最後の夜
暗闇の中、四人の男女が座っている。それぞれがただ無言で、いたずらに流れていく時間に苛立ちを覚え始めていた。テーブルの上に置かれたランプの明かりが、それぞれの顔を照らし出している。その光量は以前と変わらず弱く、リビングの虚ろな雰囲気の装飾を一手に引き受けている。
そこにいる四人の記憶に、その状況は真新しく残っていた。ほんの二、三日前の、ここに来たばかりの際の記憶だ。何かあったような、何も変わっていないような、奇妙な感覚が四人の間で共有されていた。
バンダナの男も、ロングヘアの女も、若い男も、眼鏡の女も。
確実に訪れる無言の時間の終わりを、今か今かと待ち続けている。
四人は、集められた。
すべての結論を出し、ここを去るために。
「……遅い、ですね」
眼鏡の女が静寂を破る。完全な消音状態だったため、その言葉が部屋中にまで響いて聞こえてしまう。
「焦ってしまいます、ね。いよいよなんだって言われてるみたいで」
「そうね。たった数日だったけど、自分の中でもいろいろ変わった気がするわ」
ロングヘアの女がそう返し、
「気持ちは決まってたはずなのにな」
若い男もそう呟いた。
ここまでやってくるのに、長い時間を要した。それは四人とも同じだ。それでも、ここにやってきてからの短い時間で全員の心境には確実な変化があった。
揺るがないと思っていただけに、その変化には少なからず戸惑いが伴った。
「……ここでの時間がないままなってたら、後悔してたんじゃないのか」
ほとんど独り言のようなバンダナの男のつぶやきに、
「かもね」
「ああ」
「はい」
三人も同意する。
奇妙な連帯感が四人の間に生まれる。
瞬間、空気が凍った。
「……待たせたな」
いつの間に表れたのか、四人と向かい合う形で『あの男』が座っている。一切の音も気配も感じさせず、テーブルに両肘をついて四人を見据えていた。その視線は震えあがるほどに冷たく、隙を見せれば殺されるのではないかと思えてしまう。
誰もが同一人物であることを疑った。部屋にやってきてふざけていたあの男が、朝食作りを失敗して苦笑いしていたあの男が、こんな冷酷な一面を持っていたのか。
「結論を――聞こうか」
あくまで冷たく、腹の底に響いてくる声。四人の誰もがそれに反応できず、ただ硬直している。
「お前たちがここへ来た理由は一つ、不老不死になること。それはもはや虚構の物ではなく、ここに実在する。お前たちが不死になるかどうかは、すでに己の判断一つに委ねられているのだ」
口調は格式ばっていて、気さくな様子は微塵もない。薬を受け渡す際の決まり文句なのだろうが、重厚な雰囲気は否応なしに作り上げられていく。
「だからこそ、お前たちに時間を与えた。先走り、誤った選択をしないように」
「……」
誰もが理解していたこと。始めに聞いたときには、そんなことは時間の無駄だと誰もが思っていただろう。たどり着くまでに長い時間を要していたから。
しかし、決して無駄な時ではなかった。同じ境遇の人間と共に過ごすことは、自身の判断を見つめなおすきっかけを与えた。
バンダナの男は、孤児院を助けるため。
ロングヘアの女は、死んだ彼氏と『生きる』ため。
若い男は、人生を考える時間のため。
眼鏡の女は、知的好奇心のため。
目的は同じ。しかし、理由が違う。その差が、それぞれに考えの違いを生みだした。
「しかる時を経た今この瞬間の選択を、本物の意志と受け取る」
鋭い眼光が四人を貫く。しかし四人もひるまず、その目をじっと見つめ返した。
数秒の間が空く。
「……俺は、今までここに来たやつらのことは『客』って呼んでたんだ」
「?」
突然、今までと変わらない口調。まじめであるのに、どこか羽目を外しているような声。
「別に金とかはとらないけど、これから不死になろうって人たちだからな、結構慎重に扱おうって気持ちからそう呼んでた」
「以前にもここに来た人たちがいたんだな」
「ここの存在は以前からずっと昔からあったからな。その気になって探せば、いつもここにあったんだよ」
なるほど、と若い男も納得して見せる。彼らがここに行きついたのも、突然降ってわいた情報に導かれたわけではない。誰も信じていなかったような、埋もれていた情報こそがここへの道しるべとなっていたのだ。
「ま、なんにしても楽な道のりじゃないからな。せっかくやって来た人たちなんだから、『客』として扱うのがちょうどいいと思ったんだ」
「『客』ねぇ……俺たちはそんな風に呼ばれなかったが」
バンダナの男がつぶやく。
「アンタたちは今までの『客』と違っていたからな。うわべだけ取り繕っても、この人たちには通じないって思った」
自分たちにちょっかいを出して遊んでいるように見えたこの男の言動。もしそれが『客』に向けての応対へと変わっていれば――
彼らに今の『選択』はなかっただろう。
「それじゃ……聞くことにしようか、結論を」
まず一番に立ちあがったのは、若い男。やってきた時はいかにも挙動不審な顔つきをしていたが、今の男を見つめる顔に迷いはない。堅い意志を秘めた、悠然とした顔だ。
