第三十四話 黒
パンッと甲高い破裂音が響いた。そう思えば次は金属の軋むギシギシと言う音が十秒ほど続く。
音の出処は会議室だと、真希はすぐに悟った。
「真希さん! 今の音って!」
踊り場まで降りていた柿谷も踵を返し、一目散に会議室へと飛び込んで行った。
「朝倉さん!」
名を呼びながらドアを開けると、そこには倒れていた筈の天秤が立っていた。
「これは……最後の天秤……⁉︎」
かつての清廉さの失われた汚れ切って壊れてしまった筈の天秤は、その姿を更に汚濁した色に染め上げて再びその責を全うせんと立ち上がっていたのだった。
腕は片側が脱落し、支柱はくの字に曲がったまま間宮に肩入れする様に傾いてようやく立っている様にも映った。
「朝倉さん、これは……」
天秤の主と対峙する朝倉に駆け寄ると、朝倉もやっとこちらの存在を認知した様で、驚いた表情をした後血相を変えて真希達に叫んだ。
「来るな‼︎ 逃げろ‼︎」
朝倉から感じ取れたのは焦りの感情だけだった。いつのも余裕も無く、今朝九条に見せた様な怒気も含まれない、純粋な恐怖心が真希の目に映り込んだ。
「円さん……柿谷さん……ヒドイのね……」
天秤の主は三人の会話に割って入る様に、ゆっくりと口を開いた。そして朝倉から視線をそちらへと向けた真希は先程感じた得体の知れない恐怖の正体を知った。
「そこには…………もう私の居場所は無いの……?」
眼孔からは真っ黒な闇が覗き、目の下を割き、闇をこぼしているかの様に真っ黒な涙が頬をつたっていた。
そしてその天秤の主が間宮智恵であると認識するには恐怖が通り抜けるだけの少しの時間を要した。
「……間宮……さん…………なんですか……?」
間宮の眼だった場所から溢れる闇に吸い込まれる様に真希は歩を前へと進める。そして闇に触れる二メートル程手前で強い力に引っ張られ、後ろに引きずり倒された。
「この馬鹿! 飲まれるな‼︎」
朝倉によって肩を掴まれ、引き倒され怒声を浴びる事で真希は意識をはっきりとさせた。同時に震えた怒声から朝倉の恐怖の度合いを思い知る。
「京子さん……返して……私の居場所を…………」
一歩、また一歩間宮は三人の方へと歩み寄り、朝倉の頬へと手を伸ばす。
そして頬に手を触れた途端割れた筈の天秤の皿は真っ黒な液体へと変貌し、間宮と朝倉の足元へも一気に流れ込んで来た。
「返して‼︎‼︎」
間宮の悲痛な叫び声を合図に、黒い液体は跳ね上がり二人に覆い被さった。