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死が彼らを巡り合わせるまで  作者: 直紀けい
第一章 砂上の贄柱 スナトリ
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2-2 お一人で旅をなさっているの?

「隗斗、飲めそうだったら飲んでくださいな」


 テント内のサイドテーブルに置かれたウォーターピッチャーから、グラスに注がれる水をぼんやりと見詰める。何段か重ねられたグラスは味気無いほど簡素なデザインだった。質素と名付ければ聞こえが良いだろうか。

 何の変哲も無い水だ。グラスにいれられた透明感のあるそれに、そういえば何も口にしていなかったと隗斗は今更ながら気付く。自覚すれば、喉が渇いていると猛烈に身体が訴える。

 何故忘れていたんだ、という疑問はすぐに払われた。真夏に開く冷蔵庫のような心地良い冷気に包まれていた自分は、自然と喉の渇きを覚えなかったらしい。

 厚意に甘え、遠慮無く水を頂戴しよう。はい、どうぞと笑顔で手渡されたグラスを「いただきます」と軽く胸の高さまで掲げる。


「このお水はね、砂漠のオアシスからくんできたの。きっとすぐに元気になるわ」


 みくが持ってきたグラスはそれなりに年季が入っているというか、使い古されたものだと見て分かった。さすがに新品(もしくは買ったばかりのもの)は無いのだろう。

 過酷な環境下にある砂漠を越えて近隣の町に買出しに行くのも一苦労だと推測出来る。事実、隗斗が砂漠を越えるために買出しをした町は気が遠くなるほどの距離があった。徒歩で往復するとなれば、どれだけの時間が喰われるか。

 隗斗は水を口に含んで嚥下(えんげ)した。うん、予想通りぬるい。微妙な胸中を言葉にすることなくぬるい水と共に胃に落とす。グラスの中身を空っぽにした隗斗は、感謝の言葉を添えてみくに返す。グラスを受け取った少女はにこやかだった。

 キンキンに冷やされた水よりも、体温に近い常温の水のほうが身体に良い、と耳にしたのは何処だっただろう。確か、腸内環境が云々だとか。善玉菌がどうだとか小難しい話になったような気がするので、隗斗は明後日の方向へ赴く思考を止めた。


「クニミツさん。厚かましいのは承知なのですが、その…しばらく厄介になってもいいでしょうか?」


 全快には少し休息が足りないが、いつまでも床に伏せているのは性に合わない。古くから在る遺跡の見学は後回しにして、今は腰を据える場所が欲しい。荷解き、とまでは言わないが旅装のままで行動を進めるのは出来れば控えたい。

 やっかい、と音も無く復唱したのはみくであった。スナトリの長、クニミツは正しく隗斗の要望を汲み取ったのか「ああ、もちろんだとも」と色よい返事を零す。結べるほど蓄えた真っ白な髭を梳くように撫でながら、老人は好意的な表情を浮かべる。


「むしろ、ワシからお願いしたいくらいだったよ。倒れた君をすぐさま放り出すくらいなら、最初から助けてはいないからね」

「ご親切に、どうもありがとうございます」

 きょとん、と目を丸くする少女。次いで若葉色の瞳がパッと眩く光る。

「それって…スナトリにお泊りするってこと? で、いいのかしら?」

「彼はまだ万全ではないから、スナトリの皆で手助けしてあげるんだ。みくの、お前もじゅうぶんに役目を果たすように。雪彦、聞こえていた通りだがお前も隗斗くんを見てやっておくれ」


 役目を果たす、だなんて随分と重々しい表現をする。少女の晴れやかな表情が無ければ一言二言遠慮するところであったが、スナトリ…いや身内特有の冗談交じりの言だったのか。それにしては雪彦の面持ちが冗句を受けたものではなかった。

 硬く閉ざされた氷のような(おもて)。人馴れしていない野良の獣――イメージは猫や犬といった小動物だ――のごとき警戒心。ぎゅうと一文字に引き締められた唇が、薄氷にも似た拒絶を思わせる。隗斗は表情を変えないまま、内心で小首を傾げた。

