第二話 器
理解はした。納得はしていない。
あの時向けられた冷たい視線を、柿谷はどうしても拭い去る事はできなかった。
朝倉の説明など頭に入って来やしない。少なくとも稲村と行動を共にしたこの数時間、柿谷の腕から鳥肌が消える事は無かった。
この時、柿谷の胸中に大きく膨らんでいたのは不信感だった。しかしそれらは稲村へ向けてのものでは無い。自分と同じく蚊帳の外で、本来ならそんな顔を浮かべていて良いはずの無い真希に向けての物だった。
随分と真剣に聞き入るじゃないか。懐疑は無いのか。
お前は何も知らないから暢気なんだな。
真希を毒突く言葉ばかりが頭に浮かんできて、柿谷はその事が一層腹立たしくて、とても平気では居られなかった。
だからだろうか。後ろで柿谷と真希を見ていた間宮は気付いたのだが、本人は無自覚だったのだろう。柿谷はポケットの中で小さなそろばんを思い切り握りしめ続けていた。
元々子供のおもちゃであるそれは、女性とは言え大人の握力で握りしめ続けられる事は想定していない。だからと言ってその程度で壊れるような造りのものを、この国は子供向け玩具として販売したりはしない。
ではどうしてだろうか。握り拳の中でそれは、あっさりと砕け散ってしまった——
パキッ、と言う小さな亀裂音を朝倉は耳にした。別に朝倉の耳にだけ届いたのでは無く、その音に異常性を感じ、それを気に留めたのが彼女一人だったという話である。異常だと感じたならば、朝倉京子と言う人間は事態の確認を最優先にする。音のなった方向と、以前仕掛けた細工の異変とが彼女の視線を柿谷の方へと向けさせた。
そこには燃え上り始めた黒炎と、飲み込まれていく柿谷の姿があった。
まるでスローモーションのようだった。朝倉はほんの一瞬を眼球に焼き付けられるような体験をする。
「……ッ⁉︎ マミヤァ!」
朝倉は心の内で懇願し続けた。間宮の名を叫んだのは助けを求めているからだ。それは決して目を伏せ黙り込む彼女に怒鳴り散らすためにあげた声では無いのだと。
黒炎は轟々と燃え盛った。他の何物をも焼かず、ただ渦の中で柿谷の身だけを押し潰すように。
「落ち着いて朝倉さん!」
意外な事に、この状況で真っ先に口を開いたのは真希だった。
取り乱す朝倉を制し、真希は稲村と正対して弱々しく、それでもどこか確信めいたものを秘めて言い放つ。
「ダメ、だと思います。いえ、あの、理由は無いんですけど……」
真希の言葉も待たず、黒炎は燃料切れを起こしたのか灯火のようにあっさりと鎮火した。