第二十九話 倒せ
「……怖い顔ね…………」
自らに向けられた怒気に怯むことも無く、ただ無為に絶対珠算を見上げて言った。
「貴女は……貴女がした事がどう言う事か分かって――」
「分かっているわ。ただの取引でしょう?」
冷ややかな間宮の視線が、まるで突き付けられた刃物のように感じる。間宮の発する一言一言が鈍い痛みの様に真希を襲っていた。
「水月部長! こんな……こんな不当な取引を飲む必要なんてありません!」
かつての上司だった男の肩を掴み、あの時なら考えられないような強い口調で投げかける。
しかし、返答は意外なものだった。
「コレが。平等なんだろう?」
水月の目は、心は、真希の事など写してはいなかった。魔法による影響力の強化。その最たるものが洗脳であると、今真希は理解した。
「水月部長は話の分かる御方で助かります。円さんも、不当不当だと仰るのなら、その根拠を出すべきでは?」
「根拠だなんて……こんなもの一目見れば正当で無いことぐらい――」
そう。なんてことも無い、大仰に騒ぎ立てるなど不要。それ程にまで大っぴらに不正が行われていて……
それを一目見て、水月は不当であると気付いていないのだ。
理由はただ一つ、間宮の言葉を信用しているから。真希が最も信頼していた魔法商女を信用した為に、この取引は破綻している。
「真希さん! 絶対珠算が……命令が全然受け付けられません‼︎」
「そんな……⁉︎」
魔法同士の干渉によって自動で計算を始めた絶対珠算は、最早発動主である柿谷の命令でさえも受け付けないただの明滅するだけの魔法になりさがった。
「ほら、何も不正が行われているなんて証拠は無いでしょう? いい加減に認めてしまったらどう?」
この時、真希の頭の中に浮かんだ事は一つだった。
「…………れば、良いんですよね?」
「……? 聞き取れなかったけれど、降参するような雰囲気では無さそうね」
博打にはなるが、間宮の言葉に強制的な信頼感があるとするのならば。間宮自身の、最後の天秤の信用を失わせれば良いのでは無いか?
「間宮さん。貴女を超えれば、最後の天秤を倒せば解決するんですよね?」
「……出来るのかしら? 貴女に」
秘策あり、と言わんばかりの不敵な笑みを浮かべ、真希は間宮と相対する決意を決めた。