表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

決断を待つ現

 足取りが重い。それは先ほどロングヘアの女に何度も顔を殴られたからなのか、これからバンダナの男に凶報を届けなければならないからなのか。

 孤児院のおばあさんが亡くなった。

 口にしてみればひどく簡単なことだし、会ったこともない人の死がそれほど辛いわけでもない。しかし、バンダナの男が彼女の事を慕っていたということは明白だ。表向きでは平気そうにふるまい、それでも彼の心が背負うダメージは相当なものだろう。

「これでいいのかなぁ、俺」

 急な角度の階段が、いつになく短く感じられた。




「これでよかったのかなぁ、俺」

 若い男が虚ろ気にそんなことをつぶやいた。それは単なる独り言だったのだが、同室するバンダナの男にもよく聞こえる声量があり、結果としてバンダナの男の注意を惹きつけてしまった。

 若い男も聞かれてしまったことに気付いたようだが、それでも慌てた様子は見せない。

「何のことだ?」

 訝しげに訊き返す。バンダナの男はまだ口の中の異物感に眉をひそめていたのだが、若い男の表情に浮かぶ複雑な感情はそれとは違う理由のようだ。

「……ここに来たこと。自分の考えがいかに甘かったのか、痛感させられたよ」

 悲痛な心の叫びが聞こえてくるかのようだ。さっきまで居座り続けていた朝食の悲劇もどこかに消し飛び、今は彼の辛辣な様子に眉をひそめることとなっている。

「妙に弱気だな。ここに来るまでに覚悟が出来てるものかと思ってたが」

「それは独りだけで考えてたからだ。同じ不死になろうとする人たちと比較したことがなかったからな」

 若い男の口元に自嘲するような笑みが現れる。バンダナの男も、立場こそ違えど同じ目的地を目指して歩いてきているのだ。彼が道中でいかに思い悩んでいたのかも、判断が完全に自分ひとりの責任であることもよく分かっているのだ。

「俺の不死に対する覚悟は……ホントに浅はかだったよ。アンタの話を聞いてそう感じた」

 不死になろうとする理由の重量。少なくともバンダナの男のそれと若い男のそれは、天秤に乗せるまでもないほど圧倒的な質量差がある。お互いにそれを自覚しているので、若い男の独白を止めるものが何もない。

「……お前は、不死にならないのか」

「分からない。時間がほしいのは今も変わらないんだけど」

 判断は、完全に自分ひとりの責任。

 それ以上は、バンダナの男も口を出せない領域だ。

「……じっくり考えな」

 唯一言える言葉が、それだけだった。

 そして、場が沈黙する。


 図ったかのようにノックの音が響く。若い男は過剰に反応したが、バンダナの男がドアを睨みつけてから開けに向かった。

「あ、どうも」

 薬の男の顔がそこにあった。

「……何の用だ」

 今は明らかにこの男が来るべきでない状況だ。この男の放つ言葉が、若い男にどんな負荷を加えるのだろうか。自分の事でない分、その予測はより難しい。

「今はまずい。とりあえず後にしてくれないか」

 返答を待たずにそう言って扉を閉めようとしたが、男は苦笑いをしながら小さな紙切れを見せつけてきた。

 一枚の葉書。

「……なんだ?」

「大事な話だ。入れてほしい」

 その声は今までになく沈んだ様子があったので、バンダナの男もためらわずに扉を開放した。

「悪い。何か不都合でもあったかな」

 顔色のすぐれない若い男に気を使ったのか、薬の男は部屋の入口で足を止める。若い男のほうは薬の男の入室にも反応を見せず、俯いて思考にふけっているようだ。

「気にしなくていい。それより、その葉書はなんだ」

「……見ればわかる」

 手渡されると同時に、目をそらされる。何のつもりかと疑問に思ったのは始めのうちだけで、裏面を見てすぐにその理由を理解した。

 印刷された決まり文句。ボールペンで描かれた自分の名前。

 そして、最もあってほしくないと願っていた喪中の案内。

「……」

 黙る。ただしそれは、単なる沈黙ではない。

「……俺に、何か言いたいことは?」

 薬の男が目をそらしたまま問う。罵倒の言葉がないか訊いているともとれるが、バンダナの男が頼み事をするタイミングを、その質問で作ったともとれる。

 その行為に、心内で感謝を述べる。

「……薬をくれ。もう俺には、時間がない」

「そうか」

 薬の男は、バンダナの男に説得を試みることはなかった。代わりに、項垂れている若い男のほうへと視線を移す。

「今夜、リビングに集まってくれ。そこで全員の『意志』を訊く」

「……」

 若い男は哀しそうに薬の男と目を合わせたが、何も言わずに頷いた。



 気まずい、と口にしてしまえば簡単な言葉が、眼鏡の女にとっては何よりも鬱陶しい事この上なかった。その場に自分が存在していいのか、彼女を独りにするべきなのかどうか悩んでしまうほどだ。

