第11話 置かれた悪意
部室の扉を開けると、いつも通り鼻腔を包む本の匂いを感じ、心の安らぎを求める。
別にオレは読書家というわけではないが、ここを部室にして毎日のように本を読んでいると自然と欲するようになってきた。
机の傍にリュックを落とし、部屋を見渡す。
「今日もオレが一番か・・」
奥にあるオレの椅子に腰を下ろして、静かに息を零す。
窓から流れ込んできた風が前髪を細かく揺らす。
その動く黒線に気を取られ、瞬間的に脳内を真っ白に染める。
そこでゆっくりと思考を停止させ、目の前に置いてある臙脂色の本を手に取る。
栞の添えてあるページを開くと、続きから目を通し始める。
そんな優雅さが漂う空間は、この後1人の女によって破壊される運命にあるのだ。
だからこそ、清く価値のあるこの時間を大切に・・
「白澤くん!ちょっといい?」
「・・良くない」
「あーっ!読書再開しちゃダメ!」
そう騒いで後頭部でポニーテールを揺らしながら近づいてくる新入部員の赤崎は、目力に圧を込めながらそう声を掛けた。顔立ちは美咲や江に劣らぬ可愛らしさがあるものの、尖った性格が台無しにする。
こいつは入部まだ2週間なのに、距離感を著しく近づけてきているような気がする。
いつもは「何か依頼は届いた?」と笑顔で訊いてくるのだが、今日は様子が違うようだ。
「先生から聞いたけど、掃除サボってるんだって?」
「え?あ、ああ、そんなこともあったな・・」
そーいや終礼時に日替わり掃除当番のメンバーが読み上げられていたな。
たしか出席番号順にローテーションするはず。
ただ、オレの『目的』を達成する為には不要な時間だからな。別に、面倒くさい訳ではない。そう、決して。
「色んな利益を考えた結果、サボってる」
「その『色んな利益』に含まれてないものが多すぎるよ!?」
「あー、分かった分かった」
的確な指摘をスルーした結果、赤崎は唸り上げることに徹し始めた。
それを話の終結だと受け取り、オレは今度こそ手に持っている本の読破を目指して・・
「部長、お疲れ様です!ちょっといいですか?」
オレに繙読する猶予は無いのか・・。
心の中で溜息を吐き出し、部室に入ってきた江に返事をする。1年生ということもあって、赤崎よりは背が少し低いようだが、オレに対する勢いの大きさでは負けていない。マジでいい迷惑だ。
「どうした?赤崎と同じような尋ね方をして」
「え!?そうなんですか!?はぁ・・」
「何が不服なの緑橋さん!?」
「全て」
「即答しないで・・」
心理学のエキスパートである彼女は、自分の感情を隠すのはもちろん、表に出すのも限りなく上手い。
江から『不本意』の意思が伝わったのだろう、思いっきり振り返って叫ぶが当然聞き過ごされる。
そんなことよりオレは江の左手にある紙に意識が奪われる。
「それで?オレに何か用が・・というか、その紙に何かあるんだな?」
「あ、そうでした。これが入り口の前に落ちてました・・」
オレは紙を受け取ろうとして、右手で持っている本を思い出す。
読みたい、という欲求を胸の最深部に抑え込み、さり気なく栞を本に挟んで閉じる。1ページも読めなかった・・。
本への憐憫を何とか有耶無耶にして紙を貰う。
そこの紙には、ワープロの字体でこう書かれていた。
『崇高なる幸福を
掌中に収めてみせる。
セイナン』
「・・ナニコレ?」
赤崎の間抜けなコメントにオレは声を出さず同意する。
「入り口の前?ってことは、とりあえずはオレたちへの手紙ということだな・・」
「はい。ただ、この手紙の意図がサッパリ分からなかったので、部長に見せたのですが・・」
如何せん情報が足りないからなぁ・・。
心の翳りを表情に転写し、江に他の情報の有無を視線だけで問う。
「一応、廊下を探し回りましたがその紙以外には何も見当たりませんでした」
ということは、これを置いていった人物はこの手紙だけで自分の意思を伝えられる自信があったのだろう。
3人で情け無く黙っていると、救いの手が来たのを雰囲気で感じ、思わず顔を上げる。
目の前の2人は紙に意識を奪われているので、後ろから来てる最後の部員に気付けていない。
いや、実はワザと気付かれないように存在感を透かしているのか?
