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死が彼らを巡り合わせるまで  作者: 直紀けい
第一章 砂上の贄柱 スナトリ
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2-4 アンタは、何の制約にも縛られていないのか

 砂漠の地スナトリ。広大に敷き詰められた砂の絨毯。全てを焼き尽くす灼熱の太陽。おおよそ生命の宿らぬ実りの無い大地は、微かな希望と共に命が営まれている。水を多分に含んだものは切り捨てられ、乾ききった動植物が砂漠を這い生き長らえていた。

 熱帯乾燥地域。人が住み易いかと問われれば、迷った末に否と答えるような場所である。人体を構成する水分の量は半分以上。六十パーセントほどだっただろうか。水を多量に必要とする生物が何故、砂漠の地で生活出来るかと言えば水の確保をしているからだった。

 この地はオアシスを真ん中に、砂漠の民が生活する町がぐるりと広がり、そして民を守るように樹木で囲まれている。広範囲の森林に一歩足を踏み入れれば、そこが砂漠だとは誰も思わないだろう。隗斗は少女みくの説明に「ふむ」と一節区切る。


「オアシスと近接しているし、緑も生い茂っているから生活し易いでしょうね」

「そう! 実り神様がいらっしゃるっていう古くからのお伝えだよ」

「実り神様?」

 みくの弾んだ声で発せられた単語を鸚鵡(おうむ)返しにすれば、黙々と歩いていた雪彦がぼそりと口を挟む。

「…古来より崇められている作物の神のことだ。森の奥にも祠がある」


 (砂漠の民が、雨乞いをせず作物の神に祈りを捧げるとは)

 隗斗にはあまり実感が湧かない。水が限られている場所での雨乞いは実に理に適っている。雨乞いとは、雨を望む人々が儀礼を行い祈祷を捧げる行為だ。祈雨(きう)とも呼ぶ。

 生命の還るべきところ。水から生まれた我らは、水のもとへ終焉を辿る。母とも呼ぶべき雨水は、神からの贈り物と考えられている。故に、その贈り物が一等少ない場所や雨が途絶えるのは神罰である。雨乞いの真髄は神のご機嫌伺いだと、隗斗はどうしても穿ってしまう。

 砂漠の地に住まう者が、雨乞いを超えて実り神に祈りを捧げているとなれば、旅人は不可解に感じてしまう。順序の狂いとも違う、畑違いともまた異なる妙な違和。胸中に広がる不可思議な感情は上手く言語化出来そうにないので、大人しく口を閉ざすことにした。

 そもそもの話。神を信じる心の仕組みはまだ納得が出来る。だが、隗斗が真に理解することは不可能だろう。自分が信ずるものは自身のみ。他者…それも無形のものを信じるくらいなら、手堅く武器のひとつやふたつ新調するだろう。

 信じる者は救われる。あまりにも無責任で、身勝手で、お粗末だ。信仰自体を否定はしないけれど、自身を忘我するようになれば話は別。関わりたく無いのが隗斗の正直な意見だった。


「毎朝、祠にお供えもしているの。少しばかりのトウモロコシとか、豆ばっかりなんだけど」


 実り神様、毎日それじゃ飽きてしまうかしら?と冗談っぽく口にするみく。盲信。愛執。マスカットによく似た少女の若葉色の瞳から、それらの類は見受けられなかった。

 彼女の様子を見るに、隗斗が関わりをお断りするようなものではなさそうだ。隗斗は安心して頷く。「信仰心が強いのは良いことですね」旅人は相槌を打つ。何であれ、他人に無害なら否定はしない。進んで肯定もしないが。

 以前に邪教徒に追い掛け回された経験を思い出し、出来れば二度とそんな目に遭いたくない、と記憶の底に仕舞った。邪教徒の爛々と不気味に光る目に、総毛立ったのは言うまでも無い。苦い過去は黙殺するに限る。


