014 その出会い×林の中でa
赤い海の上、その中で沈んだ建物の一角に少女は立つ。遥か彼方には十字の、人が張り付けられたようにも見える紋様。それが等間隔で水平線の端から端まで続いている。
[あれは世界の果てだよ。]
そう言ったのはだれであっただろうか?
[僕たちはあの先に行くことができないんだ。]
少女は自分の隣にいつの間にか座っていた白い長髪の少年がいるのに気づいた。
[あの先には何が待っているの?]
少女は少年に聞く。
[人類の希望だって言われているよ。]
少年はうっすらと微笑みながら返した。
[僕たちは向こうには行けない。]
少年は少女を指差し、その後で水平線の向こうを指差した。
[でも、きっと君なら行けるさ。僕はそう信じてる。〇〇〇〇。]
少女は少年に名前を呼ばれた気がした。しかし何と呼ばれたのか、思い出すことができない。
[行けるのかな。]
少女は一言そう呟いた。
しばらくすると紋様が少しずつ大きくなり、海は荒れ、少女は波の中に飲まれる。水の無造作な流れにひたすら弄ばれる感覚。留めていた息も一気に口と鼻から流れていってしまう。
[苦しい....。]
少女は安全な場所に行こうとひたすらにもがいた。しかし波の力には勝てずそのまま何処へと知らない所へ流されていく。
不意に誰かが少女の手を掴んだ。大きいが指の細さがわかるほどの華奢な、それでも力強く少女を引っ張って行く手だった。
[こんな所で何をしていたの!?]
身体の中に入った水を吐きながらヘタれている少女に叱り飛ばす声が飛ぶ。女の人だろうか。しばらくすると少女は抱き寄せられそのままきついくらいの抱擁を受ける。
[無事で良かった。]
そのまま抱え上げられ、建物の中へ入っていく。
[時間がないの。早くあなたを送り出さないと....]
送り出す?自分は何処へ行くと言うのだろうか。
[どこにいた?]
男性の声、やや覇気のない年配者の声が優しく響く。
[境界のイメージの中にいました。もう少しで飲み込まれる所でしたわ。]
[興味本位で近づいちゃいかんとあれほど言っただろう。]
少女は咄嗟にごめんなさいと言おうと思ったが素直に聞くのが嫌になりうるさいこの☓☓☓☓☓と返してしまう。とても口汚く罵った気もするが、なぜか思い出せない。
一瞬喧嘩になるかと思われたが向こうが折れてくれたらしく、早くこっちへと催促される。
[急がないと静止衛星が出てしまう。ここで乗せなければこれまでの準備が無駄になるぞ。]
無駄になる?なんの事だろう?
女性が少女の肩に手を置く。
[よく聞いて〇〇〇〇。あなたはこれから私達とお別れしなければならないの。あなたを、ここではない新しい世界へ送り出さなければならない。そこであなたは生きていくのよ。]
なぜ?と少女は聞く。女性は微笑みながら少女の頭を撫でた。
[あなたはもうここでは生きていけないの。でも外の、新しい世界であれば可能性はある。これからあなたは長い眠りにつくわ。そして目覚めた時はここでの事も私達のことも全て記憶から消えているはずよ。だからたぶん寂しくないはずだから。]
訳が分からないよと少女は叫ぶ。なぜここにいてはいけないのか?なぜ一緒に行くことができないのか?泣きながら何度も何度も二人に懇願する。
二人は少女を抱きしめた。今までのどんな時よりも強く、強く。そして少女はそのまま丸い機械の中に押し込まれる。
二人の姿がまだ見えている。少女はひたすら壁を叩く。行きたくない!ここにいたい!と何度も叫んだ。女性は聞いてと少女に強く言った。
[聞いて〇〇〇〇。あなたは私達の希望よ。これだけは覚えておいて。あなたは必ず未来の礎になる。こんな事を背負わせてしまって、ごめんなさい。]
[寂しい思いをさせて本当にすまん。だが、大丈夫。必ず会いに行くからな。]
壁が閉じていく。ゆっくりと二人が遠く離れている。少女は叫ぶ。私はここにいたい。そんな訳の分からないものになりたくない。
なんで、なんで私なんだろう。何度も何度も少女は自分の運命を呪った。
普通の人間に生まれたかった。一緒に死ぬならそのほうがずっと良かった。なぜ私はこんなものに生まれてしまったんだろう。
[お母さん....おじいちゃん....]
