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第六話 鶏卵

 その日、瑛太は二人の前に姿を現さなかった。決まって三人そろう朝夕の食卓も、雑多な洗濯も、風呂やトイレでさえ顔をあわせることはなかった。

 日もすっかり沈み込んで、街頭などまだ整備されていない月明かりが塗りたくられた縁側から、栄介は一室だけ明かりの灯った離れをふと心に留めた。

「栄介さん、どうかなさいましたか……。離れ、瑛太さんまだ眠らんようですね」

 後をついていた望美も、そんな離れに気をとられる栄介に他愛もない会話を引っ掛ける。朝がた多少のすれ違いが生じた兄弟の仲を無意識に案じてのことだった。

 栄介はその事は特に深く考え込んでなどおらず、ただ無心に。突っ掛かりも何もなく兄の身をふと案じていた。

 後押しするように背に添えられた望美の手のひらに、栄介は離れから意識を切って寝所へと止めていた足を向け始める。丁度曲がり角を曲がって明かりの灯った部屋の庇が完全に隠れてしまった所まで来て、また足を止めた。

「兄さん……?」

 小さな欠伸をして目を瞑っていた望美はその背中にトンとぶつかり、何事かと手の甲で目を擦る。すこしボヤけた視界に映ったのは背中では無く栄介の着物の襟で、栄介は望美を左に避けるとすこし小走りで外履きも履かずに離れへと向かって行った。

 がっと玄関の引き戸を引く音が敷石を通して庭に響いた。立て付けの悪い玄関をガタガタと引き開けるのを栄介は丁度庭の真ん中で見ていた。

「……あぁ、栄介か。兄弟だな、丁度お前としたい話が出来た所だ」

 いくらか戻ったおかげか内から照らされた庇を微かに捉え、真っ暗な玄関から出てきた瑛太の姿を視界の中心に置いて栄介は一歩二歩と後退りをした。

 ガリガリと砂利の積もった敷居に戸を無理やり走らせ、瑛太も栄介の姿を追って気付けば二人とも母屋の縁側まで辿り着いていた。

「明かりがある所が良い。書斎で話をしよう」

 そう言って袖口から二冊の本を取り出すと、瑛太は下駄を脱ぎ捨てて縁側をずかずかと進んで行く。その後をすぐに追いかけて、栄介と望美も開かれた居間の襖を抜け奥の書斎へと入っていった。

「栄介、こんな言葉を知っているか? 『鶏が先か、卵が先か』古い哲学書にも出てくる面白い言葉だ」

 問いかけるでも説明するでもない、ボツボツと聞き取るのがやっとの内緒話のようなトーンで瑛太はそう言った。そんな兄の姿にも、言葉の意味にも理解を示せず、栄介はキョトンとして黙りこくるしかなかった。

「今度調べてみると良い。君の後ろにいる、彼女こそこの鶏にも卵にも換わる存在になるかもしれないからな」

 寝ぼけ半分に話を聞いていた望美だったが、ふと自分を話題に挙げられている事に気付き否応にも目を覚ます事になった。

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