第二十七話 無
秋栄に意識はなかった。自身の異変、周囲の異変、異変による不変、それから伯父と名乗る叔父。全てに漸く辿り着いた。しかし、それだけだった。意思も思考も、行動も秋栄の支配下には無く、薄れることすら出来ぬ感情の全てはただ舌を噛み切ってこの場を脱する事だけを願っていた。
最早全てが手遅れだった。目の前の少女の中にまた新芽萌ゆその時を無意識の果てから呆然と眺める事だけが許された最期の抵抗だった。
「お父……さん…………?」
変わり果てた父の姿。明美の眼に映るのは地に転げる枯れ果てたミイラと何物にも遮られぬ不毛の大地。
九条明美の発現した魔法は真実を見る眼。かつて祖母に全知を授け、代償に視力を奪った祖代の力。そしてそれはすぐに堕天する事となった。
父などもうこの世にはいなかった。明美はそれを理解した。
家などとうに潰れていた。明美はそれも理解した。
人など既に滅んでいた。明美はそれだけを否定し続けた。
明美にはもう心など無かった。恐怖ではない、途方もない疎外感がそれを攫って行ったのだ。
そしてふと思い出してしまった。
己の滅びを。
身体は崩れ落ちることも無く、心も戻ることは無く。明美は不毛の地に独り立ち尽くしていた。
そして堕ち行く全知の魔法は彼女に全てを押し付け続けた。引き金を引いたのは自分自身だと。撃鉄はまだ振り切られていないと。
遠い場所だろうか。朝倉京子の匂いがする。嗅いだ事も、すれ違った事もない彼女の匂い。
手の届く場所では無かったのだろうか。祖父と祖母の鼓動が聞こえる。そしてもう一つ、脈打たぬ何者かの鼓動が聞こえる。
明美は世界の行方を知らぬまま、押し付けがましい真理を取り上げられた。
代償はその命。
魔法商女九条明美は絶えた。泥沼に生えてきたのは魔女。
始祖の魔女。その誕生と共に始まりの魔法商女は命を燃やす。
歯車は止まりはしない。役者を乗せたゴンドラは、滑落し続けるだけの石塊になった。
魔女は父親の言葉を酷く憎んだ。それが父の言葉では無かったと理解していても。それはとうに父では無かったと理解していても……
明美は人の街に辿り着いた。息をしている時間の全てを立ち尽くすことに費やした彼女は、たった二歩先の人の営みに手を触れるだけで二年もの歳月を費やした。
もう何も見えやしない。もう何も聞こえやしない。新品の身体にボロ雑巾をしまい込んだ彼女は、思わぬ形で人としての生を受ける。
「もしもし、少しお時間よろしいでしょうか?」
「私、九条経営取引コンサルタントの九条と申します——」