 余所者が居付くのは、それほどまで青年の神経を不愉快に撫でるのだろうか。いや、他にもっと自分が気付かないだけで彼を不快にさせた言動があったのか。僅かに逡巡してみるものの、これといって特に思い当たる節が無い。お手上げ。


「雪彦、ご丁寧な介抱ありがとうございました。君には本当に感謝していますよ」


 分からないものは放置せず突いてみる、を方針としている隗斗は雪彦との距離を詰めリアクションを観察することにした。石橋を叩いて渡る、ではなく石橋は叩いた音を聞いてその後の行動を考える、である。渡るかどうかは己で決める。

 うちわで風を送り、冷気で火照った身体を冷ましてくれた彼の手を取り介抱の礼を言っておく。もう余分な心配は無いのだと伝えるために、意識してギュッと強く握った。あとついでと言っては何だが、氷の面がどのように氷解するのかじっくり目にする。


「えっ、あ、ああ……礼には及ばない…あ、当たり前のことをしたまでだ…」


 途端に頬を赤く染める雪彦は、隗斗の行動に明らかに動揺していた。何かを耐えるような強張った表情は崩れ、そわそわと身動ぎし、視線を何度か隗斗に寄越すが無言のまま。

 明確な言葉を舌に乗せず翡翠色の瞳を床に落とす。二の句が継げない様子を見るに、先程の嫌悪に尖った違和感は嘘のようで。だが、記憶に留めておくのが吉だろう。何も無いならそれでいい。よし、と隗斗は雪彦の手をあっさり離す。

 「まだ休んでいた方がいいよ」と気遣ってくれるクニミツに隗斗は丁重にお断りした。「なら、先に隗斗くんの寝床を案内させようか」と間も置かず第二の提案。一度目の休息の案を断っている以上、二度目も無碍にするのは野暮に思えた。


「はいはーい! 旅人さん用のところにご案内したい! ね、いいでしょ?」

「そうだね。じゃあみくの、隗斗くんをよろしく。ああ、雪彦も連れて行くといい」

 元気良く挙手をしたのは太陽の下が似合う少女、みくである。長老直々の許しを得た彼女は、嬉しそうに笑みを浮かべた。指名を受けた雪彦は反対に無表情を貫いている。対照的な二人だ、とこっそり忍び笑いを零してしまう。

「そうそう、隗斗くん。君が元々着ていたものはあちらに置いてあるんだが、ついでに洗濯してあげようか」


 クニミツの言に顔を上げ、彼が指し示す方向には確かに自分が気絶する前まで身につけていた服があった。厚意百パーセントのクニミツの言葉にありがたく乗っかることにする。至れり尽くせりとは、まさにこのことを言うのかもしれない。

 お願いします、と会釈をしてから己の荷物を手に取り、テントを後にした。



* * *



 テントの扉代わりである垂れ幕を捲り、眩い日光を全身で受け止める。めっちゃ眩しい。眼球に直接突き刺さるような光に、隗斗は蒼紅の瞳を細めた。

 この日差しをそのまま受けるのは骨が折れると判断し、小脇に抱えていたコートを羽織る。熱が篭もらないように黒を避けたベージュ色のコートは、砂漠での奇襲避けに打ってつけだった。

 旅人を狙うのはいつも決まって盗賊だ。対策として、砂と同色のベージュは賊に見付かりにくい。実際に砂漠の真ん中で倒れるまで交戦は無かったのだ。

 誰かが富を手にする裏側で、誰かが貧困する世の中。賊に堕ちる輩は後を絶たない。その盗賊の中ですら富貧の順位があるのだから、階級とは恐ろしいものだ。娯楽で宝を求め、海に出る海賊だって居るというのに。

 人生の半分以上を旅路に費やしている隗斗にとって、数さえ少なければ賊は然程脅威では無い。容易に跳ね除けられるのだが如何せん面倒臭い。わざわざ体術や魔法・魔術の行使をするのさえ(はばか)られる。

