第十話 岐路
外はもう仄暗くなっていたのだが、瑛太は書斎の蝋燭を灯さず、座卓に寄っ掛かるような格好で奥に座り込んだ。
「望美さんに怒られてしまったからね。栄介も混ぜて三人で少し楽しい事をしようじゃないか、という話になったんだ」
二人を手招いて座らせると、瑛太は飄々とそんな事を漏らして見せた。そして積み上げられた紐綴じの本を数冊摘み上げて乱雑に膝の上へと持ってくる。
「栄介、お前会社を作ってみろ」
突拍子もなく、それも急かすような口調で兄はそんな事を言い放ってきた。無論ただ言葉の上でだけ急務と感じたのでは無く、その時栄介が袖から抜き出して放ってきたマッチ箱を、さも会社を作ってみろと言う題に応え得る資本や資材の代替であるものと捉えたからだった。
捉えたとてそれを手に掴み取って意のままにこなす事とはそれはそれで別の問題であったから、栄介はマッチ箱を開けて中身をひっくり返すと四本のマッチ棒を立てて受け箱を乗せて見せた。
「兄さん、一体これで何をさせたいんだ」
場の沈黙に耐えかねた栄介は耳まで赤くさせて兄に噛み付いた。
そんな弟の姿を別段咎めるでも嘲笑うでも無く、瑛太はうんうんと頷いて視線を望美へと向ける。
「栄介は子供の細工を作って見せた。さあ君はどうする」
ああ、と声を漏らすと、望美は手のひらを栄介に差し出して「数本貸してください」と申し出た。
栄介も足元に転がっているマッチ棒全部を拾い上げて、その中からひとつ摘んで五本ばかりその手のひらに乗せて返した。それをどうも、と会釈して瑛太の方を向き返ると、望美はまたそのマッチ棒の乗った手のひらを瑛太に向けて差し出した。
「ひとついかがですか? 安くしておきますよ」
それからは無言でやりとりが進んで行った。
瑛太は二本マッチ棒を受け取って、代わりにまた袖から古ぼけた巾着を取り出して、中から出した小さい長方形のメンコを乗せ返す。それを望美は軽く握ってまた栄介の前で開いてみせた。
「さて、これでひとつ商売が纏まったな。なんの事はない、栄介が会社を建てて、望美さんにマッチ棒を売ってきてもらった形になるわけだ」
はあ、と気の抜けた相槌を打つ弟を捲し立てるように続ける。
「栄介、お前には学も無いし甲斐性も無い。けれどお前は九条の名前と俺の助力と、それから優秀な人材をひとり雇用する力がある」
そう言って瑛太は、遂にと言わん顔で懐から一冊の通帳を取り出して栄介の前に突き出した。
「望美さんの力はお前が活かすんだ。お前が泥の奥から引っ張り出せ。希望の泥沼に、お前は自らを投げ込まなければ何も叶えられやしない」
今まで見た事の無い兄の剣幕と、意図の飲み込みきれない遠回しないつもの雄弁が栄介の無意識を、頷かせるように導いていた。