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レイディは手続きを経て、ようやく解放されたのもつかの間である。
「お嬢、お待ちしていました」
そうだ。こいつがいた。とレイディは頭を抱える。
こいつというのはジルトニス・オービュラスことだった。
黒い髪と暗茶色の瞳。一見、かしずいているようで実はフリをしているだけ。こいつは決して飼い犬にはならないだろう。生まれついての狼である故に。
しかし、そんな男でもレイディに対しては親愛の情を見せるのだ。その理由はわからない。彼が言うにはレイディに対して恩義があるということだったが、思い当たる節はまるでなかった。
「噂になっていますよ。学長にお姫様抱っこされながら馬に乗って本校舎まで来たって。言ってくれれば、私がおぶって差し上げたのに。水くさいじゃないですか」
「そんなのもっと嫌!」
「馬より速いですよ?」
「そういう問題じゃない!」
ジューディアスの乗っていた馬はそれはもう素晴らしい馬だった。先行していた馬車を軽々と追い抜いて、本校舎へたどり着いたのだ。もちろん、例の演出をつけながらである。
レイディは顔から火が出そうなほどに恥ずかしかった。
早く着けばいいというものではないのだ。どうして、ジューディアスもジルトニスもわかってくれないのだろう。
「お嬢、でしたら女子寮までおぶって差し上げますよ」
「何が『でしたら』よ! さっきの話を聞いていたの?」
「もちろん。嫌ならせめて鞄くらい持たせてください」
「それも嫌!」
「私はお嬢のために何かを手伝わせてほしいんですよ」
「だったら、私を放っておくことね。それがいまの私の望みよ」
そうつっけんどんにされてはジルトニスも立つ瀬がない。どう返していいものかと考えていると、校舎裏から何やらドスの利いた声がする。
レイディはそんなことを気にする様子もなくズカズカと進んでいく。このあたりが彼女の凄いところであり、おっかないところである。何せ危なっかしいのだ。
「グルンナイン・オオカザキ君、相変わらず新入生いびりに精を出しているのね」
レイディは馬鹿にする態度を隠そうともせず話しかける。
「これはこれは。誰かと思えば姫さんじゃないか。もう学院には来ないと思っていたぜ」
グルンナインも負けてはいない。胸ぐらを掴んでいた相手を突き飛ばして、レイディに向き直る。身長はレイディより頭一つ大きいというのもあり、彼女にとってはかなりの威圧感だろう。気丈に振る舞ってはいるが、内心はかなり参っているはずだ。
グルンナインは体格もいい。レイディではケンカにもならないだろう。ましてやグルンナインは取り巻きが二人いる。
「お二方、ケンカはいけません」
その二人の間をジルトニスが割って入る。ケンカを何とか収めようというのだろう。
「おい。グルンナインさんの邪魔をするなんて何様だ」
グルンナインの取り巻きの一人がそう言いながら殴りかかってくる。血の気が多いなとジルトニスは呆れた様子だ。
「すみません! お嬢も悪気はないんです!」
ジルトニスは大きく上体を反らすと、取り巻きの拳が大きく空を切る。そこにジルトニスが謝罪の礼をしつつ掲げていた左手が偶然か必然か、取り巻きの右肩に軽く触れる。すると拳の軌道は勢いを保ったままグルンナインの顔面に命中をした。
「大丈夫ですか?」
ジルトニスはグルンナインを心配するような素振りを見せながら、取り巻きを押しのけて近寄ろうとする。すると、その取り巻きの肘が偶然にももう一人の取り巻きにみぞおちを喰らわせて、二人とも派手に転倒した。
「ジャンバルジャン! てめえ何しやがる!」
どうやらグルンナインの顔面を殴ったのはジャンバルジャンというらしい。
「ち、違うんです。わざとじゃないんです」
「そんな言い訳が通じると思っているのか?」
グルンナインはジャンバルジャンの胸ぐらを掴む。小太りながらもそれなりに体格のいいはずのジャンバルジャンが萎縮して小さく霞んで見えてしまう。
――本当に腕のいい輝弾操士とは使ったことすら相手に悟らせないという。
おそらくグルンナインが殴られたのはジルトニスが輝弾を使ったにちがいないのだ。だが、グルンナインはそれに気がついていないようだった。
「まあまあ。仲間割れはやめましょうよ」
張本人がケンカを止めようとするのだから何ともおかしい光景だった。ジルトニスは内心でどう思っているのだろうか。そのあたりはレイディにも未だ理解はできない。
「うるせえぞ、てめえ! てか、誰だ?」
「私はジルトニス・オービュラスです。お嬢とは友人希望の間柄です」
「友人希望?」
グルンナインは素っ頓狂な声を出す。それほどに妙な単語に聞こえたのだろう。
「グルンナインさん、ジルトニス・オービュラスと言えば何をやらせてもダメダメで有名な奴ですよ」
取り巻きのジャンバルジャンが言う。
「道化のジルって呼ばれてる奴ですよ」
そう言ったのはもう一人の取り巻きだ。ひょろ長い体格で名前はビンギルスという。
「いやあ、ご存じでしたか。でしたら、弱い者いじめなんて不毛なことはやめませんか」
このセリフはそのまま聞いているとジルトニスが弱者に聞こえる。が、果たして彼は本当にそう言ったのだろうか。
