第七話 希望の泥
今朝の本の山は片付けられて綺麗になった書斎に瑛太は座り込む。手にしていた本をパラパラとめくると、手を招いて二人に近くに座るよう催促をするのだった。
「鶏と卵はどちらが先に存在したか、と問われて。さて二人はどう答える?」
ちょうど三人で二冊の本を囲み、膝を付き合わせる形で座ったのを確認して兄の口はそう問う。はてと考え込む望美を他所に栄介は「卵」とだけ質問に答えた。
「栄介は卵が先だと思ったわけだ。その様子だと望美さんはこの言葉の真意に気付いたようだね」
「真意に、と言いますか……。鶏の雛は卵から生まれますけんど、その雌鶏が卵を産む訳ですから。どっちが先だなんて分からんですよ」
「そうだね……」
半分程残したページをそのままぱたんと閉じて膝の上に置いた。僅かに差す月明かりに、栄介はその本の表紙が英文字で書かれていた事を見取った。
「では言語ならどうだろう。発する言葉と書く文字の二つはどこから来ているのだろうか」
もう一冊を手に取るでもなく、身振りや手振りをするでもなく瑛太はそう問いかける。
「それは、誰かが考えて。考えた物を皆んなで使っとるんでないですか?」
そんな望美の言葉に瑛太は期待通りと言わん喜びの表情を浮かべた。
栄介も続くように人が作った物と答を合わせた。
「そう、そのはずなんだ。王や王に命令された見識者。能力のある者。そう言った人間が作り出した物であるはず、そう考えていた」
それだけ言うとまたボソボソと呟き始め、立ち上がってぎぃぎぃと鳴る板張りの書斎をうろつき始めた。
「もし、もしも文字が先に存在していたらどうだろうか」
瑛太は二人の後ろまで歩いたところで、ふと立ち止まってそんな事を言い始めた。
栄介にはそんな兄の姿は不可解な物にしか映らず、また奇妙な事にそんな兄を兄らしいと思わずにいられなかった。
「一番初めの人間が、原初の知的生物が、偶々掘り起こした泥の奥から、岩盤に刻まれた文字が出てきたのならばどうだろう。ありえない事だろうか」
半開きになった襖をゆっくりと開けて、そのまま敷居をまたいで書斎を出て行ってしまった。
二人も兄の姿を追いかけて書斎を後にすると、瑛太は縁側で立ち止まり下限の程々欠けた月を眺めていた。
「兄さん……?」
その背中に声をかけ、恐る恐る肩に手をかけると、そこにはもう不可思議な兄の姿は無かった。
「栄介。泥の奥にあるのはすべからく希望なんだ」
肩にかかる手を払い、瑛太は下駄も履かず離れへと戻って行った。




