2-3 目的のために巡って旅をしているんですが
立ち眩み無し、倦怠感無し、体調は実に良好である。
簡易テントの空いたスペースに荷物を置く。隗斗の旅に必要な道具が詰められたリュックサック中身の確認を行う。名目としては、そう、着替えのためとでも言っておこう。
(…お、親切なだけじゃないのか。いいね、それでこそって感じ)
隗斗は衣服を整えるふりをして、荷物を一つ一つチェックする。
一見すると、誰にも触れられず中身を侵された形跡は無い。隗斗が記憶していた通りの道具の配置、衣類の畳み方、小物の詰まったポーチ。その他諸々。砂漠の民スナトリは旅人の荷物を荒らさない、親切な人達だと印象を受けるはずだろう。
だが、他人が触れて侵している。
黒無地のリュックサックには細工が施されている。蓋を被せるタイプのそれは、特殊な開け方をしなければ外部の者が触れたと物語る仕組みになっているのだ。
例えるならば指紋認証のようなもので、登録した者以外が開けると所有者に一目で分かるようになっている。魔力の性質はそれこそ指紋のように一人一人異なっており、隗斗はリュックサックに自分一人分しか登録していない。
蜘蛛の糸のような認証システムは、登録した者が中を触っても壊れないようになっている。隗斗の張り巡らせた魔力の糸は破られていた。すなわち、誰かに荒らされたことを指す。
誰が開けたのかまでは流石に分からない。が、確実に中身の点検を終えているだろう。簡易テントの状態を見ているみくと雪彦にばれないよう、隗斗は手の平を唇に寄せて笑みを隠す。今の感情に該当するのは、愉快が一番近いだろうか。
赤の他人に私物を漁られた不快感は多少あれど、当然だと隗斗は斬り捨てた。部外者は自分のほうだ、どんなものを所持しているか未知数である上に、どんな危険人物かも不明。検分するのが当たり前である。破壊されていないだけ充分温情だ。
(それに、熱中症の介抱だという名目で武装解除するのもいい)
出来るだけ身軽な格好にさせて危険を遠ざける良い手だ。まあ、熱中症の対応としては妥当ではあるが。
チェックされるほうが、まだこちらとしても安心出来る。そうでなければ余程のお人好しの民だ。金目のものは何も盗られていないところを見ると、やはりお人好しに近いと思ってしまうけれど。
「あ。あの、着替えたいんですが…女性がいるところでは…ちょっと」
今気付きました、と言わんばかりの顔を作って振り返る。ちょっとだけ羞恥心を滲ませれば完璧だ。
青年の雪彦。残るは唯一の女性であるみくも、隗斗に釣られるようにハッとした。まあ、と頬に手を添える姿はどこぞの淑女のようで。
「うん、わかった! いま出て行くからゆっくり着替えてね。ついでにお水をいっぱいに汲んでくるから、待っててくださったら嬉しいわ」
サイドテーブルに配置された空っぽのウォーターピッチャーを優しく手に取り「まだまだ隗斗といっぱいお話したいの」みくは笑顔の花を咲かせる。両方の頬に散らばるあどけないそばかすに、幼い輪郭の彼女が笑うとまるで大輪の花が開くようであった。
旅人が珍しいのか、みくは名残惜しそうにテントを後にする。軽い足取りは風に似たそれで、たいして時間を浪費せずに戻って来るのだと知る。
荷物を整理するには時間を掛けていた理由にはなっただろう。実際、異性の目があるところでストリップショーをするのは出来るだけ回避したい。必要に駆られたらやるけど、と脳内で付け足しておく。世の中には珍しい趣味嗜好を抱く者が居るのだ。ちら、と取り残された雪彦に視線を向ける。
「……俺も、出て行ったほうがいいか?」
窺う目線は隗斗に向けられてはいなかった。視線が噛み合わない青年だ。質問を返すようで悪いですが、と先に付け足しておく。
「同性の着替えに興味あるんですか?」
「ない。出る」
否定する時だけ目が合った。これで興味ある、と答えられたらどうしようかと隗斗は今更ながらに思う。
汗を吸ったシャツが肌に張り付いて気持ち悪い。ぺら、とシャツを摘みつつどの服に着替えようか思考を飛ばしていると、ぼそり呟かれた言葉。
「…見るだけなら、いいと思うんだが」
瞬間、思考があちこちに飛散する。冗談にしてはやけに重たい雪彦の言に、隗斗は素で混乱した。
「は、えっ? なにがです? 僕のお着替えシーンのことですか?」
自分で自分の着替えをお着替えシーンとか言ってしまった。不覚。
