リュシス
ソクラテス(以下S)
「ではメネクセノス、私の尋ねることに答えてくれたまえ。私には子供のころから手に入れたいと思っているものがあってね。馬が欲しい人、金が欲しい人、名誉が欲しい人、と人によって何が得たいかは様々だが、私となるとそんなものには気がないのだが、友を手に入れるとなるとまったく目がなくてね。
それで、いま君たちを見ていると、君もリュシスも、そんなに若いのにやすやすとそれを手にしていて、君は彼を、彼は君を、そんなにも早くとても仲の良い友達にしてしまっているから、君たちはなんと幸せな人たちなのかと驚いているのだよ。
しかしね、私はと言うと、とても友など手に入れるどころではなくて、
人はどのようにして他の人と友達になるのか?ということさえも知らない様子でね。そのことを君に教えてほしいと思っているのだ。
誰かが誰かを愛する場合に、どちらの人がどちらの友となるのかね?
<愛するほう>が<愛されるほう>の友となるのか?
あるいは<愛されるほう>が<愛するほう>の友になるのか?
それとも、どちらもまったく関わりのないことなのかね?」
メネクセノス(以下M)
「まったく関わりのないことだと思います」
S「それはいったい?すると、ただ一方から他方を愛するだけで、両方ともお互いに友達となるのかね?」
M「そう思いますが」
S「では、自分の方は愛しているのに、その相手からは愛してもらえない、ということはないかね?」
M「あります」
S「愛しているのに、憎まれることさえあるではないか。心の限りを尽くして愛しているのに、相手から愛し返してもらせないとか、それどころか、憎まれていると言っている人たちもいるものだ。君はそう思わないかね?」
M「まったくその通りです。」
S「では、そのような場合には、一方の人は愛し、他方の人は愛されているのではないかね?」
M「そうです」
S「それでは、いったいこの2人のうち、どちらがどちらの友なのかね?
相手から愛し返されようが、相手から憎まれようが、
<愛する方>が<愛される方>の友であるのかね?
<愛される方>が<愛する方>の友であるのかね?
両方ともが愛し合うのでなければ、どちらもどちらの友とならないのか?」
M「いちばん後のものが正しいように思えます。」
S「だとすると、さっき考えたこととは違うらしい。さっき我々は、一方が愛すれば、それによって両方ともが友となると考えていたのだが、実際には両方ともが愛し合うのでなければ、いずれも友とはならない、と考えることになるね。」
M「そのようです」
S「してみると、愛する者にとっても、相手からも愛し返してくれるのでなければ、いかなるものもフィロン(友=愛しいもの)ではないことになるね。」
M「そうなります」
S「ではどうだろうか? 馬のほうから愛されなければ、その人は馬を愛する人ではないことになり、酒好きな人も、酒から愛し返してくれなければ、酒を愛する人ではないことになる。
彼らは、それぞれの物を愛しているのに、それを友として愛しているのではないことになる。
『童たち、馬たち、犬たち、外国の客人、彼らを友とする人々は幸いである』(賢人ソロンの詩)
と詠んだ詩人は、では嘘を言っていることになるのかね?」
M「いえ、そうは思いませんが」
S「だとすれば、愛する人にとっては、
愛する対象が自分を愛し返そうが憎もうが、いずれにしても友である、
ということにならないだろうか?
例えば、生まれたばかりの赤子は、まだ誰をも愛したりしないし、親に叱られて憎んだりするだろうけども、子が親を憎んでいるその時であっても、その子は親にとっては他の何よりも愛しいものではないだろうか?」
M「そのようです」
S「では、この議論に従うならば、<愛する方>が友なのではなくて、<愛される方>がそうなのだ、ということになるね。また、<憎まれる方>が敵であり、<憎む方>はそうでないことになる。」
M「そうなるでしょう」
S「もし、<愛する方>ではなくて<愛される方>が友であるとするならば、ずいぶんたくさんの人が、敵から愛されたり、友から憎まれたりして、敵にとって友であったり、友にとって敵であったりしていることになるだろう。しかしね、敵にとって友で、友にとって敵であることは、まったく不合理で不可能なことではないだろうか?」
M「たしかにその通りだと思います」
S「だとすると、やはり<愛する方>が<愛される方>の友である、というべきなのだろうか?
そして、<憎む方>が<憎まれる方>の敵である、ことになる。」
M「そうです」
S「すると、我々はまた堂々巡りに陥らないだろうか?
人はしばしば、相手が愛していないのに、むしろ、相手が憎んでいるのに、その相手を愛することがある。そのような際に、友でないものの友となったり、敵の友となったり、あるいは、向こうが私を憎んでいないのに、さらには愛してくれているのに、その人を私が憎む時には、敵ではない者の敵となったり、同時に、友の敵となったりすることになるね。」
M「そのようですね」
S「さて、それではどうしたものだろう。
<愛する人>も<愛される人>も、また<愛して愛される人>もすべて友ではない、ということになる。さらにこれらの他に、まだ何か、互いを友とさせるような要素があるのだ、と我々は言うべきなのだろうか?」
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すると、横からリュシスが言った。
リュシス(以下R)
「ねえメネクセノス、そもそも我々の調べ方が根本から間違っているように思います。」
彼はそう言った後で、すぐに顔を赤らめました。我々の議論に気をとられて、思わず口を滑らせてしまったようでした。
そこで私は、メネクセノスを休ませたく思い、また友人リュシスの「知を愛する心」が嬉しかったので、今度は彼を相手に話をしようと思ったのです。
S「リュシス、たしかに君が言う通りに違いない。もし、我々が正しい調べ方をしていたならば、今のように迷い歩くことはなかっただろう。もう一度、調べ方を吟味してみようではないか。
ある詩人によると、友とは、神ご自身が、彼らお互いを相手のそばに連れ出して、彼らを取り持って友としてくださる、というのだ。
『似る者を、似る者のかたへ、神つねに導き、友としたもう』(ホメロス『オデュッセイア』)
『似た者が、似た者にとって、つねに友であることが必然である』(エンペドクレス)
優れた賢人たちがこのように述べているのを聞いたことがないかね?」
R「聞いたことがあります」
S「彼らが述べていることは正しいだろうか?」
R「おそらく正しいでしょう」
S「ではどうだろうか。悪人は悪人にとって、お互いに近づいて深く交われば交わるほど、ますますお互い同士が敵となることはないかね?悪人は相手に害を与えるのだからね。害を与えたり与えられたりしながらもお互いに友達である、なんてことがあるだろうか?」
R「難しいと思います」
S「そう考えるとだ。悪人たちは、お互いに似ている(=悪である)限りにおいては、お互いには友とはなれないことになるね。