第13話 満足と退屈
ジリリリリリリリリリリリリ。
急かすような目覚まし時計の音に、雪穂は少しイラつきながらも、時計を止めるために起き上がる。
けたたましいアラーム以外は、かなり穏やかな目覚めだった。
姿見で自分の姿を見れば、髪もそこまで乱れていないし、寝相もそこまで悪くなかったのだろう。
「……やっぱこのペンダントすごいな」
一体、どれほどの力が込められているのだろう。
『悪魔憑き』。
もっとも、その存在そのものは、あの日尊と出会った日に襲ってきたもの以外、全く認知していないのだが。
だが、その存在だけでも、それが恐ろしいものであるというのは充分に理解できた。
悪魔憑きに襲われることが、ではない。
悪魔が憑いた自分が、他人を襲うことが、だ。
母親や父親、もしくは風子を。あのように襲うことがあったとするならば、きっと自分は今までの生活には戻れないだろう。
「…なーに考えてんだか」
いつものように朝食を食べ、制服に着替えて学校に向かう。
悪魔憑きと悪魔祓いという非日常こそあったものの、彼女にとってはまたそれも退屈な日常の一つとして、よくあるものへと変化していくのだろう。
そう思うと、自分の退屈というのは、いつになっても簡単に解決するものではないのではないか?
人の欲望は際限がないという話を、以前テレビで見たことがある。
雪穂はそれを見た時、なんてばかばかしい話なんだと思った。際限がない、満足しないなんて、そんな人生悲しくないのかと。
しかし同時に、あるコメンテーターがこんなことを言っていた。
『もし人が簡単に満足するなんてことになったら、その人の人生そこで終わりでしょ?僕はその方がつまんないと思うけどね』
それこそ何を言ってるんだと思った。それは満足できないのを、理屈つけて誤魔化してるだけじゃないかと。
だが今なら、そのコメンテーターの男性が言っていたことも、少しだけ理解できる気がする。
なんてことを考えながら、雪穂は気づけば教室近くの廊下まで来ていた。
「ゆ~~~~き~~~~ほ~~~~~~!!」
背中に走る鈍い痛み。そして、バァンという妙に小気味のいい音。
「風子~~~~~~~?それ痛いんだからやめろっつったよね?」
後ろを睨みながら振り返ってみれば、そこには親友、綾崎風子の姿があった。
「いや話しかけても反応ないからもしかして魂でも抜けちゃったのかなって思って」
「抜けるわけないでしょバカ」
実際に暴れ出してしまった(らしい)自分としては、風子の冗談は最早冗談で片づけられるものではなくなってしまったのだが……。
「ありゃ?今日は昨日より顔色いいね。もしかして寝つき良かった?」
「あー、まあちょっと寝つきは良かったかも。割と昨日は早く寝れたし」
「こりゃあれだね。もしかして……悩み事でも解決した感じ?」
「そんな感じ」
実際はそこまで解決したわけではないのだが…あまり風子を心配させるようなことを言うのも、悪いかなと思い、そういうことにした。
風子は言動こそバカっぽいのだが、それに反して頭はいいのだ。
「(ずっと隠し事すんのも嫌だしなぁ……)」
1限目の準備をして自分の机まで足を運んでいると、何だか少し嫌な気配がした。
その気配の方へと目をやれば、澤田が自分のことを睨んでいる…ように見えた。
……げっ。と心の中で声に出しつつ、澤田から目線を逸らす。
きっと昨日睨まれたから、過剰に気になっているだけなのだと、自分で自分を納得させることにした。
どうにも、あれから色んなことに妙に敏感になっている気がする。
それらは、理屈をつければ何とか誤魔化せるものだった。
だが、一つだけ誤魔化せないものがあった。
先ほどの睨んだ視線を感じた時に、嫌な気配を感じたのだ。
まるで澤田が正常じゃない状態になっているような……そんな風な。
彼の人物像について、雪穂はほとんど把握していることはないと言ってもいい。
ただ、地味で目立たない、クラスに一人はいるくらいの、眼鏡をかけた以外に特徴がない、男子生徒。
だが、そんな澤田の方に向けて、声をかける人物がいた。大柄な男子だ。
「お~~~い澤田くーん。てめぇさっき俺の方に向けてガン飛ばしたよなぁ?」
そういえば、何度もこんな現場をクラスの中で見ていた気がする。
うっわ、またやってるよあいつ。何あれ、といった声が、クラスの中でざわめきとして聞こえていた。
「ガン飛ばしたって…何かな。僕は別に杉本君にそんなことしたわけじゃないけど……」
澤田は男子に向けて、弱弱しくも抵抗をする。
「いーやオレの目はごまかせないね。つーかお前最近ちょっとチョーシ乗ってるよなぁ?この間もオレが話しかけたのに無視してどっか行きやがって」
「だって、その日は塾があって…」
「あぁ?そんなんどーでもいーんだよ。トモダチがせっかく遊ぼうって誘ってんのに、無視すんですかぁ?あぁん?」
声も身体も大きいせいで、聞くに堪えない頭の悪い杉本の暴言が、嫌でも耳に入ってくる。せっかくそこそこいい気分で学校に来れたのに、これでは気分も台無しだ。
「なんか、気分悪いわよね」
雪穂の方に、隣の席に座る小柄な女子が小声で話しかけてくる。
「ねー。委員長もああいうの嫌でしょ?あたしも嫌だわ。朝から勘弁してほしいよね」
「私は委員長じゃないって言ってるんだけどぉ……。でも、そうよね。なんか、八坂さんだけでもそう思ってくれるの、ちょっと安心するかも」
「いや絶対そう思ってるって皆」
委員長…市原真弓は、この学年が始まった頃に、見た目がいかにもそれっぽいからそう呼ばれ始め、クラス内ではそのあだ名で親しまれている、小柄な女子生徒だ。
雪穂も席が近いので、何度か話したことがある、程度の関係性の相手だったが、今ではこの何ともモヤモヤとする気持ちを共有できる貴重な相手として、雪穂にとっては何とも助かる相手だ。
「ほらー。席着けー。朝礼の時間だぞー」
教室のざわめきが止む。教卓まで来た担任の国語教師、葛西の気の抜ける声が、教室中に響き渡る。
「ほら杉本お前も席に着け、もう朝礼始まってんだぞ」
「チッ」
杉本は教室中に聞こえる程の音量の舌打ちをしてから、澤田の机を蹴って自分の机まで戻った。
「んじゃ出席取りまーす。1番、綾崎ー」
「はい!」
少し気分の悪いことはあったが、終わってしまえばこれも退屈な日常の一つ。杉本も澤田も、雪穂にとっては取るに足らないような存在なのだった。




