第十三話 十露盤
商談は何事も無く始まった。魔法商女の立会いがあるにも関わらず、何事も無く。
「あまり驚かないんですね、張り切って待っていたのに。もしかしてバレていましたか?」
桜田と名乗っていた魔女は、淡々と指揮をとる柿谷を挑発するように茶々を入れる。勿論この場はまだ談笑をする場では無い為REtech側の代表大仁田に注意を受け、制された。
魔女の声には挑発の意思こそ宿っていたものの、敵意や害意といった声色には聞こえなかった。むしろ真希には間宮や朝倉から感じたような頼り部となる先輩魔法商女の寛大さか、偉大さのようなものを感じていた。
その点は柿谷も同じだった。拍子抜けと言ったところか、調子を狂わされたようで机の左の方でずっと手にかけていたそろばんから手を離し左手を腰に当て話を進める。
「以上が本件の議題にあがる現行の運賃単価、専属便の予定本数と朝出運輸社から提出された提示運賃単価になります」
机に並べられていた資料を手に取り、視点をそちらに合わせて柿谷は言葉を締めた。
「貴女は随分分かりやすいですね。ダメですよ、しっかり気を張っていないと」
視線を上げると、先ほどの挑発とは違う悪意の隠された叱咤を受ける。
柿谷はその言葉に引っ張られるように桜田の方へ目をやった。真希も、大仁田も、朝出運輸の代表ももれなく同じように視線を移す。
「気を張って、と。たった今言ったばかりでしょう」
説教をしている時の顰めっ面は、次第に余裕のある冷笑に変わり、バインダーの中に潜めていた右手をスッと引き出した。
「貴女もそろばんを使うのですね。しかし、そろばんならば何でも良いと言う訳では無さそうです。魔力の残滓を感じますね」
引き出された右手には、プラスチック製の小さなそろばんが握られていた。
真希も柿谷も心臓をグッと掴まれた様な心地になった。長袖のスーツの下では鳥肌が立ち、裏腹に首筋から汗もつたい始める。
「まあ、こんな状況を教えてもらった事は無いでしょうから。まだ貴女達の気が回る範疇ではありませんね」
冷笑も段々優しい微笑みに変わり、そろばんは大仁田に一度手渡されて柿谷の元へと返還された。
柿谷はそのそろばんが、もう自分の物では無いような錯覚を覚え最早平常では居られない。魔法を発動すれば、実際にはもっと懇願するような心持ちであって魔法を発動させる事が出来たならば、と始まって柿谷の手は資料の下に埋まっていた電卓へと伸びていた。
「そうですね。そろそろ頃合いでしょうから、始めましょうか」
真希がそれを止める前に、桜田の声が柿谷の心を引き止めた。
その引き止めた柿谷を突き飛ばすように、桜田の口から黒い言葉が溢れ出す。
「発動、【三転する十露盤】」