「隗斗は何か信仰している神様はいらっしゃる?」

「僕は別に。強いて言うならば無神論者でしょうか。生まれた場所が場所だったので、そういう信仰は特に芽生えませんでしたね」


 隗斗の生まれ落ちた場所に神は居なかった。と、言うか。神を信じる前にこちらから見限ったとでも言えばいいのか。

 親を愛する前に。きょうだいを好く前に。友を得る前に。隣人に親切を考える前に。明日どころか今日、宵越しの命に成れるかどうかの瀬戸際の毎日。見知った顔がいくつ消えただろうか。指折り数えたら何人の指が必要か分からない。

 神のご威光を唱える者は存在せず、ただ己一人で生きる輩が多かった。それだけだ。それぞれの神が存在し、数多くの信じる者の中に、隗斗は居ないだけ。


「アンタは、何の制約にも縛られていないのか」


 一番前を歩いていた雪彦が小さく呟く。

 声のトーンや言葉が何故か引っ掛かり、何気なく振り返ると雪彦は俯いていた。ジッと見詰めていれば視線に気付いたのか、ふと雪彦は顔を上げる。フードから覗く瞳は弱々しく映ったがすぐに逸らされた。

 何か、彼の気に障る言動をしてしまったのだろうか。信じる神が居ない身が、気難しくて心優しい彼を傷付けてしまったのか?と隗斗は怪訝に思う。雪彦の声色から察し取れたのは、羨望、だろうか。一番色濃く抽出されたそれは、言葉とは裏腹に強い嫉妬を抱かせる。

 雪彦は意味深だったが、追及されない以上、深入りする必要もないだろう。記憶の端に留めておく程度で良いかと隗斗は前に向き直った。その拍子に、額から滲んで流れた汗が顎を伝って落ちる。隣を歩いていたみくが「わあ」と声をあげた。


「隗斗は暑がりさんなの? あっ、わかったわ! お生まれは北とか寒いところでしょ? あたり?」


 違いますよ、とお茶を濁し曖昧な返答をする中、隗斗の思考は別の方角を向いていた。

 それにしても、と少女を見て思う。

 みくはよく喋る。楽しげに、嬉しそうに、それはもう早朝のスズメのように。決して悪い意味ではない。むしろ感心してしまうほどだ。

 話の内容は決してくだらないものではなく、語調は全く喧しく無い。何処かの喫茶店でかけられる音楽に似た安心感と言えばいいのだろうか。雑談。そう、取るに足りない雑談は癒しにも似ている。

 耳に心地良く滑り込む少女の声は軽やかだ。顔はにこにこと柔らかな表情を浮かべ、瞳は嫌な色を見せずに弧を描く。隗斗は合間にうんうんと相槌を打ちながら、何とも言えぬ心地良さを感じていた。


 (なんだろう、自分が率先して話さなくてもいい空気は新鮮だな)


 確固たる目的があって旅をしている隗斗は、当然のごとく対話スキルが必要とされる。コミュニケーション能力は普段の生活はもちろんのこと、探し物をする身としては必須だろう。

 想像タイム。顔を隠し、暗い雰囲気を醸し出し、ぼそぼそと小さな声を落とし、にこりともせず話しかけられたら人はどう思うか。

 …怖すぎでは?普通に不審者だと即効で思うはずだ。少なくとも隗斗は、もしそのような風貌の者に声をかけられたら即座に通報の文字が思い浮かぶ。お巡りさんここですと大声で助けを求める。

 だからこそ隗斗は人当たりの良い青年を演出している。長旅で最低限の清潔しか保てないものの、顔を晒し、出来るだけ爽やかに見えるよう表情も作っている。声色は努めて流麗に。

 尋ねる内容が内容なだけに、外見まで怪しかったら完全に危ない人決定だ。

 忌み色の瞳を持つ自分では、畏怖され差別される場合もあるが…


──「他人のために自分を変えるのはどうかしている」


 以前、誰かにも言った言葉だ。


 赤は忌むべき色。危険を表す色。汚らわしい色。気味の悪い色。恐怖を増幅させ、人を狂わせる魔性の色。故に、世界では赤という忌み色を持つ者は迫害されるのが常だ。

 確かに、世界共通で忌み嫌われるものだとしても、持って生まれたからには変えようもない。

 隗斗の場合は片目一つということもあり、色を変える魔術やカラーコンタクトを使えば容易く人々の忌避の視線から解放される。

 だが、それを恐れて隠すのは癪だろう。忌み色を隠してしまえば安全が約束される。差別から逃れられる。そのためだけに、隗斗は自身の瞳を秘めるのは非常に遺憾だ。他人の嫌悪という煩わしさよりも、ありのままの自身を選んだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、隗斗が思考に没頭していると「おう、お客人!」と野太い声が浴びせられた。


