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「七、波、道」

「七、波、道」


 過去のことは嫌なことばかり覚えている。


 嬉しかったこと、楽しかったこと、ささやかな平和、何気ない日常。そういったことはどんどんと薄れていくのに、悲しかったこと、辛かったこと、小さな失敗、大きな失敗。これらはまるで波のように忘れた頃に脳裏にやってくる。忘れられないことも、時に大きく、時に小さく、絶えずやってくる。


 まだ世間的には子供とみなされる程度の時間しか生きていないけれど、それでも昔はもっと世界が明るかった気がする。目の前にはいくらでも道が広がっていた気がする。

 いくらかの柵はあったけれども、それでも目の前のなにかに向かって、がむしゃらに、わき目も振らずに、進んでいた気がする。


 いつからだろう。こんなにも自分で自分を縛るようになったのは。


 別に親に言われたわけでもない、他人に強制されたわけでもない。それなのに、気付いたら自分を縛る鎖は増えていき、自らの進むべき道が望まない方へ向いていても歩みを止められなくなっていた。別の方を向けなくなっていた。


 なぜこんなことになったのか。

 わかるのは、小さな、あるいは大きな嫌な思い出が、心に傷を刻み付けていったこと。それは時に喜びなどで癒えることもあるけれど、決して塞がることはない。そして今日も気付かない内に心には傷が生まれる。


 それでも歩みは止められない。それが生きる者の宿命だ。

 道を踏み外すこと、進むことをやめることは意外と簡単にできる。進むのが嫌になったらその選択肢を選ぶこともできる。


 それでも、歩みを止めてはならない。そうしなければ、前に進めないから。

 たとえ前が茨の道でも、過去の記憶が歩みを妨げる重石になろうとも。


 これまで前に進んできたからこそ、いつまでも残る嫌な記憶と同じか、それ以上の幸福を経験することができたのだから。


 幸福な経験は簡単には気付けないこともあるし、すぐ忘れてしまうことかもしれない。

 けれど、これまで傷つきながらも前に進んでこれたのは、紛れもなくその幸福があったおかげだ。


 目の前は嵐かもしれない。崖かもしれない。暗くて寒くて進みたくないと思うかもしれない。それでも歩みを止めてはいけない。


 よく見れば雨宿りできる小屋があったり、細い橋が架かっているかもしれない。ろうそくのように小さくて頼りなくても、暖かな光が見つかるかもしれない。


 そんなちっぽけな幸福を、一つでも多く気が付き見つけることができれば、きっと立ち止まって自分の歩んだ道を振り返った時に、自分を支えてくれる。


 子供の時のように七色に光る道はもう見えないかもしれない。だけど、これまで歩んだ道で見つけたちっぽけな明かりは、どんな時でも自分を輝かせてくれる力を持つ。


 もっと年を取った時に、自分の輝きが一つでも多くなったと思えるように、これからも歩んでいこう。

 たとえ幾千幾万の障害があろうとも、前にしか新たな光はないのだから。




*****



「ずいぶんとポエミーなものを書いたね」


 女子用の制服を着ているのにどこか王子様のように見える少女、片瀬凜華が僕の書いた文章を読んでそう言ってくる。

 自覚はあるがそうはっきりと言われると途端に恥ずかしくなってくる。


「今回のお題はもっといろいろな文章が書けるものだったと思うけど、どうして今回はこの文章を書くことになったんだい」


 彼女はまっすぐこちらを見て問いかけてくる。そこには純粋な疑問の表情だけが浮かんでいた。


「別に深く考えて書いたわけじゃない。最近ちょっと人生について考えることがあったから、自然と浮かんできただけだよ」


 僕は努めて平然とした顔をして答えた。僕が考えていたのは人生というよりも、目の前の彼女についてだったのだが、それがばれるのは避けたい。


「受験生だった去年や、進路選択が始まる一年後だったらわかるけれど、どうしてまた高校に上がったばかりの四月にそんなことを考えたんだい。今の時期はむしろ過去や未来のことなんて考えず、現在だけを見て楽しむものなんじゃないのかな」


 彼女は不思議そうな顔をして問いを重ねる。思ったよりも小さな手を顎に当てて首を傾げる仕種は、悔しいが様になっている。

 まあ彼女の問いも当然のものなのかもしれない。クラスのみんなの顔を見る限り僕だってそう思う。


 だけど。


「その華やかになるはずだった高校生活が、誰かさんのおかげで最初からくじかれてしまったからね。どうしてこうなったのか、過去を振り返って自分を見つめ直そうと思ったのさ」


