第十三話 悲劇的序曲
明美の出生を間近に控えたまだ底冷えする春先の事であった。九条秋栄の勤める瑛太の会社は、突然の不況に見舞われる事となる。原因は数ヶ月前に始まった他国同士の戦争による石油価格の高騰であった。
当時日本にもその不況の波は大きな影響を与えていたが、瑛太の渡った小さな国では日本以上の痛手を負う事になった。
そんな窮地に立った瑛太と秋栄だったが、ある日突然また瑛太は姿を眩ませた。社長でありながら現場の指揮も取っていた瑛太の存在は大きく、秋栄を始め社員全員絶望の淵に立たされたのだったが、その次の日には社の業績は黒字転換した。
数日後にふらりと戻ってきた瑛太によれば「石油の高騰は電気と運送に直接響く。それはとてもでは無いがこの会社が耐えられるだけのダメージでは無い」とした物の、『手品のような手法』と誤魔化された瑛太の暗躍によって会社は大事を免れる事となったのだ。
そんな奇跡の一件から数日後、秋栄は瑛太の家に訪れていた。
「伯父さん、こんにちは」
「秋栄か。なんと言うか、お前はどうしても栄介によく似ている。うん」
「父さんに、ですか」
休日だと言うのにビシッとスーツを着こなし、革靴の足音を手狭な部屋に響かせる。秋栄はそんな伯父の姿に尊敬と畏怖を欠かした事は無かった。
「秋栄、コーヒーで良いか? まだ日本茶は良い物が入らなくてな」
西洋風のティーポットに漆塗りの湯呑と言うチグハグな組み合わせで、ダイニングテーブルに並べられた煎餅を茶請けに瑛太は秋栄を持てなす。
ティーポットと湯呑だけでなく、この部屋、この家には掛け軸や盆栽を覆い隠すように伸びる南国の観葉植物や、最早日本でも珍しく無いランタンから何処から仕入れたのかさえ分からぬような民族的な彫刻まで多種多様、と言えば聞こえも良く、節操が無いと言えばそれまでであったが秋栄には不思議と引き込まれる空間に出来上がっていた。
「あの時の事ですけど。伯父さんの事だから、何も心配なんてしてません、でもやっぱり何をやったのかだけは気になるんです。後学のためにも教えて頂けませんか」
「教えて、と言われてもな。確かに私が計画して、私が指示を出した。それでもあれをやってのけたのは私では無い。そして私にはやってのけた人物の行方が分からない」
ゴポゴポとティーポットから湯呑にお湯を注ぎ足して、インスタントコーヒーの粉を匙一杯分放り込んでそう答えた。
湯気立つコーヒーを一口飲むと、困った表情を浮かべる秋栄の肩を叩いてまた一言告げる。
「栄介のところへ帰る時が来れば、きっとその先で分かるようになるさ」
それはにっこりと笑う瑛太のこぼした、残酷な嘘だった。