 なので基本、旅先で一番紛れやすい色を一等に好んでいるのだ。

 大きめのフードを指先で摘み、頭を隠す。背後で衣擦れの音がしたので振り返れば、雪彦も同じようにフードを目深に被っていた。色白の彼は殊更この紫外線に耐えられないのだろう。

 一方、軟弱な男達とは違い、太陽の申し子と言わんばかりの少女みくは日除けの道具のひとつも持っていなかった。

 そういえば、と隗斗は今更ながら気付く。履いていた靴はどこに行ったのだろう。ざくざくと裸足で歩を進めるみくと雪彦に倣って、隗斗は言及せずに追従してみる。砂漠の民スナトリは靴を履く文化が無いのだろうか。

 視線を地面に落としてみれば、怪我を負いそうなものは転がっていない砂の地。そういうものか、と靴のことはひとまず後にしよう。


「隗斗はお一人で旅をなさっているの?」

「ええ。何度かご一緒した人は居ますが、基本は一人ですよ」


 旅は自由であるのが必定である。何の束縛も、(しがらみ)も要らない。

 隗斗にとって旅は目的を果たすために存在している。その悲願とも呼べる目的は、他人と寄り添いながら遂げられるものではない。と、思う。

 人が聞けば鼻で笑われ、正気を疑われる願望。だからこそ一人で考え、足を使って世界中を駆け回る。

 ごく一部――秘境や立ち入り禁止区域――の場所では、他者の力を借りて行動を何度か共にした過去はある。自分一人ではどうしようもない場面など、護衛や果てには傭兵を雇って突破した経験も一度や二度ではない。

 少女みくは想像をし終えたのか、苦味の混じる笑顔になった。


「一人のほうが良い時もあるのかもしれないけど…ううん、私だったらやっぱり寂しくなってしまうな。夜なんてまともに眠れない」

「確かに、今回みたいな場合は誰かと一緒なら良かったとは思います」

「そうよね! あのまま見付からなかったら、隗斗、どうしていたの? 本当に危なかったんだよ?」

 隗斗の同意を得たみくは、まん丸な目を怒りで尖らせる。全く怖くない。むしろ、生まれて間もない生後数ヶ月の子犬が幼い牙を剥いているようにしか見えなかった。

「その時は運命だと受け入れて、砂漠をミステリアスに飾っていましたね。こう、白骨体とかで」


 少女の無垢な憤慨を微笑ましく感じた隗斗は、先程抱いた言葉をそのまま口にする。抗わずに素直に、まあ干乾びて肉が腐り骨だけになるのは早いだろうな、と半ば悟りにも似た考えでいたのだ。酷暑での死体は驚くほど腐乱が早い。

 隗斗の切れ味の鋭い刃のごとき言葉に返ってくる反応は寒々しいものだった。若干本気で言うものだから余計に笑えなかったのだろうか。雪彦は想像力豊かなのか、実際に目の当たりにしたように顔を思い切り顰め、みくに至っては表情を凍らせ固まっている。

 ぶつ切りに止まる会話。やばい、二人を困らせてしまった。「すみません、つまらない冗談でした」しれっと自分で自分をフォローしておく。


「……それ、笑えないぞ…」

「隗斗、あなたはどなたか複数で旅をされたほうがいいと、いま切実に思ったわ」


 少女の真剣そのもの、という気迫はなかなかお目にかかれないな。それが己の身を案ずるものならば尚更に。

 「今後の参考にしますね」隗斗は記憶にも残らない適当な返事をした。


「…おい、通り過ぎる気か」

「あ、っと。隗斗、ここ! 旅人さん用のテント!」


 二人に案内された旅人用テント。もとい、客人用に設置された簡易テントは、十分に広く足を伸ばして眠れそうなほどあった。隗斗が二、三度寝返りを打っても余裕がある。

 突風が突撃すれば呆気無く飛ばされてしまいそうだが夜の砂漠は静かで穏やかだ。その心配はひとまず置いておこう。サイズ、強度共に隗斗が安眠出来そうなレベルであったため、安堵の溜め息を吐く。

