第五話 必殺の抵抗
別にそれは身を隠していたわけでは無かった。そしてそれはこの時この場で彼女達に害なそうというのでも無かった。ただそれの存在が酷く異質で、しかし見慣れた姿と同じ顔で。そうだと言うのに無残に変わって見えたのだった。
「〜〜ッ! 京子さん!」
間宮智恵がこの場で初めて九条瑛太を視認した。そうなのだからそれまで彼女達にはそれの姿は映ってなどいなかった。
壁を背にする朝倉の首にそれの手が伸びるその時までは。
「何ッ——」
ズルリズルリとそれは壁から生え出てきて、漸く人の形を全て表す頃には朝倉を壁に押さえつけ、喉を締めて微笑みを向けるのだった。
「ああ、ええ、そうですね。貴女方四人はまだ動かないでください。別に彼女をこのまま絞め殺すつもりなど毛頭ありませんから、そこで大人しくしていて頂けたら無事解放しますよ」
それは視線はおろか、関心すら四人の元へ向けず釘を刺した。もっともそれは文字どおり糠に釘であって、しかしその意味は違った物で、釘など刺さずとも彼女達にあったのは動けぬ程の恐怖と、その恐怖の出所が分からないことへの更なる恐怖だった。
ヒュッ、ヒュッ、と空気が抜けるような音だけが小刻みに続く。見る見るうちに朝倉の顔は赤く染まり、初めこそジタバタともがいていた手足も力無くダラリとぶら下がるようになってしまった。
「朝倉京子さん。貴女は魔法商女としては異質過ぎます。ですので先に言霊を封じさせて頂いた所存です」
息も絶え絶えながら、両の眼に涙を溜めて睨みつける朝倉など意にも介さず勝手気ままに話し始める。
しかし朝倉の敵意を無視したそれの思惑を、更に無視して首にかかった右腕にしがみ付いた小さな手があった。
「京子さんを……離して……ッ」
それはとてもでは無いが抵抗とは呼べない弱々しい物だった。体の小さな間宮など細身とはいえ男の体を持ったそれからしてみれば些細な障害でしか無い。
ただ、それがそんな些細な芽すらもキチンと摘み取る性格をしていたのが間宮智恵にとっての不幸でもあった。
「残念です。貴女はイレギュラーでこそあれど正当な魔法商女の駒だったのですが……」
それは空いていたもう一方の手を間宮に向けて伸ばし始めた。
「————す————え」
もはや身動き一つ取れぬ程震え縮み上がった間宮の喉が掌に収まる既のところでそれの視線は朝倉へと再び移動した。
「朝倉さん、貴女一体何を——」
『【磨り潰す】第五の腕、顕現』
声を発したのは朝倉では無かった。その声は確かに朝倉京子の声だったのだが、声の主は柿谷だった。
突然の出来事に驚くのは当の柿谷だけでなく、真希も稲村も、窮地にいた間宮も、ただ何かに押し潰され床に這いつくばる九条瑛太だけはそれに驚く事が出来なかった。
『叩き壊す第二の両拳——』
「叩き壊す第三の両拳——」
喉輪から解放され自由になった朝倉は三歩それから離れ、息を整える事すらせずに柿谷の声と共に言霊を吐き出す。
「顕現!」
這いつくばるそれの背に、強い衝撃が走った。一撃でそれは膝をつく事すら出来ぬようになり、ボロ雑巾のようになった哀れな背中に間髪入れず数え切れぬ程の衝撃が襲いかかった。