第42話 悪魔の力
突如、腹部が急激に熱くなる。その次に襲い来るのは、激しい痛み、そして。冷たい何かが自分の何かに入ってくる。
「ああああああああ……!!」
最初は何が起きたか、全く理解できなかった。
未知の感覚に対し、思考がストップしてしまう。だがその瞬間、雪穂は己の身に何か起きたのか、理解する。いや、させられてしまう。
「……何、やってんの双葉ちゃん……!!」
双葉が自分に馬乗りになり、ナイフを腹に刺しているということを。
「え、えへへ…これでお姉ちゃんも、私のこと、わかってくれるよね……?」
そう言いながら雪穂を見下ろす双葉の目は、既に焦点が合っておらず、どこを見ているのか、誰に向かって話しているのかすら、何もわからない状態だ。
自分の方を見ているはずなのに、まるで虚空に向けて話しかけているような気味の悪さだった。
それにしても、一体そんなものをどこで手に入れたのだろうか。
命の危機が迫った状況なのに、雪穂の思考は自分で嫌というほど余計な方向に向かっていた。
流れ出る血液が、床を赤黒く染めていく。
その小さな身体のどこから出ているのかという程の力で、フローリングに縫い留められた身体は、手足が全く動かずにされるがままにされている。
「……かはっ」
赤黒い血が口からも出てくる。
景色が霞む。このままいけば自分は…自分は死んでしまうだろうと、雪穂は確信する。
もうすぐ死が迫っているというのに、自分の心はひどく冷静で、まるでこうなってしまうのを受け入れて、諦めてしまうかのように凪いでいた。
「……双葉ちゃん……!何、何してるのっ!!!!!」
意識が遂に落ちかけたところで、誰かの声がして、不意に引き戻される。
一華がその場に飛び込んできたのだ。
その瞬間、バチン、と何かが弾けるような感覚が、頭の中に流れ込む。
自分が死ぬということは、それ以上に。
『双葉を殺人犯にしてしまうということじゃないか』。
別に自分がどうなろうといいわけじゃない。
自分だって死にたくはない。
だが、それ以上に雪穂の頭の中で、それがとても許せなかった。
それがもし自分の力不足であるのならば。
それが自分のせいだというのであれば。
「雪穂ちゃん、大丈夫……?」
雪穂と双葉の戦闘の場に合流した一華は、そこで突如雪穂が立ち上がったのを目にする。
「…はぁ。これはあたしと双葉ちゃんの問題だから、あんま介入しないでほしかったんだけどな」
やれやれといった様子でこちらを見る雪穂の目は。
真っ黒に、染まっていた。
本来、白目があるべき場所が、まるで反転したかのように、黒く染まっていたのだ。
それに呼応するかのように、その下には蜘蛛の巣を思わせる紋様が浮かんでいた。
「雪穂ちゃん、それ何!?」
「あー。今あたしどうなってんの?」
「えっと…なんか、目が黒くなってて……」
「それなら説明は後。とりあえず、状況だけ説明すると。双葉ちゃんが悪魔に憑かれた。戦おうと思ってたんだけどダメだわ。正直、想定よりずっと強くて」
困惑する一華を前に、それでも雪穂はひどく冷静だった。
「そんなことよりまずその顔!どうしたわけ!?」
「それについても説明は後にさせて。とりあえず……双葉ちゃんを……」
雪穂が一瞬近くに目をやると、あることに気が付く。
双葉の姿がないのだ。
「み、見失った……!追いかけなきゃ!!」
「待って」
「何!?」
「お腹の傷。その状態じゃ走れないでしょ。それに今のそれについても、説明してもらわなきゃいけないから」
「…………わかった」
少し黙った後、雪穂はしぶしぶ了承する。
「ちょっとお腹、見せてね。失礼するよ」
一華が雪穂の服をまくり上げて確認すると、どういうわけなのか、傷はたちどころに消えていた。
「……マジ?」
「あたしも正直意外なんですけど。そういや道理で身体軽いなって思って」
「ねえ雪穂ちゃん、もしかしてなんだけどさ」
軽くおどけようとする雪穂に対し、一華はあくまで真剣な顔で、その顔をじっと見る。
「…そんな見つめられたら困るんですけど」
「憑いてる悪魔の力、表に出始めてない?」
「…ごめん。やっぱ一華さんには正直に話します。誤魔化してもしょうがないですし」
「うん。聞かせてみて。お姉さん何でも応えてあげるから」
「あたしにもよくわからないんですけど、一華さんの予想通りです。多分、なんか。頭が急速に冷えて、自分の感情がマヒするみたいな、そんな感覚があるんです」
落ち着いてもみれば、そんな感覚に恐怖もしてしまうが、しかし同時に、佐城と名乗るあの悪魔の男に勝利したのは、その力あってのことなのは間違いなく、
雪穂はその事実に、頭が痛くなりそうになる。
「気を付けた方がいいかもね。完全に悪魔が剥がれなくなっちゃったら、それこそ雪穂ちゃんを野放しには出来ないし」
「…ですね。そのへんはほんと気を付けとかないと。どう気を付ければいいのかもよくわかんないですけど」
「実はさ、最初雪穂ちゃんみたいな子をこういう戦いの場に巻き込むの、アタシは嫌だったんだよね」
人波の中を歩きながら、一華が話を切り出し始める。
「そうなんですか?」
「キミってまだ高校生でしょ?だからさ、キミってまだそうやって守られる存在なわけじゃん?ほんとはイオリンや夜空ちゃんが戦うのだって嫌。だけどさ、何でアタシはそれ受け入れたと思う?」
「さっぱりわかんないです」
まだ自分が子供だということは、雪穂自身はあまり認めたくない事実だ。
まだ、自分には一華の立場が、まるで理解できないのである。
「雪穂ちゃんがあそこにいるのって、監視の目的もあるんだってさ。黒崎さんにこう言われたんだよ。
『もし、彼女が悪魔として暴走した場合、それは彼女が誰かに危害を加える存在になるということ。そうなれば彼女の立場はより苦しくなります。ここで監視をするというのは、何よりも彼女を守ることになるんです』だってさ。
…すっごい理屈だなって思ったけど、同時に納得したんだよ。だからアタシは今、雪穂ちゃんを守るために戦おうって思うの。
イオリン達だって同じ。あの子達も悪魔に憑かれる危険性があったから、見守ってくれって言われたんだよ」
ああ、そうか。
雪穂は心の中で、ある一つの納得のようなものを、得ていた。
「双葉ちゃんに対するあたしの気持ちと、多分同じなんだと思います、それ」
「…わかってくれた?」
「完全にわかったわけじゃないと思いますけど、でも。一華さんが何考えてるのかまでは、わかったんで。あたしも腹括りました」
「…うん」
「双葉ちゃん、『助けに』行きます」
そう決意した雪穂の白目は、いつもの白く綺麗な色に、戻っていた。