この部活で最も静かな雰囲気を醸し出す美咲は、相変わらず声を発することなく2人の背後に着き、紙を除き込むと、
「・・来週のやつじゃない?」
「うわぁ!びっくりした!」
唐突に耳元で喋ったため、赤崎が教科書通りの反応を披露する。
この件、この2週間で4回も見たな。引っかかり過ぎだろ。
「やっぱ美咲もそう思うか・・でも、来週のやつの詳細が分かんないんだよなぁ」
「来週のやつ?何かあったっけ?」
赤崎が俺の返事を聞いて素直な疑問を口にする。
直後、江が「あっ!」と閃きを態度に反映させる。
「来週と言えばやっぱ『色沢美術館創立25周年記念合同企画』の1日目、ですよ」
「ああー!あそこの美術館とのやつだ!ダンス部と演劇部が頑張ってたかも!」
そう、来週は近くの美術館とウチの高校が手を組んで大規模な企画を行うのだ。
この『色沢高校』がある色沢市には『色沢美術館』という市立美術館が設立されているが、来週で創立25年目なんだとか。その記念に様々なイベントとのコラボ企画があるらしい。
そこで徒歩10分くらいの距離しかないこの高校ともコラボすることが決まったのが去年。毎年秋に行われる『文化祭』を今年はちょっと早めにして、美術館の創立25周年を文化祭で祝うことになったが・・。
「・・でも、なんで来週の文化祭とこの紙が繋がるの?」
赤崎は顎に手を当てて整理をつけているようだが、どうやらまだ答えは見つからないようだ。
「赤崎さんは、来週の合同企画で美術館側が何をするかご存知ですか?」
「えーっと・・何かしらの美術品を、この学校で展示させてもらえるんだっけ?」
「はい、美術館側はいくつもの目玉展示品から代表して3品を展示させるそうですが、どれも数千万円の価値があるらしいです」
それを聞くなり、赤崎は予想通り「えええ!?」と見慣れたリアクションを披露する。
オレも初めてその事を知ったときには「意外だな」と心の底では思ったが、同時に自分と無関係だと考え、脳の片隅に追いやった。
さっきから赤崎と江しか話していないが、急に江が考え込む仕草をする。
「ただ・・私も展示品が何だったかは忘れてしまいましたね。1つは薔薇の絵画だった気がしますけど・・」
「その通りよ、江」
辛うじて思い出した江に返事をした美咲は、
「『夜の赤薔薇』というその油彩画は、製作年及び作者不明で1度は贋作だと疑われたこともあったけど、本物だと証明されてから評価が鰻上りだったとか」
美咲の補足解説を聞いて2人が感慨の声を漏らす。
「よく覚えてるな。気になってるのか?」
「もちろんパンフレットの受け売りよ」
それでも、きっと片手で数えられるくらいの回数しか見てないのだろう。相変わらず恐ろしい記憶力だ。
「ちなみに他の2品もご存知なんですか?」
「えっと、1つは『勇壮な翠玉』っていう宝石ね。英語名は『ブレイブ・エメラルド』で、文字通りエメラルドなの。アメリカの貴族が代々受け継いでいた代物で、今は超金持ちのハリウッド女優が購入したのよね。来月にはその女優に渡されるらしいから、日本で観れる期間はかなり限られているの」
たしかその女優が「手に入れたら指輪にする」と発言して賛否両論になったとか。
この学校の周りでも一時期話題になっていた覚えがある。
ん?勇壮・・?エメラルド・・?
