第二十二話 恐怖と葛藤
間宮智恵は、優秀な魔法商女だった。しかし、その“優秀な”魔法商女になる道程は優しい物ではなかった。
スマイリーネゴシエーションを、魔法について教えられたその日に修得した事が、最初で最後の順調な成長であった。
固有魔法の発動には半年近くかかったし、その間の取引も満足に進行すら勤められなかった。
だが、そうしてゆっくりと登って来た頂上には、誰をも見下ろす絶対的な力があった。“最後の天秤”と言う、全てを従わせる強大な魔法。
最後の天秤の本質は絶対平等。全ての事柄を等しく折半する力。この力にはもう一つ、大きな特徴があった。
それは、真実の強制。つまりこの力の前には虚偽の発言も、幾重にも織り上げられた偽装工作も無に帰する、本質の平等を遂げる力。
間宮はその力の絶対さに誇りを持ち、自信を築き上げ、何よりも畏怖の念を抱いていた。
ともすれば全てを自分の意のままに操る事のできる、大き過ぎる力を恐れていたのだった。
そしてその恐れを振り払う為に、魔法商女として、中立の立場として奔走し続けて来たのだ。
「魔法商女を辞める……ね。悪いけれど、そんなつもりは無いわ」
突如として現れた一人の魔法商女、それも新しい仲間である稲村に最初は戸惑った物の、間宮の力を恐れた魔法商女によるこの手の妨害じみた行動は初めてのことではなかった。
冷静に、あしらうようにして対応していれば良い。
「貴女にそのつもりがあるかどうか、なんてことは些末な問題よ。私が言いたい事はただ一つ」
間宮の冷静な返しにも怯まず、つかつかと歩み寄る。そして、間宮との距離を5メートル程に詰めると、既に何か書き込まれた付箋を束から剥がし、魔法を発動させた。
「伽耶岬支部に、この世界に貴女程度の魔法商女は必要ないと言うことよ」
付箋は燃え上がり、塵となってその形を大きな何かに変貌させて行く。
「何を言って…………っ⁉︎ まさか……そんな……⁉︎」
重低音は消え去り、また壁掛け時計の淡白な音が一定間隔で響き続ける。
魔法商女としての才能。それは真希が最も聞きたくなかった言葉だった。
魔法の事など、ましてや固有魔法の事など真希には教えられる物ではなかった。それなのに柿谷みさは、不完全ながらも固有魔法を発動させてみせた。
心を満たすのは劣等感と、かつて魔法商女になる前に抱いた濁りのような感情。
それでも、真希にはしなければならない事があった。
「柿谷さん、帰りましょうか。今日の報告をしないと」
魔法商女、と言う物を抜きに、真希は職場の先輩なのだから。後輩である柿谷を導くと言う責任を全うしようとしていた。
「…………すみません、真希さん。体調が優れないので、このまま……」
このまま……帰らせて頂きます。だろうか。体調不良など言い訳になる物でも無く、そもそもそんな物はでまかせだと思った。
疑り深い訳では無く、ただ、真希は柿谷の今の心境が、無遠慮に流れ込んで来るような錯覚に陥っていた。それ程柿谷と言う人物は、感情を表面に出す人間であったからだ。
「そう……しっかり体を休めて、また明日報告しましょう」
感情が分かるから、止められなかった。
だが、感情が分かるからこそ、止めるべきだと真希は理解もしていた。
それでも止められなかった。
柿谷は朝倉に投げつけたそろばんを手に取り、そのままこの場を後にした。
この時、何故か真希にはあの重低音が響いて聞こえたのだった。