第九話 一手
タンタンタン、と三度叩いた。間を空けずに呼びかけた。
それからまた一度、間を持たせるために叩こうとした。
「……瑛太さん。やっぱりここにおったんですね」
三度よりも強く叩いたそのほんの少し前に内側から弱々しく叩き返して来る音が聞こえた。ほとんど同じタイミングで、後から来た強い音にかき消されそうな音だったが、望美はそれを拾い上げることが出来たのだった。
「望美さんを寄越すとは、栄介も甲斐性のない男だな。もっとも、寄越したと言うより止めなかったと言う形で君が来たんだろう」
がちゃんと鍵を外す音がしたと思うと、錆付いていたのか軋むような音と金属を引っ掻く甲高い音とをあげながら雨戸は三十センチほどその身をずらし、仲から痩せこけた瑛太の顔が覘き出した。
「随分お痩せになられましたね。まだ三日と言うのに、半月も居たような顔つきになってしまいましたよ」
「そうかな。君も、きっと栄介も息災そうでなによりだ」
望美はこの時栄介がこの人物の心配をしていなかった理由を飲み込んだ。
塀と木々で陰になったこの場所でさえはっきりとわかるほど瑛太の瞳は輝いていたのだ。遊ぶ事に没頭して、遅くになって日も暮れて、それでもなお伺わせる遠く昔に見た子供の頃の瞳をそこに浮かべていた。
「私も混ぜて下さいよ。きっと栄介さんも混ざりたがる思いますし、それに……」
言葉に詰まった理由は大きな好奇心に、大人になって芽生えた自制心か、慣れ親しんだ恐怖心か、その言葉に僅かばかり恥ずかしさを覚えたからだった。
「ああ……そうだね。栄介を甲斐性無しと言ったけれど、さしずめ僕は傲慢知己、欲張りになっていたかな」
ガッシャガッシャと雨戸が閉められると、望美は表に回り戸から錠が外される音を待った。
待つというほどの時間もかからず、その音はやってきた。
度々引っかかって漸く開ききった玄関の戸から、瑛太は三日ぶりに一歩を外へ踏み出した。
「おおよそ君の考えた通り。でも少しだけ違う。僕が三日間考え続けていたのは君と君の能力、そして甲斐性無しの弟の事もだ」
喉元から口にかけて生えてきていた無精髭を気にしながら、兄は遠くに捉えた弟の姿に向かって歩き出した。
「兄さんっ! やっと出てきた……全く何をやってたんだよ!」
「はは、苦労をかけたな栄介。しかしお前に甲斐性が無くて良かったな」
謂れもない甲斐性無しの烙印を叩かれた肩に押された気がして、栄介はとりあえず袖を伸ばして兄の後ろに付いて書斎へと、後ろから来る望美の事を何度も振り返りながら入っていった。