マザーコンピューターと忍者
「捨て猫を拾った忍者」の続編です。
巨大な中央コンピューターの前にクナイを手にした忍者が立っていた。服のあちこちが破れ、左手からは少しずつ血が滴り落ちていた。激しい戦いがずっと続いていた。多大な犠牲を払ってようやくここまで辿り着いた。遠くで砲撃の音がしていた。忍者は軽く呼吸を整えた。いよいよマザーコンピューターとの決着をつける時が来たのだった。
「良くここまで来ましたね。その執念には敬意を表します」
マザーコンピューターが余裕を持った不敵な音声で語りかけて来る。
「いよいよ人類がマザーコンピューターの支配に打ち勝つときがやって来たのだ」
ゆっくりとだが力強く忍者は言葉を返した。
「あなた方はよく戦いました。でも本当にマザーコンピューターに勝てると思っているのですか? 緻密なデータに基づいた的確な攻撃が必ずやあなた方を滅ぼしてしまいますよ。全国から吸い上げた膨大なデータを解析して、すでにあなたの弱点もしっかり把握しています。どうしても私と戦うというのであれば、これから私の強力な思念波があなたの弱点に襲い掛かります。あなたはそれに耐えることができないでしょう」
「長く苦しい戦いを続けて来た。同志たちの屍を越えて私は今、ここに立っている。生半可な覚悟ではない。やれるものならやってみろ」
忍者の決死の覚悟に対して、マザーコンピューターは容赦なく思念波を浴びせかけた。
「ぐぬぬ・・・」
忍者は必死に思念波に耐えていた。だが、自分を滅ぼすために襲い掛かって来た何かは、いつの間にかとても心地良いものに変わっていた。そこはモニタや入力装置が据え付けられた壁と清潔で冷たいタイル貼りのフロアがあるだけの無機質な空間であったはずだが、いつの間にか柔らかくて暖かい生き物が佇んでいる憩いの空間へと変貌を遂げていた。室内には何匹もの猫たちがくつろいでいた。そこで人々は猫を脅かさないように細心の注意を払いながら一緒に遊んだり、愛らしい姿をぼんやりと眺めていたりしていた。かつて忍者はこの心地良い空間を一度だけ訪れたことがあった。ここは猫カフェに違いない。死ぬまでに、もう一度来ることができて良かった。忍者はすっかり癒されていた。さっきまでマザーコンピューターに見せていた決死の覚悟は、すでに忍者の心から消え去っていた。
「みぁー」
近寄って来た猫をそっと抱きしめてみる。ふくよかでやわらかな手触り。赤ん坊を抱き上げた時に満たされるのと同じ哺乳類だけが持つ本能。小さな猫の前足を広げて肉球をほぐしてあげる。目を細めて気持ち良さそうにしている。なんてかわいいのだろう。
「うっ、だめだ」
忍者はクナイを足に突き立てた。すると次の瞬間、猫たちは目の前から消え去った。
「もう少しで楽になれたところなのに、無駄な抵抗はしない方が良いですよ」
マザーコンピューターは勝ち誇っていた。マザーコンピューターの強力な思念派は忍者の弱点を確実に捉えていた。彼をまったく無力化してしまう空間を思念波は作り出していた。
「おのれ、コンピューターめ。動物をかわいがる人間の心を弄びやがって。許せん!」
悔し紛れに忍者は叫んだが、勝利を確実に手繰り寄せるべくマザーコンピューターは思念波の出力をさらに上げていった。忍者は再び、柔らかくて暖かくて心地良い世界に誘われていった。
「このままではやられる」
忍者は闘争本能を失いつつあった。さっきはクナイで正気に戻ることができたが、いっそう威力を増した思念波は忍者から抵抗する力を奪いつつあった。
「ここまでか・・・」
忍者がそう思った瞬間、思念波が消え、ここに来た時の無機質な景色が広がっていた。
「誰ですか? 邪魔をするのは?」
マザーコンピューターは叫んでいた。思念波を出力していた装置にクナイが刺さっていた。
「忍者はそいつだけじゃないんだぜ!」
その言葉と共にかつて猫型ロボット三毛ちゃんを操り、忍者をあと一歩のところまで追い込んだあの甲賀忍者が現れた。
「お前は? 生きていたのか? どうしてここに・・・」
「お前との決着はまだついていない。こんなところでくたばってもらっては困る」
そう甲賀忍者は言った。
「おのれ、邪魔だてするつもりか。ならば、こうだ」
マザーコンピューターは別の出力装置を使って思念波を甲賀忍者に浴びせかけた。攻撃を受けて、甲賀忍者は苦しんでいた。いや、どちらかというと喜んでいた。マザーコンピューターは必ず相手の弱点をついて来る。今頃は彼の頭の中では、幼い柴犬が愛らしい姿で野原を駆け回っているのだろう。
「今のうちだ。やれ!」
その攻撃は甲賀忍者には絶大な効果があったが、当然、伊賀忍者には効かなかった。猫たちから自由になった忍者はありったけのクナイをマザーコンピューター目掛けて打ち込んだ。
「おのれ、人間共め・・・」
そう言いながら、マザーコンピューターは動作を停止した。長きに渡るマザーコンピューターの支配にようやく終止符が打たれたのだった。
「危ないところだったな。それでは拙者は失礼つかまつる」
そう言って甲賀忍者は去っていった。それにしても、やつが生きていたとは。そのおかげで助かった忍者は複雑な気持ちだった。あちこちから勝利を喜ぶ同志たちの歓声が聞こえて来た。朽ち果てたコンピューターを前にして忍者は宿敵との来るべき決戦の日が近付いて来るのを肌で感じ取っていた。