わって、放課後になる。


「雪穂ー、なんか今日元気なかったけどどうしたん?」

「あー…またそれ?えーっと…なんか変な夢見ちゃってさ」

「あー、そりゃ辛いわ。というかさ、最近ずっと顔色悪いじゃん。気づいてる?」

不意に思い立ち、雪穂は手鏡を取り出して、自分の顔を見てみる。

なるほど言われるまで気づかなかったが、その顔には確かに濃い隈が出来ていた。なぜこれまで気づかなかったのだろうか。

だが、それよりも彼女は、これまで悪魔の力が出た時に出ていた不気味な紋様や目の斑点がなかったことに、安心してしまっていた。


あれを風子に見られたら、間違いなく納得するまで追及してくるだろう。

それ以上に気にかかるのは、今朝の悪夢だ。

例のペンダントの効果が、弱まっている。

もし、自我を失って尊や伊織だけではない…風子を傷つけるようなことがあれば、自分は。

「……どしたん?」

「ううん、なんでもない。こっちの話」

柄にもなく作り笑いを浮かべた雪穂だったが、もうこれは急繕いでしかない。


日常に変化が起きたことに、風子が気づいていないはずがない。

いずれ、何かを明かす日が来るだろう。

ただ、雪穂自身にその覚悟が、まだ出来ていない、それだけだった。


「そーだ、今日は一緒に帰んない?」

「またなんで急に?」

「実はいい感じの食べ歩きが出来る場所を見つけましてね~~~」

「何。というかなんでそれ教えてくんなかったの」

「教えたし!メッセージ送っても最近反応ないんだもん!家帰っても寝てばっかか?」

スマホを取り出して見てみれば、風子からの未読のメッセージがいくつか。

自分はこのくらいのことにも気づけなくなっているのかと、雪穂は己の余裕のなさを実感させられてしまった。


少し日が落ちかけている道を、2人は噛み合わない会話をしながら歩く。

「ま、なんかお疲れがちっぽいのは察してっからさ、ここは気分転換にいこーぜっ。たぶんあれでしょ?新しいバイトで疲れてるとかでしょ?」

「あー…うん」

合っていないわけではないのだが、正直それだけで済ませられるような事態でもないと思った雪穂は、曖昧な返事を返すしかなかった。

「つーかあんなイケメンの先輩いるんだし、結構充実してんのかなって思ってたから意外だったよ」

「雄介さんのこと?言っとくけどあの人とはほとんど関わりないからね」

「その割には名前で呼ぶくらいには親密なくせしてさ」

言われてみれば、自然とそういう関係性が、悪魔祓いたちとは構築できている気がする。


「うち、色々と特殊な職場でさ。あんまり距離置いても良くないっていうか?そういう感じ」

「ふーん。特殊ねぇ……。闇バイトとかじゃないならいいけど。ほら、ちょっと前に話題になったやつ」

「闇バイトとかじゃないよ。流石にそこまでブラックじゃない。学生への仕事にしちゃずいぶんブラックだけど」

そう言いながら、雪穂は自分の掌を見た。

自分の手は特別、指が長いとか細いとか、そういった特徴があるわけじゃない。ただ、心なしか、儀式具を振るい続けているからなのか、どうにも太く力強くなっている気がしてしまう。

年頃の乙女としては、もしそうなってしまったら流石に居たたまれないものがあった。


しばらく歩いて商店街の近くまで来ると、風子が不意に足を止めた。

「あ、ここだよここ。ここでコロッケ売ってんの。1枚100円だよ、でも私のオススメはこっちのメンチカツで……あ、でもこっちはお高めだけど」

風子が指をさす方向に、雪穂も目を向ける。

店の方からは、美味しそうなコロッケのにおいが漂っていた。

「あー…こりゃおなか減るなぁ」

「そーっしょ?ついに誘惑に負けて買い食いしちゃったらこれがめちゃくちゃ美味しくてさあ、あ、おばちゃん!コロッケ2つ!」

気づけばもう風子は注文を始めていた。しかも、雪穂の分までだ。相変わらず、行動が早い友達だなと、雪穂は少しだけ笑っていた。


「はいよ、そっちの子はお友達?」

「うん!学校の友達、ちょっと無愛想なところあるけどまあいい子だから!」

「余計なこと言うなって」

事実とはいえ、雪穂としてはやはりあまり釈然とはしなかった。

「そうだ、1個おまけしといてあげるよ」

店主の女性は笑顔を作りながら、風子に向かってもう1個コロッケを差し出した。

「え、いいの!?」

「常連さんだからねぇ。それに、こんな所でコロッケなんて売ってても、近頃の子はあんまり買いに来ないから。いいのいいの、日ごろの感謝と、もう1人お客さんを連れてきてくれたお礼、だね」

「わーい!!」

「わーいって……」

まるで幼い子供のように喜ぶ風子を、親戚の娘でも見るかのような微笑みで見守る店主。穏やかな時間が、そこには流れていた。


「ほら、早く食べなよ、冷めるぞ~~」

「そんな急がなくてもなくなんないでしょ、全く風子ってばせっかちなんだから」

「えへ、よく言われる」

お気に入りのコロッケを前にしているからなのだろうか、風子はいつも以上に上機嫌だった。

そしてその様子を見て雪穂は、ひとつ気づくことがあった。

「なんか、そんな元気な風子見るの、久々」

「あー、そう?そういや最近ちょっと色々考え事してたからなー。ってか、それは雪穂も人のこと言えないでしょ!」

「はは、そりゃそうだわ」


風子の話を聞き流しながら、雪穂は手に持っていたコロッケを頬張る。

「ほんとだ…美味しい」

「っしょ?」

確かに物としては、ほとんどどこにでも売っているようなコロッケだった。

だが、その温かさとどこか懐かしさを感じるような味が、なんとも魅力的に感じた。

「また来ようかな、ここ」

「ふふっ、なんか嬉しい。こりゃおばちゃん喜ぶぞ~!」

「だろうね。あのくらいの歳の人って、なんか妙にあたしらみたいな若い子見ると、喜んじゃうよね」

「かわいくて仕方ないんじゃなーい?」

「そう言われるとなんか恥ずかしいんですけど」

「何それーー?」

久々に、心から笑えたような気がする。

風子と2人の放課後を過ごしたのも、雪穂にとっては思えば久々のことのように感じた。


「…さ、帰るぞー」

「あたしも早いとこ帰んないと。今日はオフだしゆっくりするよ」

「だねー、寒いし早いとこ帰りなー」

久々に味わった、穏やかな日常の空気。

しかし、そういったものはすぐにある一陣の風によって、かき消されることになる。


「…風子、危ない!!!」

「え?」


次の瞬間、雪穂の目の前に見たのは、血を流して倒れた風子の姿だった。

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