「俺は、不死にはならない」
言い切るのは一言で。
「時間がないのは変わらない。でも、不死になれば時間が増えるわけじゃないって気付いたんだ」
「ほぅ」
表情を変えずに男が頷く。それはまるで、若い男が不老不死になろうとしていた理由を知っているかのような仕草だ。
「わざわざすまない。ここまで来て、断るなんて」
「いや……俺もその選択が正しいと思う」
男の意見に若い男は一瞬驚いたようだが、「そっか」と言ってわずかに笑い、再び席に着いた。
「私もならないわ」
ロングヘアの女が立ちあがる。毅然とした顔をしていて、こちらも迷いはないようだ。
「彼のためにできること……まだわからないけど、考えてみるわ。きっと今でも、彼は私を守ってくれているはずだから」
「考え直してくれたんだな」
「……アンタのおかげよ。認めたくないけど」
不満そうに眉を寄せる。それでも、決して怒っているわけではない。
「きっと不死になってたら、後悔してたと思うわ。やり方は最低だったけど、アンタが止めてくれたようなものだもの」
そこでますます眉をひそめ、顔も伏せながら、
「……ありがと、ね」
小さくつぶやいて、座った。
その言葉は、男の耳に入るか否かのところで消えた。
「俺は……」
バンダナの男が歯切れの悪そうな顔をして立ちあがった。
「…………なる」
その二文字を口にするのに、かなり勇気を要したようだ。直後、不機嫌そうに舌打ちをした。
「ちっ、やっぱりいざって時になるとなかなか思い切れないな」
それは自分自身に対する悪態。
不死がよいものでないと知っていて、それでもなろうとする人の反応のようだった。
「……後悔は、しないな」
「するだろうさ」
男の心配そうな質問に即答する。
「けど、俺を必要としてる場所があるんだ。確かに不死は怖いさ。けど、それから逃げちまったら何も守れないんだよ」
「……そうか」
亡くなったという、孤児院のおばあさん。
彼が吹っ切れるかどうかに関係なく、彼を必要としているのだろう。
「……そういや、なんでお前はあの手紙が俺のだってわかったんだ?」
バンダナの男は孤児院の事を彼に話してはいない。手紙を自分のところに持ってきたのが不思議に思えたのだ。今まで気付かなかったのが遅いくらいだが。
「あー、えーと……」
男は少し考えてから、
「他の三人の理由は知ってたからな、どれでもなさそうな手紙だったから、アンタかな、と」
「……そうか」
納得はいかないものの、それを疑う理由もない。あまり掘り返してもいいことはないと判断し、それ以上の追及はやめた。
「じゃあ、不死になるってことでいいんだな」
「ああ」
確認と同時に、男が懐から小さな袋を取り出す。口の紐を緩め、テーブルに薬包紙を広げてから、その上に中身を広げた。
あの錠剤が、小さく積みあがる。
男はそれを三錠拾い上げ、別の薬包紙に来るんだ。それを疎ましそうに少し見つめ、バンダナの男に差しだす。
「水いるか?」
「いや、いい」
紙を広げるバンダナの男。手の中におさめられた不死の結晶を見下ろし、じっと何かを考え込む。
そして他の人間の見守る中、上を向いて三錠の薬を口に含み、
一気に飲み干した。
「えー、と、私も……」
残っていた眼鏡の女が、おずおずと立ち上がった。
「なります、不死に」
「え……?」
意外そうな声を出したのはロングヘアの女だ。彼女の今までの発言を聞いていた身としては、その決断はあまりに意外だったのだろう。
「あいよ、わかった」
「え、え?」
男のほうも、嫌にあっさりとそれを認めてしまう。
「待ってよ、あなたそれでいいの? なんかさっきまでは、やめるみたいなことを言ってた気がしたけど」
「……心配してくれるんですね。ありがとうございます」
眼鏡の女が微笑む。やはりそこに、迷いはない。
「でも、大丈夫ですから。後悔は……やっぱり、するかもしれません。長い人生になるでしょうし。それでも、私が不死になるっていうのは意味のないことだとは思いません。バンダナの方のように立派なものではないにしても、なってよかったと思えることがあると思うんです」
聞いていてそれは、子供の言うような無茶な理論にしか聞こえなかった。
なのに、彼女の顔には全く歪みがないのだ。
「……そう」
彼女なら、不死になってもやっていけるのかもしれない。
間違った信用かもしれないが、ロングヘアの女は彼女を止めることをあきらめた。
「ほら、薬」
先ほどと同じように、薬が薬包紙にくるまれて渡される。
男は、なぜか彼女に対してはあっさりと不死を認めてしまった。それは不可解ではあったものの、口出しは控えた。
ここで何か文句を言ったところで、眼鏡の女の決心は変わらないのだ。
「あ、水、おねがいします」
「ん」
どこから持ち出したのか、コップに注がれた水が差し出される。眼鏡の女はそれを受け取ると、躊躇いなど全く感じさせないまま薬を含む。
そのまま、水とともに流し込んでしまった。