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東笛 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 つぶつぶはさ、学校に通っていたときの道具って、どれくらいとってある?

 あたし、その手のもの結構捨てられないタチでさ。いまだ実家に小学校とか中学校の楽器とか裁縫道具とかとってあるのよ。

 その点、最近のウチのおかんは、思い切ってバサバサ処分しだしたわねえ。こう、自分の「つい」が見えてきて、身辺を整理したくなったとか。そうなると、これまで思い入れがあったはずのものとも、すっぱりお別れできるようになったんですって。

 あたしは全然、その領域にたどり着けないなあ。想像するのも、なかなかできない。自分の歩んできた足跡を消してしまうようで、なんだか怖いんだ。

 たいした思い入れのないものだってそうなんだから、思い入れのあるものだったらなおさら。それがたとえ、気持ちのいい思い出でなかったとしてもね。

 私のある道具についての思い出、ちょっと聞いてみない?



 私はむかし、リコーダーが好きでね。ソプラノリコーダーを初めて買った時から、よく練習をしたものだけど、どうにもクラスのみんなから苦手意識を持たれていた。

 ちょっと演奏しただけでね。足部管の尾っぽ部分から、どんどん水が垂れてきちゃうのよ。長い曲を吹いた後なんか、水たまりみたいになっちゃっている。

 私はそんなに息を吹き込んだつもりはないけど、はたから見たら、こんなのよだれ垂れ流しにしか見えないでしょ。「ばっちい、ばっちい」とばかりに、えんがちょの対象にされたこともあった。


 私は毎回、お手入れだってしている。男子のほとんどが、例の足部管の穴からお掃除棒を突っ込んで、適当にかき回して終わりにするところ、一度使い終わるたびに分解したうえで、きれいにしていた。

 頭部管、中部管に至るまでの掃除だって欠かさない。けれども症状は改善されないばかりか、私のリコーダーの中の水分は、どんどんと溜まっていくばかり。

 買ってから二か月。梅雨の時期を迎えると、なおさらその状態はひどくなり、頭部管を少しひねっただけで、水がにじみ出すほどに。

 取ってみると、中は案の定の大洪水で、どうしていままでちゃんと音が出ていたのか、不思議でたまらないくらいだったわ。

 

 ――家で練習しているときは、こんなことないのに。


 不審を覚えずにはいられない私は、学校にいる間に、いろいろな場所でリコーダーの練習を試みたわ。休み時間を使った数日がかりで、あちらこちらで奏でた結果、ひとつの結論が出たの。


 それは音楽室の面している方向。

 音楽室の窓は東側に面していて、私たちが部屋備え付けのひな壇に並ぶと、その東側を向くことになるわ。そして私の笛に水があふれてしまうのは、その東側を向いて演奏するときに限られていたのよ。



 早いうちに対策を練ってもらわなくちゃいけない。

 私は確信を持ったその日に音楽室へ向かい、授業前の準備をしている先生に、事情を話して掛け合ったわ。実際に先生の目の前で窓に向かって演奏し、ぽたぽたとしずくが垂れ落ちるさまを見てもらう。他の方角を向いても、全然しずくが垂れないことも一緒に確かめてもらった。

 先生は目を丸くするけど、少し期待していたような驚きぶりを見せない。どうやら先生は以前にも同じような生徒を、何度か見たことがあるのだとか。それどころか、自分も学生だった時に、同じ体験をしたことがある、とも。



 東笛あずまぶえの産気づき。

 先生はかつて、自分を教えてくれた先生から、そのような言葉を聞いたの。話によると、太陽が昇ってくる方角である東からは、万物の始まりがやってくることがある。

 つまりは、命。その多くは単独で芽吹くことはかなわず、どこかしら、なにかしらの土壌を必要とする。その苗床ともいうべき場所に、リコーダーのような笛の中を選ぶものも存在するのだとか。


「どうして、その場所が選ばれるのか、理由は先生にもわからない。

 想像するに、笛の中は人のつばがたまるところ。そこが育つにあたって、とても良い環境だという生き物もいるんでしょうね。

 東笛に選ばれた笛は、命が生まれて巣立つまで、ずっとその役目を持ち続ける。リクエストがあれば、ここですっきりさせちゃいましょう。命を生まれさせて」


「先生のときには、何が生まれたんですか?」


「あんまいいたくないなあ。聞かない方がいいかもよ?」


 気持ちのよいものじゃないことは、わかった。


 じっと見られていると、やりづらいだろうからと、先生はピアノの前に座る。伴奏してくれるとのこと。

 私は一番得意な曲を選び、リコーダーを口にくわえた。


 いくらも進まないうちに、ポタポタと私の靴下へ跳ねを飛ばす勢いで、つばが穴から垂れていく。いや、話を聞いてから改めて気にすると、これはつばじゃない気がした。やけに粘り気がないし、特有の変な臭いもしない。


「演奏は中断しないで、そのまま続ける。もし終わってしまっても、リコーダーから水が出る限り、初めに戻って続けること」


 あらかじめ先生に注意されていた通り、私は構わずに演奏を続けた。

 曲が三巡ほどして、すでに私の上履きにも水たまりの底が触れそうになり出したところ。

 いきなり、リコーダーが重くなった。ぐぐっと下へ引っ張られる感覚さえして、あやうく手放しそうになるけど、「我慢して」という先生からの、前もったお達しがある。

 もう息を吹き込むたびに、ごぼごぼとした水音しか紡げない。それでも指を動かして、どうにか曲を吹き続ける私の手に、何かが「ずるり」と抜け出していく感触が残った。


 リコーダーの下から抜け出ていったのは、一見、そうめんを思わせる細い糸状のもの。

 何本も絡まって、びちゃりと水たまりたちを大いに跳ねさせたそれは、いくらも目に留まらないうちに、音楽室のタイルのすき間に入り込んで見えなくなってしまう。

 先生はもう問題ないと告げてくれたし、実際に私のリコーダーが「おもらし」する事態はほとんどなくなったけど、あれがどこへ行ったのかは、今もわからないのよね。


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