第二十四話 きっと
翌朝、新聞にはもう伽耶製薬の事は何も触れられておらず、責任を問われることもなく平穏な日々を取り戻すように思えた九条社は、昨日より一層浮き足立っていた。
発端はどよめきの端でコピーを取っている濃紺の新しいスーツを着た女性社員だった。外見は黒髪をうなじで纏め、ヒールに慣れないのかよたよたと歩く初々しいただの新入社員にも見えた。
彼女が何か問題を起こしたのではない。ならば何故オフィス内が妙に重い空気に包まれていたのか。それは会社にいた誰もが彼女の事を知らなかったからだった。
そんなざわつきをかき消すようにガラガラと勝手口が開かれた。
「おはようございます。皆さん本日も一日、よろしくお願いします」
それは毎朝欠かさない庭の手入れを終えて職場へ顔を出した社長、栄介の声だった。そして訴えかけるような目線を多々向けられた栄介は、九条社の異変に気付いくのだった。
外履きをスリッパに履き替え、その歩を問題の女性社員の方へと向けてゆっくりと進めていった。手の届くすぐそこまで来ると、不可思議な生き物を観察するようにまじまじと眺めていた。
「……なんだよ」
「…………お前さん……京子……か?」
その瞬間、女性社員は耳まで顔を赤くし、手にしていたボールペンを栄介に叩きつけフラつきながら早歩きで廊下へ出て行った。
呆気に取られた他の社員たちを尻目に、静まり返った部屋の中で栄介は声を出して笑い始めた。
そうか、そうか、と涙を拭いながらひとしきり笑うと彼女の後を追って廊下へ、それからすぐ事務室へと入って行った。
「似合ってるじゃないか。お前さんももう一端の社会人だな」
それは朝倉京子なりのけじめだったのだ。イカサマ賭博で巻き上げた小遣いなんかでは無く、両親に頭を下げて借りたお金で買ったスーツに袖を通し、髪も巻かずに黒く染め直し、一人の大人として信頼を得られる身形に、まだ幼い彼女なりに背伸びをした結果だった。
「京子、これからお前は私を社長とは呼ぶな。私はお前さんの先生になる。お前さんは私の一番弟子になれ」
穏やかな口調でそう投げかけると、栄介は隠れるように書類整理をしていた朝倉に近づき肩を掴んだ。少しもせず朝倉は止まっていた作業を畳み、栄介の手を振り払ってまた早足で仕事に戻って行った。
そんな様子も、少し見えた憂う顔も含め、栄介はどうしても湧き上がる希望につい頰を緩めてまた笑い出してしまった。