「もう歩き回ってもいいのかい、元気でよろしいこった」


 そう言って豪快に笑う大男。端正とはまた違う、そう、ハンサムと言えばいいのか。実直そうな顔立ちの彼は、熊と戦っても勝鬨を上げるであろう巨体だ。

 年端もいかぬ少女であるみくはおろか、立派な青年の隗斗や雪彦でも片手で簡単に持ち上げられると推測出来る。雨に濡れた大地色の髪はさっぱりと短く好印象を抱かせた。やや垂れ目がちな柳緑色の瞳は、こちらをしっかりと見据えている。額から左目を通り、顎まで引かれた一閃の切り傷が彼を武人と物語っていた。

 彼の名はヒロムネ。隗斗が熱中症で倒れ運ばれた時、自分が営む店を投げ出して顔を見に来てくれた砂漠の民の一人である。


「はい、ムーさん。おかげさまで」

 互いに名乗った際、気軽にムーさんと呼べと言われていたことを思い出す。

「旅人さんは、今後のご予定はどうなってんだ? まさか、すぐにここを出て行くなんざしねぇだろ?」

「さすがにそこまで若くありませんよ」

 熱中症でぶっ倒れてすぐさま旅に出るほど体力馬鹿ではない。揶揄の交じる言葉に苦笑で返す。

「しばらくスナトリで厄介になります。準備が整い次第、また旅に出るつもりですよ」

「カカカ。よしよし若人よ、たくさん食べてでっかくなれよ~」


 ヒロムネは出店(と言っても、小さな子供や足腰の弱い老人向けの店らしい)の商品を一つ摘む。彼の手の平に覆われてしまえば、あっという間に標準サイズの梨が見えなくなってしまう。そのまま、瑞々しい梨をぽいと投げて寄越された。

 お代金を、と懐を探る前に「これはオレっちの快気祝いってやつだぜぇ」と笑い飛ばされた。ガハハ、と大口を開けて笑う姿に思わず申し訳無い気持ちも吹き飛ばされる。


「雪彦、みくの! お前らにもやろう、ほれ」


 隗斗だけに留まらず、彼は新鮮な色をした梨を二つ放る。

 みくは難なくキャッチしたが、雪彦はぼうっとしていたらしい。眼前まで放り投げられた梨にギョッとし、わたわたと梨を受け取った。


「ありがとムーさん!」

「……」

「雪彦もお礼を言わないといけないわ」

「あ、ありがとう…」


 年下の少女みくに注意されたのが恥ずかしかったのか、雪彦は羞恥心いっぱいでお礼を口にする。その声は細く、ヒロムネまで届くかどうか隗斗には分からなかった。

 しかし、ヒロムネはにかっと笑う。その笑顔だけで、隗斗は充分だと目的地へ急いだ。


 ヒロムネからもらった梨を隗斗とみくは皮があろうと構わず齧り付く。しゃり、と口に広がる爽快な味わいが鋭い日差しを少しだけ和らげる。

 しばらく梨を睨んでいた雪彦は、やがて諦めたように小さく口を開けて一口。若干歩みが遅くなったのは気のせいではない。すぐ後方を進んでいたみくが一歩彼を追い越し、みくは不思議そうに振り返った。

 むしゃむしゃ豪快に食べている側としては、雪彦の食べるスピードはあまりに遅い。おまけに、歩きながら食すのは苦手なのだろう。間を置いてもう一口食めば足がぴたっと止まる。そしてまたみくが追い越す。

 己でも自覚済みなのか、はあ、と嘆息し「交代」とみくの頭を軽く小突く。少女は僅かに小首を傾げたが、隗斗の案内役を代わったのだと察し「いいよ!」と元気いっぱいに返事した。

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