0-1 ことの始まり
──空想世界・語り部【セン】──
不老不死。
それは、人類が追い求めてやまない理想だ。生の果てとも呼べよう。
誰しもが死を恐れ、老いという名の有限から逃れようとあらゆる手段を用いる。確定された運命を回避しようと血眼になる。勿論、否定はしないとも。死こそ恐怖の最上と言ってもいいだろう。死を恐怖するからこそ痛みが生まれ、そしてまた感情が作られる。
死の先は?苦痛を取り払う方法は?己の肉体を失い、待ち受ける運命は如何に?といったところか。生物の輪から外れないことが、尊厳に繋がると思うのだが…どうやら私の見解も的外れらしい。非常に残念だ。人の道から逸れてしまうのは別の怪物を生み出すに他ならない。
人とは。胸に抱く夢が雲の上に存在すると知れば知るほど、渇望し追求する生き物だと理解している。
成し得ぬ偉業に己が命を賭け、駆け巡る姿勢を愚かだと嘲弄するのも、また人である。少なくとも、私が見てきた人はその限りだとも。
蹴落とし。足を引っ張り。罠を張り巡らせ。虚実を混ぜ合わせ。妄執を真と映し出し。それら…不老不死への欲望がどろどろに溶け合い、結合し、一つの塊となりて生まれ堕ちた存在は、奇しくもヒトガタであったそうだ。人の想いから産まれたそれは、ヒトガタである所以も納得出来よう。
どろり、と。
汚らわしい漆黒の泥土より産まれた命。それがひとたび産声を上げると、途端に世界は彩り始め、彼をおおいに祝福した。細胞から皮膚の一枚、繊細な髪の毛やその身に流れる血の色まで、何ら人と変わりない身体。
しかしその命は人にあらず。それを形成する全ては、どこまでも人間離れしており、肌は豪雪に埋もれた死人のように白く青く、また体温は屍骸のものと同等だった。人の腹から生まれないだけで、こうも差異が出るのはいっそ愉快に思えてならない。
ぱち、ぱち。幼い輪郭ではあるが、確かに知性と理性を宿した瞳が瞬きを繰り返す。長いまつげで縁取られた赤の瞳は、なかなかどうして美しい。その眼で見据えられた者は感動を通り越して畏怖さえ覚えることだろう。
赤子が母乳を与えられるように、泥濘の塊は絶望の蜜を摂取し続ける。幼児が親の愛情でいっぱいになるように、それは他者の憎悪を一身に浴びて育つ。
柔らかい紅葉の手が母を求めて泥土を掻き分ける。小さな命以外、何ひとつ存在しない世界。母どころか他者の温もりさえ知らぬその塊が、唯一繋がりを信じて疑わないもの。そう、それこそ人が抱く理想の代価。欲から生まれいずる塊が息吹く理由。
空っぽの器に満たされるのは、正しく、愛だろう。
それ──ああ、姿形は少年の成りだろうか。彼の寿命はいつまでも終わらない。仮初の肉体が滅びようと、永遠に魂は巡り別の世界へと再度生まれ落とされる。時代。価値観。生死の有無。環境や場所など継ぎ接ぎのボロ布のようにばらばらで、歪な出生。
彼に対する人間の執着は相当のものだと如実に物語っている。それもそうだ、元は不老不死…死への欲望から生まれたのだ。そう易々とは死なないし、死ねないだろうとも。
俗世から隠れ、息を潜めていた少年は、いつしか自身の名を定めた。名は少年を人の形に押し止めるものだ。不死の魂に終止符を打つため、死の方法を探し、世界を彷徨うこととなる。
※ ※ ※
さて、話を変えよう。突然だが言霊という言葉をご存知だろうか。
人の発する言語は時に自身を、そして他人を、時には世界すら左右する。そういう類の名称だ。確固たる力を持つもの。
知っているなら右から左へ聞き流してくれて問題無い。知らないのならば、知識を蓄える目的で聞き入ってくれて構わないとも。
聞き手が居ようが居なかろうが語ろう。気分は実に上々、勝手に口が滑っておかしなことを吐いてしまいそうだが、まあ…大丈夫だと信じようじゃないか。
信じる者は救われる。例えそれが忘我するほどの盲目的な信仰心でもね。自由のために空想を信じる者が有象無象蔓延る世界は、実に息苦しいだろう。真の自由などありはしないさ。
絶望の淵に堕ちた者は皆、自身が味わった絶望と同等の救済を望んでいるのだよ。ああ失敬、幸福を幸と認識出来ぬ傲慢な輩が跋扈するこの世で、自らの救済を渇望する人間は五万と居たな。はは、蒙昧にも限度があると思わないか?