何が悲しくて男の生着替えを拝見したいと暴露したのか、猜疑心盛り盛りの眼差しを向けてしまう。雪彦は弾かれたように焦った表情で振り返る。
「なっ…ち、違う! アンタ、遺跡を見学したいと言っていただろう! それのことだ、外観を見るだけなら今から案内出来ると!」
怒りか羞恥か、彼の名前の通り真っ白な頬を赤く染めていた。雨粒を多く含んだ曇天色の前髪から覗く翡翠の瞳さえ、薄っすらと涙が浮かんでいる。どれだけ驚いているんだ、と隗斗は「な、なるほど」と気の抜けた返答しか出来ない。
自身の怒声にすら驚愕の材料となったのか、雪彦は尾を踏まれた猫のごとく固まる。ぎくり、と緊張に支配された彼はいっそ哀れであった。はくはくと口を開閉させ、しばしの間を空けて長い溜め息を吐いている。
「……それで、どうするんだ。俺はどちらでもいい」
「では、お言葉に甘えます。着替えが終わるまで少々お待ちいただいても?」
「ごゆっくり」
これ以上隗斗と言葉のキャッチボールをしていられないとばかりに雪彦は簡易テントから出て行った。
残された隗斗は苦笑を零し、手早く荷物から新しい服を用意する。男の着替えなど、女性に比べると烏の行水並みだろう。隗斗の着替えは一分と掛からずに終えた。
(本命は、荷物の整理だ。盗られたものは無いにせよ、変なことされてないか確認したい)
旅人の荷物をチェックを行使したスナトリの民に、害意は見受けられなかったが、事細かに調べないとこの場を置いて遺跡の見学は到底出来っこ無い。
簡易テントに監視の目は無かった。扉代わりの垂れ幕に隙間は無く、地面に潜む気配も皆無。こちらを覗く翡翠色の双眸は見えない。完全に一人だと確認してから持ち物検査を開始する。
お金。まずはお金が無ければ始まらない。無一文の根無し草はさすがに無謀過ぎる。財布の中身をざっと確認したが、一銭も盗られていないらしい。良かった、と隗斗は次に取り掛かる。
着替え。お洒落には興味が無い──旅人にお洒落は不必要だ──ので、無難かつシンプルなもので揃えている。今日クニミツに預けた洗濯物が無事に返ってきて問題が無さそうなら、図々しいがこれらも洗濯をお願いしようか目下悩み中だ。
折り畳み傘。何気にお気に入りの傘である。番傘タイプで、控えめな梅の模様に一目惚れして買ったもの。変な細工はされていないようで…仕込み刀もばっちり収められている。隗斗は丁寧に傘を閉じる。
ペン付きメモ帳。日々気になることがあれば一言日記をつけている。あとは美術館や展示場に行った際に使用するためのメモ帳だ。おそらく見られていないだろう。妙なことは書いていないはず。今日の日付を書き、予定:遺跡見学と最新のページに綴る。
ハンドタオル。急な雨(傘を差さなくてもいい弱い雨)の時に頭に被って使っているもの。後は普通に朝洗顔をするお供。バスタオルも同様、ボロボロになるまで使い続ける予定だ。
度入りゴーグル。風の強い場所などに重宝するゴーグルだ。夜には暗視ゴーグルの代わりに出来る仕様なので、かなりこれに頼っている面がある。便利な分、それなりに値段がした記憶が新しい。
あとはビニール袋や常備薬、その他諸々。このような細々としたものは夜に回そう。一つ一つ手に取りながらの確認作業は時間を要する。更なる検分は雪彦の不審を買う。小鳥のような足音が耳朶に響く。みくが戻って来たらしい。
散らかった荷物の中身を乱雑に戻し、ロングコートを羽織る。日除けのために欠かせない。砂色のフードを被り、何も持たずに手ぶらで簡易テントを出る。
貴重品の対処はばっちり取ってあるのだ。そう易々と持ち逃げされないように細工の一つや二つ、施している。仮に盗られたとしても追跡可能のシステムも搭載しているため、隗斗は必要以上の警戒心を持たない。
テントのすぐ横に雪彦が佇んでいる。先程と同じくフードを被って日に焼けるのを防いでいた。青年の隣には少女みく。ウォーターピッチャーを抱えたままがりがりと地面に落書きをしていた。暇潰しを考えるほど待たせてしまったのだろうか。
見た目のわりに幼い行動をするのだな、と声にならない感想を抱く。隗斗は微笑ましくなり、自然と口角を上げて二人に声をかけた。
「お二人とも、お待たせしました」
パッと顔を上げ、みくは素早く立ち上がる。
「いーえ! 全然!」