「最後の1つは『宿る命』という彫刻ね。これも世界的な作品だけど、写真を見た感じは『おっさんが叫んでる』ってところね。まぁ、別に『考える人』とかの良さも私には分からないけど」
急に辛辣なお言葉だな。ロダンが空の上でキレてるぞ。
てか『考える人』って『地獄の門』って別の彫刻作品の一部だから、どっちかと言えば地の底でキレてるのか。
「取り敢えず私に分かることは、どれも数千万の価値があるから、もしもこの予告状が本物で、本当に犯行が起きたら大事件になりかねないってことね」
「ち、ちょっと待って!」
右手を大きく振りかぶって美咲の話しを切り上げる。
「どうしたの?」
「今の青里さんの話を聞いていると、この予告状は今言っていた3品のどれかを『盗む』という宣言っていうこと!?」
「ええ、そういうことね」
カバンから水筒を取り出し喉を潤すと、美咲は解説に移る。
「その予告状には『我が掌中に収めてみせる』ってあるでしょ?これって『何か盗みますよ〜』って言意味の決まり文句みたいなもんよ。そして来週には盗んだら利益になり得る品がここに来る。・・そこまで条件が揃えば容易に想像が付くんじゃない?」
やはり分かりやすい説明に、赤崎だけでなく江も聞き入る。
その感嘆も束の間、江がすぐ「でも・・」と不安げに溢し、
「そうだとしても、大切なのは結局『何がターゲットなのか』ですよね?この予告状には『崇高なる幸福』としか書いてないし・・」
そう言って江が美咲を見ると、眉間に皺を寄せて答える。
「そうね・・そのワードが何を示すかはサッパリだけど、それを教えてくれるのはそこで踏ん反り返ってる男じゃない?」
「今のオレが踏ん反り返ってるように見えるなら、眼科をお勧めしよう」
「ただ座ってるようには見えないわよ?」
「お前の最大の武器はいつ欠陥品になったんだ」
小馬鹿にしたような目で急に出番を作る。
ただ座ってるだけなんだが・・。
『崇高なる幸福』がさっきの3つの中でどれかを示しているとしたら、どれが当たりなのかは恐らく特定できる。
目の前で3人がゆったりと推理している中、オレは脳の片隅で推理を張り巡らせていた。
こちらとしては、この盗みを防ごうが防がまいが関係ないので、ぶっちゃけどうでもいい。
ただ、犯人の影を知った今、無益に引き下がるわけには行かない。
それに、江と美咲は頭脳明晰で敏感なのでオレの思考がバレる危険性があるが、赤崎が2人の歯車を狂わせてくれるかもしれかい。
まぁ、犯人の標的を明かしても問題無いだろう。
美咲が分かっていないのが意外だな。
「えっと・・シリアの哲学者カッシウス・ロンギノスが1674年に初めて『崇高について』で崇高論を著したんだ。その中でロンギノスは崇高について『自然の山脈などに対して、壮大さや美麗さを示す』と述べているんだ。つまり、従来の崇高の意味は『迫力がある』とか『勇壮』という意味があったのさ」
記憶を手繰りながら言葉にしていくと、美咲が何かに気づいた顔をする。
「勇壮・・ってことは、幸福ってのは・・」
「ああ、エメラルドの宝石言葉だよ。厳密に言うと、『夫婦愛』とか『希望』とか『癒し』とか色々あるけど、一番有名なのは『幸福』だな」
赤崎は「へぇ〜」と納得したらしい反応を見せる。
「・・つまり、『崇高』は『勇壮』、『幸福』は『エメラルド』を暗示していて、繋げて考えると『勇壮な翠玉』のことを示している・・ってこと?」
赤崎の要約に、オレは無言で首肯する。
そこまで知ったら、このポンコツが考えることは・・
「だとしたら、すぐ警察に通報しようよ!」
「それはやめた方が良いと思います」
赤崎の短絡的な考えに、オレの代わりに江がストップをかける。
「あまりにも情報が少ないこの段階では、流石に取り扱ってくれないかと。伝えたところでイタズラだと笑われるだけですね」
オレたちの身分を明かせば協力するだろうが、それはそれで迷惑だろう。
渋い顔で納得する赤崎の隣で、美咲がいつの間にか持っていた本に目を通しながら、
「それで、部長さんはどうするので?宝石を守るつもり?それとも、面倒だし無関係と言って無視する?」
オレが読書したくて仕方ないのを分かって眼前で堂々とページをめくってやがる。猪口才な。
オレは顎に手を当て、光速で全ての推理を結び付けると、1つの結論を出す。
オレに利益が転がり込んでくる道筋を、結論とする。利益とは即ち、『目的』を達成する近道になる可能性があるものだ。
「・・オレたち探偵部は、来週の文化祭で『勇壮な翠玉』を護衛する」