 今の眼鏡の女から、ロングヘアの女の顔は見えない。ただ、やはり見なくともそこに明るい表情がないことくらい容易にわかる。

 眼鏡の女からかけられる言葉など、存在しないのだ。

 黙るしかなかった。

「……ねえ、あなた」

 ロングヘアの女から発せられたその一言は、ある意味では助け舟となったかもしれない。

「な、なんでしょう」

「ごめんなさい、取り乱してしまって」

「い、いいえ……」

「分かってたつもりなの。これはただの自己満足だってね。それでも自分を止められなかったのは、きっと……いえ、やっぱりいいわ」

 首を振って、ロングヘアの女の顔が上がる。

 想像していた以上に、その顔は無表情だった。

「それよりあなたよ。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない? ああ言ってたけど、あなただってあの二人にまで話したくはないでしょう?」

「え、あ……」

 話の矛先が急に自分へと向けられ、眼鏡の女はまずうろたえる。

 それでも、彼女の言うことも間違っていないのだ。自分の事を残りの男性二人に明かすつもりなどない。

 しかしそれは目の前の女性にとっても同じことで、眼鏡の女としては自分のことなどすっかり忘れてくれることを期待していたのだが。

 この状況で、目の前のロングヘアにそれを求めることは不可能だろう。

「あ、あの……ホントにバカバカしい理由ですよ?」

「大丈夫、私たちも十分バカげた理由でここにいるから」

「きっと、あなたの想像してるよりもずっと下らないことですよ?」

「想像を上回るという意味では、むしろ聞きたいわね」

「……その……笑わないでくださいね?」

「ええ、笑わないわ」

 母のような優しい微笑み。それを信じたわけではないのだが、眼鏡の女の回避は終了し、打ち明ける側に心の天秤が傾いていた。

「じゃ、一言だけなんで、聞き逃さないでくださいね」

「一言?」

 ロングヘアの女が眉をひそめるが、構わず眼鏡の女は続けた。

「……好奇心、です」

「え?」

 意味がわからない、と言いたげな表情。今何て? と訊き返されるのが目に見えているので、それを言わせないうちに補足説明を加えていく。

「だって、不老不死ってとても興味をそそられませんか? 現代の科学力では未だに解明できない謎なんですよ?」

 眼鏡の女の体が乗り出す。反対に、ロングヘアの女の体が少し退がる。

「それが手に入って、自分自身で体感できる。だから、なってみたいと思ったんです」

「……それだけ?」

「はい」

「そんな理由で? ここまで?」

「……言ったじゃないですか、下らないって」

 赤面し、それを隠すように目をそむける。ロングヘアの女は呆気にとられているのか、顔色の変化には気づいていないようだ。

 それからほとんど間をおかず、ロングヘアの女がこらえきれなくなったように吹き出した。

「あ……! ひどいですよ、笑わないって言ったのに!」

「ご、ごめんなさい……フ、フフフ……」

「まだ笑ってるし!」

 眉を吊り上げて抗議すると、ようやくロングヘアの女の笑い声もおさまり始めた。

「いえ、その……あんまり些細なことだったから、ずっと思い悩んでた私がバカみたいに思えちゃってね」

「……そんなことないですよ。私より、ずっと深い意味があって、大切なことだと思います。私も実感しました、こんなテキトウな理由で不死になろうとするのは失礼だって」

「そう思う? 私たちだって、結局は慢心だけのためにここにいるのよ。あなたがそうなら、私たちも一緒だと思うわ」

「そう、ですか?」

 自分に自信が持てず、俯いてしまう。そんな眼鏡の女に、ロングヘアの女は何も言ってこなかった。

 ここから先は、独りで考えるべき事。

 もうお互いに、口出しはできないのだ。


「おーい、また失礼。突然で悪いんだが……」

 先ほどロングヘアの女にボコボコにされた男が、再びドアの向こうから声をあげていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