第一話 兄弟
「兄さん、兄さーん」
木漏れ日の揺れる縁側に、きぃきぃ言う足音と男の声が並び歩く。
「兄さん! ここでしたか」
髪を短く切り揃えた青年は一室の襖を開け放し、奥にうごめく影に向かい声を掛ける。
影は次第に照らされ、後ろ一つに縛られた髪と青年によく似た細く切れ長な目をした男の姿になっていった。
「栄介か。丁度いい、お前も手伝ってくれ」
戦後の復興から十余年。伽耶郡が大きく発展を遂げるまだほんの少し前の事だった。
ぶん、ぶぅんと低周波音を幾度か繰り返したのち、大きな木の箱の中に小さな人と、机と、それから看板を映し出した。
「これがテレビですか。写真が動いとるようですね」
栄介と呼ばれる青年は白黒でノイズ掛かった画面にかじりつくように見つめ、兄と慕う男に何度も話しかける。
兄、瑛太もそうだなと相槌を返しながらそんな弟の様子を一間離れて眺めていた。
「栄介、お前ももう大人になる。妾だってとるんだ。いちいちそんな事ではしゃいでばかりいるんじゃない」
「一番はしゃいどったのは兄さんでしょうよ。わざわざ汽車にまで乗って二日掛けで買うてきたり、帰ってくるなりろくに飯も食わんと弄くり回しておったじゃないですか」
兄弟は揃って笑って見せた。他愛もないやりとりではあったが、新しい玩具で童心に帰った二人には新鮮なものに感じられた。
兄弟は幼い頃別離していた。大きな争いが始まり、当時まだ小学生だった瑛太は学童疎開で東へ。栄介は母と南へ逃れていた。やがて戦火は収まり、逃げ延びた人々が故郷へ帰り始め数年。いまから三年ほど前に兄弟は煤を被った家で再会を果たしたのだった。
伽耶郡はさして大きな都市では無い、などと言葉を濁す事も易くない山と海に挟まれた片田舎である。それでも都心から近いという理由で少しばかり離れていたのだが、結局火の手が回る事も無く、飛んできた煤と灰にまみれるにおわった。
そんな田舎に建つその地にとっては立派な屋敷。それが兄弟の家、九条の屋敷であった。
「そうです兄さん。せっかくテレビがあるのだからこの際新聞なんて読むのはやめたらどうですか」
「いやそうはいかん。買ってきたはいいが結局のところラジオに写真がついたものでしかない。新聞ほど早く多く、正しい情報を得る事はできんだろう」
「そうですか。そいでも食事の時は読むのはよした方がええですよ。兄さんは嫡男なんですから」
瑛太は弟の指摘に渋々新聞を畳むと、掻っ込むように茶漬けを食ってまた新聞を読み始めた。
これは喜劇の序章に過ぎない。そして喜劇は悲劇の、悲劇は惨劇への免れ得ない一本の坂道であった。