不死に悩むモノたち
その場を流れる空気は重い。いや、刺々しいと表現した方が正確だろうか。
その雰囲気を一身に醸し出しているのは、バンダナの男。そしてそんな重い空気をはねのけて相変わらず飄々として対峙しているのが、薬を渡した男だ。若い男はそんな二人を左右に捉え、何も言うことができずにいる。
「ずいぶんと世話焼きなんだな、あんたも」
バンダナの男が首を傾けて呆れるように言った。
「あの女ほどじゃないさ。それに、あんたをやりたいようにさせたままってのは薬を渡す側としてまずいと思ったし」
「俺もずいぶんと下に見られたもんだ。気が短いのは自覚してるが、思慮分別が無いわけじゃないつもりだぜ?」
「説得力はないな」
「……いちいち癇に障るやつだ」
四人でいるうちはどれほど彼の態度に苛立っていたのか、バンダナの男は彼の機嫌を窺うようなそぶりを見せない。性格から相性が悪いらしく、少なくともバンダナの男は明らかに敵意をむき出しにしている。
薬の男が気まぐれで彼に薬を渡さないと言い出した場合を、バンダナの男は考えていないかのようだ。むしろ、薬をもらえなくても構わないと言っているようでもある。
「ふ、二人とも……もう少し落ち着かないか……?」
若い男の言葉が、虚しくその場に攪拌されて消えていった。
沈黙。酷く排他的で、若い男は居心地が悪そうにそわそわしている。あとの二人は、そんなことお構いなしといった様子で向かい合ったまま、全く動こうとしない。
「……じゃあ、こうしよう」
不意に、薬の男がパチンと手を叩いた。
「あんたに薬をあげる条件として、あんたが不死になりたい理由を教えてもらう。これで問題はなくなるわけだ」
「なに?」
それを聞くなり、バンダナの男が一層殺気を増した。
若い男が数歩後ずさる。その後ろには部屋の扉があり、それとなく部屋から脱出しようとしているのが分かる。もっとも、そうすれば彼は部屋に戻るのがよりやりにくくなってしまうだろうが。それでも彼は、そこにいるべきでないと悟っているのだ。
「何が問題ないだ。それをお前に教えなきゃいけない理由があると思ってるのか?」
「ああ。だって俺は不死を与える側の人間だからな、知る権利はある」
何を当たり前なことを、と言いたげな視線がバンダナの男に向けられる。それに睨みかえすバンダナの男の顔は、もはや鬼と表現できるほど怒気に覆われている。普通の人間なら、とてもその先にいて平気ではいられないだろう。若い男も例外ではなく、その直後に音をたてないようそっと部屋から抜け出した。
薬の男はその視線を受けてなお、平然としている。自分が相手より強いと分かっていなければそうそうできないような態度だ。
「別に、頑なに黙秘するようなものでもないがな。俺が気にいらないのはあんたのその態度だ。俺たちは確かにあんたにすがってるような立場だがな、決してお前の玩具じゃないんだよ。俺たちを弄ぶようなその態度を見てると、イライラしてくる」
「なるほど」
そこでようやく、薬の男も多少真面目な表情になった。少し考え込むような仕草をした後、苦笑しながら頭を掻いた。
「それは悪い。よく仕事仲間にも言われるんだが、俺はどうもからかってると思われるような言動ばかりしてしまうらしい。自覚があってしてるわけじゃないんだが、それで気を悪くしたならすまなかったな」
「……」
急な変貌に、バンダナの男は呆けた顔になってしまう。
「でも、よく考えてほしいのはホントだ。世間一般で言われている通り、不老不死ってのは必ず喜ばしいものじゃないんだ。使い方を間違えれば永遠の不幸を与えるものになるし、多くの人を傷つける要因にもなる。それを確かめる意味でも理由を聞いておきたいと思っただけさ」
過去にそう言った人がいたかのような言い回しが引っかかったが、バンダナの男はひとまずそれに納得したようだ。やり場のなくなった不満の扱いに困っているといった様子ではあるが。
「……もう少し考えさせてくれ。あんたの言った意味を、もう少し探ってみたほうがいいみたいだな」
「そう思ってくれただけでも十分だけどな」
薬の男は、最後に気持ち悪い笑みを見せつけた後、部屋を出ていった。
「ま、今日はもう休みな。それからあの若い兄さんも声かけとかないと、部屋に入りづらくなってるだろ」
去る手前、扉の前でそんなことを呟く。
「ああ、そうだな」
バンダナの男の返事は、ひどく無機質なものだった。
頭にそっとのせられる手。とても大きく、とても温かい。
恥ずかしいのは勿論だが、それでもやめてほしいとは思わなかった。
「あんな奴らのこと気にすんなよ。ひがんでるだけなんだから」
励ますようなその言葉に顔をあげる。涙が溢れて何もかもぼやけて見えるが、その顔だけははっきりと見えた。そして彼女の脳裏に深く刻みつけられる。
「だからもう泣くなって。またからかわれるぞ」
頷き、立ち上がる。それを確認した彼は、彼女に満面の笑顔を見せた。