「ふん。弱い者が強い者にかしずくのは当然だろうが。俺にはそれだけの力がある」
その傲慢ともとれる自信がグルンナインをより存在感を強くしている。
「まあ、今日は許してやるよ。どっかの馬鹿のせいが興が冷めたしな」
グルンナインはギロリとジャンバルジャンを睨んだ。
それから三人が去って、残されたのはレイディとジルトニス。そして、あの三人に絡まれていた新入生だけだった。
「さすがジルトニスね」
「こういうときだけは私を頼るんですから。もっと平和的なことで頼ってくださいよ」
「平和的に解決したじゃない」
「お嬢はケンカをふっかけましたけどね……。それと私のことは愛情と親しみを込めてジルとお呼びくださいとお願いしましたよ」
「気が向いたらね」
それはナンパを軽くあしらうような口調だった。ジルトニスも残念そうにはしているものの、その返答は想定していたような態度である。
「あなた、殴られたりしなかった?」
レイディがそっと手を差し出す。その先にはあの三人に絡まれていた少年の姿があった。
「すみません」
少年はレイディの容姿に思わず見惚れてしまう。そして、その手を取っていいのか一瞬だけ戸惑う姿があった。
「こういう場合は『ありがとう』と言ってくれると嬉しいわね」
「ありがとうございます」
少年はレイディの手を取り、少しだけよろめきながら立ち上がる。
「あなた、新入生よね。早々、タチの悪い奴に絡まれてしまったわね」
「彼らは有名人なんですか?」
「ええ。そりゃ友達のいないお嬢が知っているくらいですから」
「黙りなさいジルトニス・オービュラス」
「これは失礼」
ジルトニスはおどけてみせる。悪気はなかったのにと表情で語っている。
「私はレイディ・ア・モンド・ゼテルキス・グリティアよ」
「僕はシャイル・ベルティオードです。御三家の方ですよね?」
御三家というのは皇族の血筋を統括する家系のことである。グリティアはその一門である。
もっとも皇族の御三家だから無条件で偉いというものではなく、レイディは貴族ではあるものの立場としては低い。一方で皇族の血筋は帝国を維持する要だ。厳重に管理されるべきものというのが帝国の考えだ。
皇族は初対面の者にはフルネームで名乗らなければいけないという法律まであるほどなのだ。
「ええ、そうよ。私に友達が少ない要因の一つね」
冗談めかしているものの、彼女にはやはり呪われた血だという自覚があった。こうして名乗ることもあまり好きではないのだ。
「あと、こうやってやっかいごとに首を突っ込んでいく姿勢も原因だと思うんですよね」
ジルトニスが言う。これ以上は彼女の機嫌をより損ねることになるだろう。シャイルは何とか話題を変えようとする。
「と、ところでどうして僕が新入生だとわかったんですか?」
「単純よ。あなたの外套は黒い無地のまま。運命の聖印のがない証拠ね。思念石はもう取り込んだの?」
「いえ、それがまだでして……。学院で購入できる思念石が思いの外高かったもので……」
ここから一番近い街の近くには思念石の大規模な鉱山が存在する。だから街には帝国一と呼ばれるほどの市があり、そこで業者が買い付けにやってきたり、シャイルのように輝弾操士になりたいという希望者が直接買いに来たりもする。
いつしか街の大通りは様々な石売りたちが軒を連ねていた。そこでは組合があり、思念石の等級が決められていた。
市場では等級の高いものから低いものまで幅広く置いてある。中には流通しているものより安く売られていることも少なくはない。もっとも、それなりの知識がなければカモにされることもよくある話である。
「たしかに学院で売っているものは少々高値ではあるけど、その分だけ質も高いのよ。いい輝弾操士になりたければ、まず思念石からこだわるほうがいいわ」
「お嬢がタメになるようなことを言ってますね」
ジルトニスは本当に感心しているようだった。
「私はこれでも人には親切なつもりよ」
「これで友達がいないんですから残念ですよね」
レイディがギュッと拳を握るところをシャイルは見逃さなかった。
学院という名に勘違いするかもしれないが、ベルクライン学院はあくまで輝弾操士の育成機関である。学院生たちの最終目標というのは必要な技能を習得することである。必要な技能さえ習得してしまえば、一年も経たずに学院を去ってしまう。まして決まった入学時期があるわけでもない。才能を示せば、すぐに雇い手が現れたりもする。ここはそういう場所なのだ。
「そろそろ行かなくていいの?」
「そうでした。姫様とジルトニスさんには危ないところを助けていただきありがとうございました」
シャイルは深々とおじぎをする。
「いえいえ。私は私の信じる良心に従ったまでのこと。たいした助けはしてません」
「そうよ。私はともかく、この男はあなたを見捨てようとしたんだから」
レイディはふんと鼻を鳴らした。
「それではまたどこかで」
そう言ってシャイルは二人の前から去って行く。
「お嬢としては、彼は友達として有りですか?」
「有りね」との答えにジルトニスは期待を込めた表情で「私は?」と問いかける。
レイディの返答は「さあね」という冷めたものだった。
そう言ってレイディは答えをはぐらかした。まともに答えるのは癪だったからだ。