第六話 穴の中
砕けた床板の鋭く尖った割れ口も、棘も、剥き出しになった錆びた鉄釘も気に留めず、掌は出口の縁を掴み陥没した地面と腐った基礎の床下から這い出でる。
「……本当にイレギュラーな人だ……」
それが見回す世界に魔法商女の姿は既に無く、血と埃で汚れきったスーツを取り替えるようにまたその皮を剥いで被り直すのだった。
その空間には一度だけ踏み入った事があった。それでも慣れぬ距離感の無さと、未だ鳴り止まぬ鼓動が稲村の言葉を早回しにする。
「相変わらず……。どういう仕掛けで出来上がってるのかしらね。」
「壁から突然現れて……。いえ、そもそもあの異様な雰囲気は……」
二度目の立ち入りだった稲村以外、その白いだけの空間に驚き、戸惑い、認識と意識が朧げになっていた。そんな状態でも適応する事を投げ出してまで朝倉の元へ駆け寄っていた間宮が、稲村の悔しそうな疑問に相槌を入れる。
「ええ、まあアレのことも想定外だったけれど。今更アレについて驚いたりはしない」
そう返された言葉にキョトンとする間宮を他所に、稲村は視線を朝倉へと向けてまた口を開くのだった。
「規格外なんてものじゃ収まらなくなってきてるわね。もう貴女もアレと同じ様に別口で勘定に入れるべきかしら」
ムッとして彼女の前に出ようとした間宮の肩を抑え、朝倉は笑って返す。
「別になんのこともないさ。あんたの考えてた通り、間宮と括って“1”で計算に入れてくれたらいい」
間宮を制した腕を、そのまま肩に回し彼女を抱き寄せて稲村の表情を伺った。
少しの間が開いて、もどかしそうな表情の稲村に観念した様にまた笑いかけて話す。
「……あれもこの部屋と同じ、九条望美の残した遺産だよ」
話の要点を掴みあぐねる稲村と、置いてけぼりの三人を見かね、朝倉は大きなため息と共に説明を繰り返す。
「真実を見る眼。あんたがばーちゃんから受け継いでいた力だったんだよな。それ以外にもばーちゃんに発現した祖代の魔法はいくつもあったってことだよ」
「……ッ⁉︎ それって——」
驚嘆と、自粛。稲村の行えた返答はそれだけだった。急に噤んだ口に、溢れかけた言葉を救うための手のひらを当てて視界から外せぬ朝倉をその中で歪ませる。
「まあ、そうなるな。余分に生えた四肢と、咽喉と心臓。分かりやすくて良いね、飾りっ気がないってのは」
「…………そう」
小さくそれだけ答えると、稲村は無理やり引っぺがした視線の行き場を何もない白い空へと求めるのだった。