第四話 端
同じ時同じ場に立って、胸中に渦巻くものを二人は違えていた。
恐怖、懐疑、戦慄。根の腐ったユリのように枯れて錆び付いたような感情を心に垂らしこむ。
呼吸は乱れて額と背中からは脂汗が吹き出して、何よりも酷く申し訳ない心持になっていた。
「栄介さん……私にも何がどうなっているのか…………」
腑に落ちる事など毛先程もなく、それは栄介にとっても同じ事だった。
「……すごい……。凄いよ望美さん! 英語が読めただなんて。いや、よしんば読めなくても夜通しこれだけの量を読み続けるなんて僕には出来ない!」
胸を開けた時、きっとそこには目を輝かせた子供がひとり駆け回っているのだろう。
感激と歓喜と、それさえも飲み込む好奇心が栄介の寝ぼけた心を突き飛ばした。
口を開けば凄いと繰り返すだけのネジ巻き式のオルゴールで、きっとそのネジも寝ている間に巻かれていたのだろう。気でも違ったかのように跳びまわってはしゃぎまわって、やっと自分が抱いていた疑問や不信に気が付いた。
「栄介さん! 違うんです、英語なんて読めるわけもなくて……。そもそも目にするのも初めてで。算術の本だってそろばんかじった程度にしか分からんはずなんです……」
「うん……うん、そうだよね。だから望美さんも狼狽えてたし、僕も喜んだ。でも、それってつまり望美さんは英語を読んで、理解して、算術も飲み込んだんだよね」
腕を組んで人差し指で肘を何度も打ちながら、栄介はうんうん唸りながら目を強く瞑って首をかしげる。
「そうだ、兄さん。兄さんに相談してみよう。兄さんは英語も読めて算術だって得意だから、きっと僕よりも答えに近い場所に立ってるはずだ」
ふっと目を開くと側にへたりこむ望美の手を引いて離れへと走り出した。
「兄さん! 兄さーん!」
引きずられるように飛び出した望美が息を整える間も無く栄介は大声をあげて瑛太を呼ぶ。
ガタガタと雨戸を開ける音が聞こえてくると、しばらくして奥からのそのそと瑛太の姿が現れた。
「朝から騒がしいな栄介。家庭を持つ身としてもう少し落ち着いたらどうだ」
「兄さん! 聞きたい事があって、いや聞いてほしい事があるんだ!」
息を荒げて嬉しそうに語る弟の姿と膝に手をついてしゃがみ込むその妻の姿とを見比べながら、瑛太は怪訝な表情を浮かべながら二人を中へ上がらせた。