私もその内のひとり…だとしても君には関係無いか。それでは与太話もここまでにしておこう、今は言霊についてだったね。
古来より、言葉に不思議な力が宿ると囁かれてきた。発した言葉をそのままに結果が現れるという。実に興味深い事象だ。運命を改変するほどの力を持っているならば、レールから外れる者など数多だろうに。
森羅万象津々浦々、言霊によって成り立っていると豪語する研究者たちも大勢居るのだ。確かにそうだと確信できよう。言葉の重みは時に鉛に勝る。言葉は何よりも強固な鎖となる。先にも言った通り、言葉は自身も、そして他者をも縛る枷と成り得るのだよ。
分かり易い例を述べるならば毀誉褒貶が一番身近で感じ入る対象だろうか。罵倒は鋭利に尖り対象者の心を抉る。称賛は柔和に対象者の心を包む。故意であれ他意であれ、それは不条理にも確実に。どの世界でもそれは常識以前の前提だ。
そして、私が興味本位に観察している人も然り。
厳密に言えば彼は人ではないのだが、彼をそう呼ぶ以外に合う名称が見つからない。なので、私は己の無智を恥じ入りながら彼を人と称している。
こんなにも無駄話をする私が誰かなど、どうでもいいかもしれない。だが、今名乗らずしていつ名乗ろうというのか。
私は空間管理を務める……そうだな、正式名称を伝えても理解し難いだろう。人間からの視点では神に相違無い。ああ、空間管理神とでも名乗っておくか。名前などあってなきものだから、私の愛着のある名をここに綴る。
私はセン。
線でも栓でも仙でも、君の好きな識別記号を当て嵌めてくれて構わないとも。私は気にも留めないから安心するといい。
因果律を調節し、八十億相当の人に運命を与える。他動植物などは別の担当だな。魔人や亜人も私の担当ではない。魔獣など論外だ。私以外にも人の未来を指し示す同僚と呼ぶべき神も居るが…いずれ紹介しようじゃないか。私の気が向いたらの話だが。
私が何故この職に就いたか。それは私の前世を遡るから割愛するが、私は自分の犯した罪を贖うために、上の連中に与えられた使命を全うしているのだ。正直、私は未だに罪の意識は無いけれど、なかなかどうしてこの仕事は面白く愉快だから勤務に励んでいるに過ぎない。
……このことは誰にも言ってはならないよ。私も誰かと話すのは久しぶりでね、ついついいらないことを喋ってしまった。まあ、君が現実世界でどのように嘯こうが大法螺吹きのピエロというレッテルを張られるだけだがね。ただ私以外の神には内緒にして欲しいな。
これが上の連中──そうだな、私よりも身分が遥かに頂点の者にでも知られれば、今度こそ私の魂は輪廻の道を辿ること無く消滅してしまう。シュッと。炭酸の泡のように簡単に。
そうだ、君の名は?どんな存在にも名はあるだろう?……そうか、■■■というのか。覚えておこう。
こうして、私が執務に飽きて脱走したときは、また相手をしてくれないか?…ありがとう、君の寛大な心に感謝を。
…ああ、すまない時間が来てしまった。私がある程度、仕事場から遠ざかれば自然に消滅されるように細工されていてね。お上も準備が良い。自由の身でないことに遺憾ではあるが致し方無い。私という個体が消えぬよう戻るとするよ。
君の人生に栄光あれ。
しがない空間管理神からの祈りだ。きっとご利益があるだろう…私の勝手な思い込みだけど。これも言霊として働くといいね。言葉には力がある。だから君も、挫折しそうになったら思い出してくれ。言霊の存在を。言葉の力強さを。そして自分を支えてくれる周囲のものを。屈辱に頭を垂れるものには愚者の名を。抗おうと魂を奮い立たせるものには勇者の名を。
──おや、足が消えかかってきた。危ない危ない、思った以上に消滅の進行が早い。
また会えたら嬉しいね。叶うならば、今度は君の話をゆっくりと聞きたいな。
それでは。
君の時間をくれたことに、最大の感謝を。