にっこりと花が綻ぶ笑顔を浮かべたみくは、足元の落書きを蹴るようにして混ぜる。くしゃくしゃになったそれは何を描いていたのか掴ませない。
「これ、置いてきてもよろしいかしら?」そう言って両手で抱えたウォーターピッチャーを示した。向こうの景色も透き通す綺麗な水がなみなみと溢れんばかりに入れられている。これも砂漠のオアシスから汲まれた水なのか。
お願いします、と隗斗が言ったが早いか少女は旅人用簡易テントの中に消えた。すぐさま「置いたよ!」とみくは自由になった両手をあげて扉代わりの垂れ幕をかき上げた。幼い動作が似合う少女である。
「これからどうするの? 観光…をするようなところはないのだけど。お体は平気?」
「はい、体調は大丈夫ですよ。神秘的な遺跡があると聞いて、ここに来たんです」
「遺跡…」
遺跡の案内をする、と言った雪彦は先頭を歩いている。旅の目的を告げると、みくは意気揚々とした歩みを止め「どうして?」と小首を傾げた。
あってないような砂の混じる微風に、彼女の膝下の白いワンピースがひらひらと揺れている。さながら魚の尾ひれだろうか。マスカットのごとく瑞々しい若葉色の目はその胸中を読ませない。みくの問いに、隗斗は困ったように眉を下げて答えた。
「クニミツさんの許可は得ています。彼の言葉を借りるなら、マニア、でしょうか」
「マニア…ってことは、趣味? 危ないことはされないんだよね?」
みくはしばらく逡巡し、納得したのかお馴染みとなりつつある笑みを携える。
「それならいっか。遺跡巡りって、隗斗みたいな旅人さんの間では定番なの? なんだか、珍しいね」
彼女は再び足を動かす。先導を務めていた雪彦は、律儀に隗斗とみくを待っていたらしい。同行者と呼ぶにはやや遠いが、他人と言うほど距離は離れていない。
静寂を好む雪彦が、明るく元気なみくをちらちら見ながら居心地が悪そうに衣服を整えている。恥ずかしがりやな彼は、テントから出た時よりもフードを深く、目元まで覆い隠していた。それでも、一番前を歩いているため寄越される視線は露骨である。
唯一露出する口元を見れば、沈黙を貫く意思表示をするように閉じていた。お喋りが得意とは思えず、隗斗はみくとの会話に興じることにする。それにしても、少女の言葉が地味にショックを受けつつある。
(遺跡巡りって、結構メジャーだと思ってた…)
そもそも、遺跡巡りは悲願のための単なる虱潰しでしかない。渋い、通だとはよく言われるが、似たような疑問だろうと片付ける。
遺跡巡りをする前は、やばい代物を収集していた時期もあった。結局それらは無駄骨と知り、市場(裏のルート)で全て売り払ってしまったが。
「ううん、そうでしょうか。目的のために巡って旅をしているんですが…」
「旅! 色んな場所を見ているんだよね、素敵」
少女にとって旅とは無謀や野蛮なものではなく、憧れるものらしい。
「いいなぁ。私、ここから一度も出たことが無いから、ちょっとうらやましいかも」
「スナトリの民は土地を移動したりしないのですか?」
「しないよ。この辺りがいちばん住み易い土地だって先祖様が定住して、今もそのままなの」
聞くところによると、砂漠の民スナトリは一面に広がるオアシスを生活の基盤としているようで。
砂漠とは、名前通りの不毛の土地では無い。砂一面、とイメージしてしまうが岩石も転がっている、植物も生えている、生き物の気配だって大いにある。そうでなければ人々も、動植物も生命を営むことは不可能だ。
地下に水脈が広がっていることが多く、それが地表に姿を現したのがオアシスと化す。先程みくから受け取った水も、そのオアシスから汲み上げられたものらしい。
いくら年の大半が快晴だからと言って、全く雨が降らないわけじゃない。概ね、一年に数回降るスコールがオアシスの水となる。
水があれば、農業だって可能だ。灌漑農業と言ったか。例え近場に売買が盛んな町がなくとも、いくらかの自給自足も叶えられるだろう。
それに、砂漠の友・サボテンがある。これが無ければ砂漠での生活レベルも著しく低下するだろう。酒も造れるし、幹の部分は木材の代わりにすると聞く。ああ、サボテンステーキ食べたい。あれは調理する者によって味はピンキリになるみたいだが…
以前にサボテンステーキを振舞われた過去を持つ隗斗。あれは絶品だった。人知れず思い出してしまった隗斗は脳内に浮かぶ光景を意図的に消した。別に、食べたくなるからでは断じて無い。