第20話 初仕事
「ははっ、慣れねーだろそれ。俺も最初は慣れなかったもんな」
伊織が無邪気に笑う。
「敵に近づかれないために音を消すのは基本だと思うが。それが日常生活でもつい出てしまっているんだろう」
「(いや日常生活で音消して歩いたらそれ逆に迷惑……)」
真顔で言う尊に、雪穂は困惑する。こういうのを天然と言うのだろうか。
「ミコちゃんあれだよね、それ『クセになってんだ 音殺して動くの』ってやつ」
「一華~~、それは誰にも伝わんないからやめろ~?」
「ごめーん。つい」
雪穂も何を言っているのか全く理解出来ていなかったが、二人の間でだけ通じるものがあるのだろうと、そっと胸にしまった。
「ユキぴょんもあんまり漫画とか読まない系~?」
「ユキ、えっ……あ、あの。念のために確認しておくんですけど、ユキぴょんってあたしのことで合ってますよね?」
聞きなれない言葉の響きに、反射的に聞き返してしまう。
「他にいないじゃーん」
「あ、はい。あんま読まない、デスネ……」
どうしても「ユキぴょん」なる呼ばれ方がなんだかムズ痒く、会話がワンテンポ遅れてしまう。雪穂にとってはそんなかわい子ぶった呼び方なんて、自分には無縁だと思っていたのだ。
「緊張しちゃって可愛いね~~ますます気に入ったわ~」
「あんまりちょっかいかけるなよー。多分、その呼び方は向こうさん、あんまり気に入ってなさそうだから」
「なんでぇ!?可愛いじゃん」
「確かに可愛いかもしれないけどイメージじゃないんですよイメージじゃ。高校生でユキぴょんはキツいわ」
別に高校生だろうとなんだろうと、むしろ中学生でもキツいと思うが、そこまでは言わなかった。雪穂はとにかく、このむず痒い呼び方が慣れなかったのだ。
「…ユキぴょーん」
「伊織コラァ!!!!!!」
「おーこわ。ちょっと呼んだだけなのに」
「ぐぬぬ………」
その後、ニヤニヤと自分たちの方を見る伊織と一華の顔が、雪穂の脳裏にずっと焼き付き続けていた。
「あいつら絶対許さん……」
帰路に就くことになっても、耳の先までついていた火照りが、未だに消えそうにない。ああいう風にからわれるのは少々苦手だが、あれはあれで自分に好意的になっているのだろうかと、雪穂は何とかよく解釈しようと思ったが。
それでも、伊織に対してだけは、何だか納得の行かないものが残っていた。年下だからだろうか。
修道院から家までの距離はそれなりに近い。真夏などは歩いて向かうにはかなり労力が要るだろうが、昨今の猛暑を考えるとそもそも外に出るというだけでも一苦労なのだ。近いというのはありがたい。
悪魔だとか儀式だとか色々と聞きなれないことこそあったものの、いったんそこから離れればまたも退屈な日常の繰り返しだ。
だが、雪穂はその退屈な日常を、少しだけありがたいと思うようになってきた。
正直、澤田のような者がまた学校で現れてしまうのは勘弁だった。
いくらほとんど関わりがないとはいえクラスメイトの1人だ。それに周りの話によれば、澤田は大人しくほとんど自己主張もしない生徒だったという。
そんな彼がこうして暴れ出したというのは、つまりクラスの中、学校の中ですらいくつも爆弾が転がっているということではないか。
正直、雪穂は面倒だ、と思った。
波風立てず平凡に過ごせばいいものを、わざわざトラブルを起こしに行くやつがいるからこういうことになる。
「あ~~~…なんか面倒なこと考えてんな、あたし」
嫌な思考を振り払うように、頭をぶんぶんと横に振る。
家の近くの見慣れた道まで来たところで、雪穂のスマートフォンに連絡が入る。尊からだった。
『……あの、もしもし?』
『早速で悪いが仕事だ』
『えっ、マジ?』
どうやら実戦を行う時は、雪穂が想定していたよりもはるかに早く訪れたらしい。
『修道院の近く。今場所を送るから、それほど遠くないのであればすぐに来てほしい』
『ん、わかった』
そのまま電話が切れ、数秒後に地図を添付したメールが送られてくる。
大体歩けば20分…走れば10分というところだろうか。
少し迷ったので、着いた頃には15分ほどが経っていた。
「良かった、来てくれたか、別に急いできてくれと言ったつもりはなかったんだが」
「はぁ……結構全力で……走ったから……足が痛……」
運動部に属しているわけでもない女子高生である雪穂の体力は、平均的なそれとあまり変わらない。
それだけに、全速力で走るなんてことをしたら息切れするのは当たり前で……
「僕はすぐに来てくれとは言ったが、急いできてくれとは言ってない。むしろ、体力を温存してほしいので、息切れするほど全力では走らないでほしい」
「日本語って…ムズ……っ……!!」
相変わらずの言葉足らずな尊に、少し怒りを露にしつつ、雪穂は何とか呼吸を整える。
「さて…用件だが。このあたりで悪魔が出現してきている。まさか昨日に引き続きまたとは珍しいが、最近増えてきているらしいな」
どうやら、雪穂の気が休まる日というのはまだ来ないらしい。
「あの…そういうのってどうやったらわかるわけ?あたし、そういうレーダー的なやつないからわからないんですけど」
「説明してなかったか。その儀式具は悪魔の出現を感知するという意味もある。感じないか?儀式具が微かに震えているのを」
そんなの初耳なんですけど……とため息をつきながら、雪穂はカバンの奥にしまっていた儀式具を取り出す。
触ってみると、確かに尊の言う通り震えているのがわかった。
「というか、気づかなかったのか?」
「カバンの奥入れてたし……」
「そんな所に伏せているとすぐに取り出せないから、俺はオススメしないが」
確かに文房具か何かに見えるように丁寧に偽装はされているのだが、だからと言って武器の類を懐に隠しておくのは…流石に雪穂も抵抗があった。
「そんな日常生活過ごしてて悪魔に遭遇することなんて……ある…あるかもしれない…」
無言でこちらを見る尊の圧に気おされ、雪穂はついに何も言えなくなった。いかんせん顔立ちは整っているだけに、なかなか長時間直視出来るものではないのだ。
「どうした、急に黙って」
様子の変わってしまった雪穂を前に、尊が覗き込むようにしてその顔を見る。
「うるさいうるさい顔近づけんなバカ!!!」
ただでさえ見慣れない整った顔が目の前に来ているのだ、雪穂は我慢ならなくなり慌てて距離を取る。
「……何だ。よくわからないな君は」
相変わらず、この青年にはペースを乱されてばかりだと、ますます雪穂は顔を火照らせた。




