第一話 時を超えて
それは彼女の知る人間では無かった。かつて覗いた脈打たぬ不明の存在に、見えぬ姿を重ね、酷く落胆する。
この抜け殻に食われてしまったのだろう。祖父も。祖母も。
幸いしたのは抜け殻には強い意志が見られなかったこと。中身の行方は知らない。しかしそれが良からぬ企てを試みているのは思い知っていた。
魔法商女九条明美は既に死んだ。借り物の器は互いに同じ。企て刺し合うのもまた魔女の定として、稲村明美は底に生え直す。
ピシュッ、とまた弱々しい破裂音が部屋を抜けていった。もう残りもわずかになった炭酸飲料を全てグラスに注ぎ、喋り終えて渇いた喉に流し込む。
沈黙と困惑。真実を知る間宮智恵、事態を飲み込んだのは朝倉京子。置いて行かれたのは円真希。受け入れず突き返す柿谷みさを、その眼で制したのは稲村明美。
睨み合いはそう長く続かなかった。朝倉の一言が口火を切る。
「あの時確かにあの場所は存在した。嘘でも幻でも無い」
「そうね、私にとってもあの日々は現実のものだったわ。ただ……」
喉につかえた言葉は、稲村自身の心の傷がそうさせたのだった。
九条瑛太によって作られた現実。記憶の改竄や虚構の世界では無い、塗り替えられた真実。その経験を共有する二人だからこそ、その場で真っ直ぐ前に意志を向けることが出来たのかもしれない。
間宮の心配も、真希の混乱も、柿谷の苛立ちも無視して二人はくすくすと笑い始める。
「貴女と話が出来る日をあの頃はずっと待っていたわ。こんな形になるのは望んでいなかったけれど」
「そうかい、じゃあ話をしようじゃ無いか。これからに望む形を」
かつて向けた敵意はもう無かった。最優の魔法商女と始祖の魔女との間にあったのは、共有する経験から来る奇妙な一体感と、共通する目的に向かう結束力だった。
「まずは貴女の魔法について説明して貰えるかしら。正直、模倣出来ない魔法があった事には驚いているし、何よりアレは異質過ぎるわ」
蚊帳の外にいる真希と柿谷を一瞥し、困った表情を浮かべた朝倉は頭を掻きながら二人に手招きをした。
「お前らも聞いときな。柿谷は特に嫌だろうけどさ」
間宮にも催促されるように背中を撫でられ、渋々といった表情を浮かべる柿谷を見て、朝倉は少し口角を上げて話し始める。
「あの空間魔法は一個前のスマイリーネゴシエーションだよ。だからこれの説明は無し。んで、おたくが聞きたがってるのは元々ばーちゃん……望美さんの魔法が変質したものだ。面倒くせえから端折って説明するぞ」
朝倉の語調は、心なしかいつもより明るいものだった。