その言葉を発した瞬間、世界は歪んだ。頭の中で思い浮かべた二人の姿がゆっくりと歪んでいく。
顔が分からない。
姿も記憶のものとは違っていく。
頭の中で遠ざかるようにノイズが走る。
[思い出してはいけないもの]
これは、そういうものだったのだろうか。
次第にに周囲は光速化し、意識が落ちていく。誘われるような眠りの中でひたすら自分がただの火の玉になって闇に落ちていく感覚だけがわかる。
嫌。
嫌だ。
やだ。
やめて。
行きたくない。
行きたくないのに。
何度も何度も心の中で叫び続ける。
それは心が壊れる予兆だった。そして生まれ変わるための儀式だった。楽しかったことも、苦しかったことも、悲しかったことも、全てこの先の自分には引き継ぐことは許されない。
全てを置いていかなければならない一方通行の旅。
そこに強引に突っ込まれた少女には何一つ選択肢は残されてはいないのであった。
「嫌ああああああああああああああ!!」
「リシテア!起きろリシテア!!」
雑木林の近くに建てたテントの中、銀髪の少女が目を覚ました。
「!」
身体を起こさないまま周囲をゆっくりと見る。焦点の定まらない目は何処か虚空を見つめ、目の前に何があるかすらもわかっていないようだった。
「ここ....どこ....?」
朦朧とした表情を覗き込んでいた少年が少女、リシテアの額の汗を拭きながら返す。
「トウオウ領の関所の近くの林だ。忘れたか?オレたちは村に帰る途中だったことを。」
「....帰る?どこに....。」
私はどこに帰るんだったっけ....?ゆっくりと自分の中で考え込む。目の前の少年、ゼロ。私の帰る所、エンリ村。ヤノさん、クレアさん、お師匠様....皆....。
....あ。
リシテアの目に光が戻る。そして身体になぜか力強い温もりを感じた。
自分が誰かに抱きしめられているのだ。その大きな手は優しく肩を叩き、そのまま頭をゆっくりと撫でる。何度も何度も、ここだよ、大丈夫だよと。
「ゼロ....私....。」
「帰ってきたか?」
抱きしめていたゼロにリシテアは一瞬びっくりしたが、すぐに自分の身体がここにあること、そして自分を引き寄せてくれた彼のおかげでようやく戻ってこれたことを実感する。
リシテアはゼロの問いにそのまま答えず、うん、うんとゆっくり首を振る。そしてそのまま耐えきれずに泣き出してしまった。
「うぅえぇぇ....。」
ぽろぽろと大粒の涙を零しながら抱きつくリシテアをゼロはただ大丈夫、大丈夫だと何度も慰めるのであった。
「落ち着いたか?」
「....ん。」
夜番用の焚き火の前、リシテアは毛布に包まりゼロに淹れてもらったお茶をちびちび飲む。目の下は涙の跡で真っ赤になっており時折鼻を啜っている。
「....ゴメン。」
「気にするな。」
リシテアはばつが悪そうに顔を背ける。やれやれとゼロは昼間に買った大福をリシテアに渡した。リシテアはそれを毛布の隙間から手に取ると、そのまま口に運ぶ。
「....あのね。」
「ん?」
ゼロはリシテアと目線を合わせるように焚き火の間から覗き込む。
「夢?」
「うん。」
焚き火の火が照らす中、リシテアは自分が夢で覚えている出来事を話し始める。少しづつ、不安な気持ちを抑えながら。
「なんか、私がここじゃないどこかにいて....色んな人が私のことを呼ぶんだ....。でも私は、自分が何て呼ばれてたか思い出せなくて、呼んでくれた人の顔も名前もわかんなくて、ただわかるのは....。」
リシテアは一度言葉を飲む。
「私が....そこから離れたくない、ということだけ。」
「ふむ。」
ゼロはリシテアのお茶を注ぎ直し、渡してやるとリシテアは小さい声でありがと、とだけ言った。そして一口飲むと少し考えてから話し出す。
「たぶん私、その人たちのこと大好きだったと思うんだ。でも私は行かなくちゃいけなくて、その人達はそこに残らなくちゃいけなかったみたいで。私は、泣きながらその人たちに見送られてどこか知らない所に行ってしまう....。私の行きたくない所に。」
ゼロはそれを聞くと一度考え込む。
「失った記憶の断片なのかもしれないな。」
ゼロがそう言うとリシテアは顔を上げてゼロを見る。
「やっぱりゼロもそう思う....?」
「ああ、そいつらが誰なのかは思い出せないんだな?」
リシテアはまた顔を下ろすとお茶ちびりと飲んだ。
そして首を横に振る。
「そうか....。」
ゼロは自分の大福を一口かじるとそれをお茶で流し込んだ。
そして一度息を吐くと。
「力になれなくてすまんな。」
申し訳なくリシテアに言う。リシテアはそれに勢いよく顔を上げると、そんなこと!と言うと途端に悲しい顔になる。
「....そんなこと....ない....。」
そのまま毛布の中で踞ってしまう。
ゼロはそれに苦笑し焚き火に薪を追加した。
しばらくするとリシテアは毛布から顔だけ出して、ねえ、とゼロに話しかけた。
「ん?」
何だ?とゼロはリシテアに返した。
「また、話してもらえるかな?私とゼロが出会った日のこと。」
「また、か?」
「うん。また。」
ゼロは一度うーんと考えると、わかったと一言リシテアに返した。リシテアは少し微笑むと毛布ごとゼロの隣へと座る。
「オレが村に帰ってきた所からでいいかな。」
長い夜が始まった。