それが彼女には何より嬉しく、ついさっきまで執拗に暴力を振るわれていたのがその瞬間だけ忘れられた。
何か言おうとするが、彼女の喉が潰れて声がでない。それほど長く泣いている自覚が彼女には無かったのだが、その喉の様子ではかなり長く泣いていたようだ。
彼は何も言わず、彼女の涙を人差し指で拭う。少しだけ見やすくなった彼女の視界に、今度ははっきりと彼の笑顔が映る。
「やっぱりお前、キレイな顔してるな」
恥ずかしがりもせず、彼はそう言った。
「……」
目が覚め、体を起こしていた。目じりの横に痒いような感覚がある。
「夢、か……当たり前よね」
今しがたの夢に起こされたことは明白であり、ロングヘアの女は名残惜しそうにしながらもひとまず部屋の中を見渡した。
部屋の窓から見える外は闇色をしていて、まだ深夜であることが窺える。再び睡眠にいそしんでも問題ないだろう。願わくば今の続きを見たいとも考えたが、朝起きて自分が泣き孕んでいたら眼鏡の女はどんな反応をするのだろうか。そう考えると、もっとくだらない夢の方がロングヘアの女には喜ばしいものに思えた。
そう思って横のベッドに視線をやった。
「あら?」
無人……そこには、誰の姿もない。
眼鏡の女が就寝するところまではロングヘアの女も確認済みだ。ずっと見張っていたわけではないが、少なくとも彼女自身が就寝するまでその部屋を出入りする気配を感じることは無かった。
とすれば、眼鏡の女はかなり夜が更けてからそこを抜け出したと思われる。
「……トイレ、かしらね」
自分に言い聞かせるようにわざわざ声に出し、ロングヘアの女は再びそこに横になって目を閉じた。
「話って、なんですか」
眼鏡の女の言葉に、彼女らしい明るさは無かった。
暗い廊下。物の形さえ判別できない暗闇の中に彼女は立っている。すぐ横には窓が構えているが、入ってくる光は皆無に等しく視界の補助にはなっていない。
「いや、大した話じゃ……あんたにとっては大した話かもな」
窓を挟んだ反対側に立っているのは、部屋から出てきていた若い男だ。やや気難しそうな表情が暗闇の中でかろうじて浮かんで見えるが、ほとんど見えないのと変わりないほどにその色は黒い。
頭を掻く若い男。眼鏡の女はじれったそうにその様子を眺めているが、彼が何を話そうとしているのか分かっているらしく、言葉で彼を動かそうとはしていない。
「あんたは、俺たちが不老不死を求める理由を振りかえる必要があるっていってたよな?」
「……ええ」
小さく返事をする。若い男の放つ殺気とも違う複雑な気配に、眼鏡の女はたじろいでいるようだ。
「俺は……それは間違ってないと思うんだ。確かに、ここでもう一度初心に帰ることは重要なんだろう。ここに来るまでは何かに必死になって見えてないものがあるはずだからな」
「そう思っていただけただけでも、嬉しいです」
「でも、バンダナの男が言ってることも間違ってないんじゃないか? みんなとの会話で新しい発見があるのはあいつも分かってるはずなんだ。ただ、不死になりたい理由を会って間もない人間に軽々しく話すのは抵抗があるのも事実だ。少なくとも、バンダナの男はそう感じてるだろうな」
「そう、ですね。分かってるつもりでいるんですけど、このままでいるのは皆さんのためにならないような気がして……えーと」
眼鏡の女が口ごもる。はっきりとしない自分の意見があやふやな口調で表され、結局何を言おうとしているのか分からなくなっている。
「何が自分のためになるのか、誰も分からないさ。話すべきだって判断したら向こうから話してくれるだろうし」
「……あなたはどう判断したんですか?」
唐突に話の矛先が自分に向き、若い男はやや口ごもる。
「俺は……一人で決断すると後悔するかもな。だからって全員がお互いを支え合おうとも思わない」
突き放すようなその言葉に、眼鏡の女が少し俯く。
だが若い男は、そんな彼女に向けて僅かに笑って見せた。
「支えてもらうつもりはない。だからここであんたに話すのは、悩みを分かち合いたいなんて理由じゃない。自分の考えを整理するための手段に過ぎないんだからな」
「え?」
顔が上がる。それは意外そうな様子で、しかも嬉しそうに。
「バンダナの男に話すよりは、あんたに話す方がよっぽど安心できる気がするんだよ」
「あ……ありがとうございます」
暗い廊下に弾んだ声が響いていく。部屋にいる二人が驚いて出てくるのではと若い男は不安になったが、飛び出してくる様子はない。ほっと安堵の息をもらす。
視線を眼鏡の女に戻した。とても喜んだ様子で、目が輝いている。最高の玩具を見つけた時の子供のような顔をして、若い男が語りだすのを今か今かと待っているようだ。
「……そういう顔で聞くのも違う気がするんだけど」
「あ、そ、そうですね」
恥ずかしそうにするが、嬉々とした感情は全く隠されることが無い。
「ホントに話すだけだからな。聞いたらすぐに忘れてくれよ」
「分かってますよ」
彼女の表情を見ると、その言葉も全く説得力が無いように思えた。