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この世界と位相のズレた座標に存在するモノがある。それは石のような形をして現界をするが、触れることはできないので動かすこともできない。質量が存在しないので物質として認識もできない。
だが、大昔にある男が石に触れたらしい。すると男の体に石は取りこまれて、それから男は超常的な力を使えるようになったという。
それから研究が進むと石を固定化させて、その場所から動かせるようになった。石が限りなく濃く現界しているものは質が高く、能力をより向上させることもわかった。
いつしか石は思念石と呼ばれるようになり、その石は力を持った権力者たちが独占をしていった。
そして、思念石を体に取りこんだ超常の使い手はいつしか輝弾操士と呼ばれるようになった。
「石はやっぱりこれくらいの純度がいいと思うわ」
レイディの手に取った石は手のひらから少しはみ出る位のサイズだ。幾何学的な印が刻んであるのは固定化された証である。
「基準は何なんですか?」
「石の透過度よ。透過度が低ければ純度が高いとされているわ」
「たしか純度が高いと輝弾を練る速度があがるんですよね」
「その差異は微々たるものと言われているけど、複雑な輝弾を練り上げるとなれば馬鹿にできないわ」
輝弾というのは超常的な力の総称である。初歩的なものは光の弾を発生させて放つというものがある。光の弾は攻撃性を伴うもので、戦争の際にも用いられるほどである。
それを複雑に処理することで用途は多様に広がる。
「もっとも純度が高いものは完全な現界をするそうよ。しかも固定化させて動かすこともできない」
なので道端で転がっていても蹴飛ばすことはできない。石でつまづくようなことがあれば、思念石の仕業ではないかと言われるほどだ。だが、これほどの純度を持った思念石は歴史を振り返ってもほとんど現れたことがない。
それでも性質上の問題で私物化のできないものであるので、偶然に誰かが道端に転がっていた石を取りこんでしまったというケースがあったかもしれない。
そんな人物がいれば世界にどういった影響をもたらしたであろうか。いまのところは想像の世界の話でしかない。
「僕はお嬢様に決めていただいた石をちょうだいしますよ」
「殊勝な心がけね」
レイディはシャイルに石を手渡す。それはちょうど貴婦人をエスコートする紳士のような姿であった。
(可愛らしい顔をしているのに見どころがあるわ)
シャイルは若干小柄な部類に入るだろうか。赤茶色の髪に琥珀色の瞳をしていて、年齢の割に童顔なせいか少し幼く感じる。
購入された思念石が術者によって印を解かれると、石は粒子となってシャイル体中に取りこまれていく。これで彼は輝弾操士になったということになる。
「思ったより簡単なんですね」
どうやらシャイルは拍子抜けしたようだった。もっと儀式めいた何を思っていたのかもしれない。
「あとは外套と帽子をもらえば宿舎に案内してもらえるわ。シャイルは貴族でしょ?」
「ええ。と言っても、僕の父が功績をあげて領地をもらった成り上がり者ですよ」
「20年前の南部紛争ね。少数民族のいざこざに帝国が介入して土地を広げたのよね」
「さすがですね。僕の父はその手に入れた土地の一部をいただいたのです」
貴族と平民の違いとは単純に土地を持てば貴族ということだ。といっても、シャイルの父親のような新参者が偉ぶることは難しい。周辺貴族たちからは成り上がり者と揶揄をされ、領民たちの機嫌をとらねば告訴されて追い出されてしまう。
貴族といっても権威が弱ければ、こんな扱いを受けるのだ。
「でも、お父様はあなたに期待をなさっているはずよ。頑張らないとね」
学院への入学金は決して安くない。新参領主が息子を学院へ入れるのは並々ならぬ努力があったはずだ。
「ありがとうございます」
「ところでオオカザキに絡まれていたのは偶然?」
オオカザキの一門はその南部紛争の功労者だ。二人には何か繋がりがあるのではとレイディは推察した。
「ええ。私の父に土地を与えたのがいまのオオカザキの領主なのです」
――やはりそうか。とレイディは納得した。
グルンナインはオオカザキ一門の中ではそれほど明るい立場ではない。
オオカザキ現領主の実弟の長男という微妙な立ち位置だからだ。というのも、現領主の妻は壮健そのもので三人の息子にも恵まれていた。
本来なら頭首も十分狙えるところだが、その息子たちも壮健そのものであるからグルンナインがオオカザキで実権を握るのは難しいということが予想された。
「彼とは学院に入る前から交流がありましたから……」
シャイルは顔を伏せる。あまりいい思い出ではないのだろう。
「彼の性格はおそらく母君の影響でしょうね。父君は控えめな性格で病弱。一方の母君は権力欲の強い方で武闘派と聞いているわ」
「お詳しいんですね」
シャイルは素直に驚いていた。
「あれだけ絡まれたらね。少しでも弱みを握れたら相手をせずに済むというものよ」
グルンナインとはレイディが入学してからの付き合いで、何かあるたびに見下した態度で突っかかってくる。彼女からすれば鬱陶しいことこの上なかった。
「どうして彼は姫様に絡むのですか?」
「彼が平民の生徒を隠れて私刑していたところを止めに入ったのよ。その当時は彼がどういった人物か知らなかったし」
もっとも知っていれば止めなかったのかはわからない。
弱い立場の者には権威をかざしながら暴力によって従わせようとする男だ。彼女がもっとも嫌う男だ。最近はその暴力の力で本来なら彼より身分が上の者でさえ怯えてしまっていた。
グルンナインが持つ力は学院内でもかなり強力な部類に入ることを誰もが知っているのだ。
「いまのところひどい目にはあわなかったんですか?」
「あいつは私の身分と立場はよく理解しているから、絡んではきても暴力は振るわないわ」
しかし、他の生徒は違う。オオカザキ一門に並ぶ家系など帝国内でも片手を数えるほどしかいない。一応、学院内には生徒たちによる治安維持を目的とした風紀委員が結成されており、以前もグルンナインと何度か決闘が行われた。しかし、彼はそれをことごとく破っている。
だから、グルンナインは学院内でも負け知らずだった。
「シャイル様、グルンナイン様には気をつけるほうがいいですよ。何かあっても助けてくれようとする人間は少ないですからね、お嬢のような人以外は」
「うるさいわよ、ジルトニス。それじゃあシャイル、私とはここで別れましょう」
「わかりました。宿舎ではまた会えますよね?」
それは何気ない問いかけだったのだろう。しかしレイディの返答は決まっていた。
「これ以降は私に声をかけないほうがいいわ。学院内でも無視することをオススメするわ」
レイディは微笑を浮かべた。それはシャイルに否がないと伝えるためのものでもある。それにはシャイルも何かを察したようだ。
「姫様がそうおっしゃるのは僕を気づかってのことなのでしょう。ですが、受けた恩義はいずれお返しさせてもらいますので、……では」
シャイルはそう言って、深々と一礼をする。それから二人に背を向けて宿舎のほうへ歩き出した。
「……私は余計なことをしたと思う?」
「わかりません。少なくとも何も知らない新入生が理不尽な暴力から救えました」
それが結果的によかったのか、わかるのはもう少しあとのことだろう。