 そう、全ては彼女のせいなのだ。

 自分でもわかっているのか顔に苦笑を浮かべる彼女こそ、僕の頭を悩ませる原因だ。


 この際だから直接聞いてみることにしよう。


「どうして片瀬はこんなことを僕にさせるんだ。

 他人の心が、目線が、価値観が知りたいのか。それとも同級生に嫌がらせをするのが趣味なのか。もしくはただの暇つぶしか。はたまた誰かからの命令でやっているのか。

 …ないとは思うけど、僕個人に興味があるのか」


 僕は彼女の目を見て訊ねる。彼女は目を逸らすことなく僕の疑問に耳を傾けた。

 そうして聞き終えても、彼女はそのきれいな栗色の瞳で僕の顔を黙って見つめ続ける。僕の思惑を考えどう返すのか考えているのだろうか。


 しばらくの間お互い見つめ合った後、彼女は一度深く息を吐いてから喋り始めた。


「君は本当にかわいい顔をしているな。童顔をごまかすために髪を短くして服装も少し気崩して、言葉遣いも極力ぶっきらぼうにしようとしている努力は認めるけれど、私は他人の目なんか気にせず素直にしている方が魅力的だと思うよ」


 だがその内容は僕の質問とは関係ないものだった。というか顔や体格のことは気にしているんだから指摘しないでほしい。それとそういう言葉を直球でぶつけられても反応に困ってしまう。

 たしかに僕は昔から、それほど高くない身長と筋肉の付かない体のせいで私服だとよく女子に間違われたけど、同世代で女子に間違われて喜ぶ男子なんてほとんどいないと思う。


 違う。そうではなくて。

 彼女はなんで急にそんなことを言ってきたんだ。眉をしかめる僕を見てふと笑いをこぼした彼女は言葉を続けた。


「ふっ、すまない怜君。どうやらこの発言は君にとって不快だったようだ。謝ろう。私も外見のことで色々言われることがあるからね。多少は共感できるつもりだ。

 それで、先程の質問の答えだが。私は君に最初に言ったと思うのだけどね。ああ、写真で脅す前にだよ。私はきちんと言ったさ。君に興味がある、とね」


 急に大人びた蠱惑的な、それでいて少女の小悪魔的にも見える笑みを見せ彼女はそう言った。


 僕はその表情に少しどきりとしつつ、そうだっただろうかと記憶を巡らせる。だめだ、覚えていない。その後の脅迫のことしか僕は覚えていないらしい。


「なんで僕なんかに興味を持ったのさ。僕なんて多少外見が普通の男子っぽくないのを除けば、成績も運動も普通のただの同級生じゃないか」


 彼女と出会ったのは脅迫された日、つまり入学式の日だったはず。今は四月の下旬に入ったところ。つまりまだ三週間も経っていない。

 いや、僕に脅迫してきた時には既に僕に興味を持っていたということだから、もっと前から僕のことを知っていたということだ。こんな王子様のような少女を見たら忘れないと思うのだが、僕の記憶には残っていない。


「入学以前から僕のことを知っていた、となると、共通の知り合いでもいたのか、それとも僕が知らない所で一方的に君に知られていたのか。

 だけどその程度でどうして興味を持ったんだ。こういう外見の男子が好きなのかな」


 僕はふざけて冗談を挟みつつ彼女に訊ねた。


「君はひどいやつだな。やっぱり私と初めて会った時のことは覚えていないようだね」


 おや。どうやら入学以前に彼女とは会っていたようだ。だが先程も思い返してみたがどうしても彼女と会った覚えがない。

 彼女は溜息を吐いて呆れたように言う。


「まったく。私はその一度で君に興味を持ったというのに、君は覚えてもいないなんて。少しばかり傷ついてしまうよ。君の書いた文章のように、この悲しさは永遠に忘れられないかもしれない」


 彼女はおどけているようなセリフを口にするが、実際少し悲しんでいるようにも見えた。彼女のきれいな目が少し曇ったように見える。


「ということで傷付いた憐れな私は君への質問への回答を拒否する。私のことが知りたければ自分で調べて思い出してみてくれ」


 そう言って彼女は立ち上がる。僕も荷物をまとめてから立ち上がる。


「私は鍵を職員室に返してから帰るから。それじゃあ怜君、また明日」


 そう言って部室に鍵をかけた彼女は廊下の向こう側に去っていった。僕は彼女とは反対側に歩き出し、先程の彼女の発言に頭を悩ませる。


 彼女とはいつ出会ったんだろう。僕は必死に記憶をほじくり返すがやはり出てこない。どうやら彼女との出会いは彼女にとっては大きな出来事だったようだが、僕にとっては記憶にも残らないささやかな出来事だったようだ。


 こうなったら少し本格的に彼女のことを調べてみるか。本人から許可も貰ったし。

 そう考えた僕は悩むのをやめて、帰宅後の予定に頭を切り替えて帰宅した。


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