交錯する理由たち
暗黒。自前の灯りを消してしまったので、何も見えない。この一日の間だけで考えても、同様の暗闇は何度も目にしてきた。関わろうとしている事柄がいかに黒いものなのかを比喩しているかのようだった。
少し顔を起こし、顔の上半分だけを覗かせて部屋の中を見渡してみる。もちろん闇色に染まった部屋の何かが見えたりすることは無い。
眠れる気がしなかった。まるで子供のような理由だが、先刻見たばかりの夢の記憶が頭にこびりついて離れないのだ。このまま睡眠の中に沈めば同じ夢が見れるかもしれないが、緊張したような興奮状態に陥っていて睡魔を忘却してしまっていた。
「ん……」
体を起こし、頭を掻く。自分の声だけが静寂の中に嫌というほど反芻され、高なった鼓動の中にその存在を主張し続けている。
情けなかった。
同じ内容の夢など、何度も見てきたはずなのに。
どうして今回に限って、これほどまでに胸が締めつけられるのか。
あと少しの辛抱で、もう苦しまなくて済むはずなのに。
「……仕方ないわよね。いよいよ、なんですもの」
無音の中に、誰に向かって言い訳しているのか。
それはおそらく、自分自身に。
もうすぐ手に入る『不死』がそうさせるのだと、無理矢理に自分を納得させる。そして自身をごまかすように乱暴にベッドにもぐりこむ。
眠れるとは思っていない。
「……、…………」
「……!」
小さな声が、彼女の耳に響いてくる。無理に眠ろうとしていた彼女の鋭利な神経に、それは劇薬のように作用してしまった。
恐怖ではない。ある種、好奇心のような。
「隣の、部屋、からかしら」
再び起き上がると、声の聞こえる方の壁へと耳を近づけた。
「俺は孤児でな、親の顔を知らないまま育った」
始まりは衝撃的なカミングアウトからだった。
「孤児院には同じ境遇の奴がたくさんいてな、別に親がいなくても淋しいことは無かったな。そこにいる全員が俺の『家族』みたいなものだった」
ふと、それまで険しかったバンダナの男の表情が懐かしそうに緩む。もちろん、若い男に彼の思いだしているものが分かるわけではないが、彼にとっていかに大切なものなのかは容易にくみ取ることができた。
「俺たちの『親』は、白髪ばっかりのばあさん一人だった。……ああ、名前を教えてくれなかったからこんな呼び方をしてるが、俺は彼女に感謝してるし、本当の親だって認めてるつもりだぜ」
「しかし聞く限りだと、その人もずいぶん苦労したんじゃないのか?」
「ま、孤児院は貧乏なのが常だからな。高校までは行かせてもらったんだが、大学はとても入れるもんじゃなかったな」
「……聞いてても実感できないけど」
親が裕福で、大学に『行けない』という状況を考える必要もなく医大に進んだ。その事実は決してやましいものではないが、彼にそれを知られると気まずくなるのは間違いないだろう。
バンダナの男も明後日の方向をむいているので、若い男も彼に視線を向けようとしない。
「で、そのばあさんが……五年前、倒れたんだ。俺は自立した後もちょくちょく顔を出してたんだが、見つけた時は洗濯の最中だったみたいで、金ダライの前でぐったりしてたよ」
「……孤児院の子たちは……」
「俺以外にも顔を出してる奴らがいたからな、そいつらに面倒を任せて病院に連れていった。まあ、ただのストレス性胃炎だったんだが……歳が歳だから、しばらく動けなくなっちまったんだ。その間は当然、孤児院はほったらかしになるわけだ」
ちら、と視線を向けると、バンダナの男の横顔は懐かしそうに笑っていた。
その中に、当時の苦労の思い出も、どうしようもない寂しさも含めて。
「もうばあさんは退院して孤児院に戻ってるが、相変わらず一人っきりで切り盛りしてる。口に出して言うのもなんだが……ばあさん、もう無理できる歳じゃないんだ。考えたくないが、もう長くないかもしれないんだよな……」
「……」
それは恐怖ではなく、単なる未来の予測なのだろう。
口にするのに、バンダナの男は口ごもった様子も見せなかった。
「俺は、同じ出身の奴らとその孤児院を守ろうと考えた。ほとんど実家同然の場所だし、今でも預かってる孤児は沢山いたしな。俺はもう定職についてたんだが、そこもやめた。そこがなくなっちまったら、俺が生きてる意味までなくなっちまうような気がしてな……」
高卒で就職するのも決して楽ではなかっただろう。その上で仕事を辞めたのは、それほど彼の意志が強いことを表している。
そこで、一瞬若い男の思考が止まる。
それならば、彼が不老不死になりたがる理由とは?
「俺はもう自分を捨てる。俺はどうなっても構わないが、あの孤児院だけは何としても残ってほしい。思い出も故郷も無くして生きていくのは、俺にとっては地獄でしかないからな」
「……」
「俺は不老不死になる。そして俺はその体で、あの孤児院を支え続ける。永遠にな」
永遠という言葉に、力がこもっていた。
それはやはり、楽なことではないだろう。死ぬことも老いることもなく、ただひたすらに孤児院の存続のためだけに毎日を繰り返す。そして死ぬことが無いのだから、それに終わりはない。
若い男にとっては、彼の言う地獄よりもそれの方がずっと辛辣な印象を受けた。
ならば、止めるべきなのか。
「……」
「あん?」
言葉が出ない。
どう言葉を紡げばいいのか、彼の頭では思いつかない。
自分にそんな意見を述べる資格がないことを知っているから。
「……いや」
訝しげに見つめてくるバンダナの男の視線から、若い男は申し訳なさそうに手を振って逃げた。
「孤児院、上手く立て直るといいな」
「……なんだ、気持ち悪い」
バンダナの男は眉をひそめながらも笑って見せた。
それから、その笑顔が急に意地の悪そうなものへと変わる。
「そうだ、おまえが何で不死になろうとしてるのか興味があるぞ」
「はぁ!?」
「俺が話したんだから、順序からいっても今度はお前の番だろう。さあ話せ。話すまでお前を睡眠の元へは行かせないぜ」
「……はぁ」
溜息をついたが、若い男もまた呆れたような苦笑いをして見せた。
この急な話題変換は、彼がいつまでもその話に縛られないようにするための『照れ隠し』なのだろう。まるでガキ大将のように遠慮なく質問攻めにしてくるが、その瞬間に限っては若い男にとっても悪い選択ではないように感じられた。
「分かった分かった、話すから。だからもう少し落ち着いてくれ」
そう言われてベッドの上に座るバンダナの男の顔は、すっかり話の前のものに戻っていた。
不死になるべきなのか。
その葛藤を無数に巻きこんで、夜は更けていく。
もうすぐテストです。もうそんな時期です、はい。
ただでさえ更新のペースの遅いこの小説がさらに遅れてしまうわけです。
熱心に読んでくださっている方がいらっしゃるのかは不明ですが、さらに更新まで時間が空いてしまいますのでここで簡易的な謝罪を。どうもすみません。