 なによりも位置が良い、人知れず唇を引き締める。口角の上がらないそれは笑っているようにも見えた。みくと雪彦に気付かれないように、こっそりと周囲を見渡した。

 長老クニミツが使用、あるいは居住としているテントから大きく離れている。どこの馬の骨とも知れぬ旅人が、民の長であるクニミツと近接するテントに置けるはずが無い。

 集落から少しばかり離れた場所にある簡易テントの周りには、武力に秀でた民でも配置されているのではないか?と隗斗は思考を巡らせる。

 クニミツのテントの傍で聞こえていた子供達の陽気な笑い声が、簡易テントに近付くにつれ遠ざかっていた。そして、歩を進めるごとにすれ違う大人の姿。

 みくと雪彦の案内を受ける隗斗の視界の端で、友好的に声を掛け微笑みを見せる民の年代が徐々に変わっていたことに気付くのは容易かった。

 もし仮に。スナトリが受け入れた旅人に危険な思想を抱く者が居たとしたら。その者は何に狙いを定めるか。女子供、老人と言ったか弱い存在を標的にするとしたら。

 考え得る限りの因子は、可能であれば制圧したいと考える。ならば、余所者の旅人が寝泊りする簡易テントの周囲には誰を置くか。


 (…まあ、危険思想や因子も何も、敵意なんて持っていない僕には関係の無い推測だけど)


 スナトリの民自体に興味は無い。この地に古くから存在する遺跡のために来たのだから。そもそも、誰かを襲い利を得るのが目的なら旅人ではなく今頃盗賊にでもなっている。

 生活やそれに伴う金銭に困っていない自分は警戒するだけ無駄な人物だ。無害、とまでは言い切れないが。

 温情。厚い介抱。倒れ伏した者を捨て置かず、更には寝床まで与えるスナトリの民。優しいだけではない彼らの思惑に、隗斗は胸が躍る感覚を覚えた。良いな、と素直に感情を湧き立たせる。

 ただのお人好し集団ではないところがまた面白い。町から離れ集落で身を寄せ合う彼らの有り様が心地良い。自身の感情を零さないよう、努めて平静の声を落とす。


「ここを使ってもいいんですか? 一人用にしては広いような…」

「ああ。元々、予備のようなものだった……今は誰も使っていない。少しくらい乱雑に扱っても構わない」

 照りつける日光を感じさせないテントの中は、当たり前だが薄暗く灯りが無い。いくつか家具が揃っているので短期間生活する分には困らないだろう。

「ほこりとか溜まってない? 大丈夫? ちょっと確認してみるね」


 雪彦、隗斗に続きみくが簡易テントに入る。

 薄い木製のベッドは使い古されており、布団にはところどころ染みが目に付く。上に乗ってジャンプでもしない限りは壊れる心配も無さそうだ。傍らにはサイドテーブルが置いてあり、空のウォーターピッチャーとグラスが並んでいる。後でお水汲んでくるね!と少女の申し出をありがたく受け取っておく。

 テントの奥には洗面所まであった。ただ、水道式では無いため逐一ある一定量の水が必要らしい。タンクに水を溜めておき、使用する際にそこから排出されるようだ。雪彦の言う通り、予備そのもの。生活感がまるで無い、無人ばかりに流れる空気。隗斗の肌を覆うのは先人の居ない居住だけ。

 幾度か野宿を強いられた経験がある隗斗にとって、かなり待遇が良い。雨露を凌ぐものさえあればどこでも眠れるのだが、やはりひとつの空間があれば安心も出来よう。


「他に何か、えっと、ごいりよう…? 必要だったりするものはある?」

 丁重に持て成そうという意思は分かる、と隗斗は微笑の形を取った。言い直すところがまたいじらしい。

「今のところはありません。ありがたく使わせていただきますね」

「…何かあったら、近くの者に声を掛けろ。おそらく、力になってくれるだろう」


 旅人の助けになろう、と自然に優しい言葉を掛けてくれる二人。

 見返り無しでここまで他人に親身になれるか?とどこか薄ら寒い思いをしつつ、隗斗は首肯してみせた。

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