Extra みさあふたー
波乱は遠ざかって、穏やかな水面のような日常が過ぎてゆく。紅茶の香りも、紫陽花の花も、夢に浮かべた力ももう無い。
これは魔法商女の。魔法商女だった私の物語——
「ありがとうございましたー」
無機質とも無気力とも言えるそんな店員の声に背を押され、軽くなった鞄を片手にコンビニを後にする。私は今日、魔法商女では無くなった。
最後まで残っていた魔法もあっけなく消え失せ、晴れて無能となりお払い箱。と言う話になるのでは無いか、と危惧したとあったら行動。私は退職願片手に社長の元へ駆け込んだのだった。
少しは慰留の言葉もあるだろうと期待したのだが……
「おう、ご苦労さん。まあどこ行っても頑張れや」
と、驚く秘書を尻目に退職願は受理された。正直に言って気は楽だが納得はいかない。
かつて命懸けの戦いに巻き込んでおいて……いや。共に命を張って戦った仲間をそんなあっさりと手放すもんか! お前の血は何色だ! お前のかーちゃん雪女ー! などと捨て台詞を吐きそうにもなったが、彼女の言わんとすることは理解出来ていた。
長いようで短い間師事していたのだから、その性格の悪さも、性根の真っ直ぐさも知っている。私はきっと背中を押されて飛び出せたのだ。
それはそれとして、私には行くアテが無い。背中押して欲しさ半分、コネ欲しさ半分で直に届を持って行ったのだが……あえなく失敗。さてどうしたものか。
…………私はふとバスに乗って隣町を目指すことにした。
揺られて、揺られて、眠りこけて、急いで降りて。バス停二つ乗り過ごしたその街並を、あの時のように歩いて戻る。
あの荒野はもうどこにもない。あの戦いも、あの恐怖も、あの奇跡も。きっと全てが夢幻だったのだと、子供達の笑い声が言い聞かせてくれる。
十数分歩いて、きっとこの辺にあのお花畑は敷かれたのだろうな、などと考えていたら、残念なことにヒールが折れた。まったくもって締まりのない、だらしのない結末だ。
ああ、そう言えば。靴を新調したのはいつの事だったろう。
少し頑張って歩いて見つけた公園で、ブランコに座ってただぼーっと時間だけが過ぎてゆく。はてさて、暗くなったら帰るのめんどくせーぞ、とは分かっているのに何故かバス停へ向かう気力が湧かない。
パタリと倒れ込んでそのまま眠りについてしまいたいのだが、流石に一張羅で砂地はマズイ。仕方なくスマホでタクシーを呼んでみた。
十五分程して白髪混じりのにこやかなおじさんドライバーがやって来た。正直に言って未だに車への、普通車への恐怖心は拭えていない。ワゴンには乗りたくない。
セダンの低い天井に少しだけ気を落ち着かせながら、私は自分でも思いもよらぬ目的地を口にしていた。
…………はぁ、ほんとうにバカだ。
自分の目の前にずずいっと伸びて行く影を見て落胆する。今何時だと思ってるの! もう帰りなさい! うるせーばーか! そんなガキンチョとお母さんのやり取りを頭の中で繰り返す。しかしこれはホント駄目だ。帰れないって。
引き返せ引き返せと頭で唱え続けるのだが、アホな足が何故かススキを踏みしめて前へ進み始める。バカヤロウ、大根みたいななりしやがって。
とても人の営みの気配を感じない、なんなら電線が見当たらない茂みを進んで、いっそ開き直った私の目の前にだいぶ傷んだ木造の家屋がありましたとさ。ふざけすぎだよ……
立て付けの悪い玄関口を懸命に開けて、私は遂にこの場所へやってきてしまった。
箪笥は、無い。床ももうボロボロだけど、仕掛けは無い。気配も無ければきっと地下も無い。ただ打ち捨てられているだけの三旗の家。
あの時二人が戦っていた場所——
「お姉さんこんな時間に何してたの。こんな所でまた、御墓参り?」
「いやー、まあ。似たようなコトなんスけどね……」
やばいやばいメーターやばい。明日からしばらくはふりかけ無しだ。日が落ち切って結局またタクシーを呼んで帰路に着く。無謀の極みと言ったところだコンチクショウ。
財布も大分涼しくなって氷河期を迎えた私を待っていたのは、萎れた冷たい布団と溜まった洗い物。そして空き缶。ああ、そういえば昔先輩の部屋がこんな感じになっていて、そろそろ女が死に始めたと嘆いていた事を思い出す。そうかこういうことか。
それでも疲れた私に出来ることはただ横になってスマホをいじる事……あ、バッテリー切れてた。
充電器にセットして、ああ、しばらくは点かないんだっけ……
充電開始のバイブレーションは聞いたと思うけれど、待ち受けは見ずに眠りに落ちていった。
ああ、目が覚めてしまった。ワタシはドコ、ココはダレ。
私は今日に居る。今日からも私は柿谷みさだ。何も変わらない、変わるわけがない。
さあ、ふりかけは節約して朝ごはん食べて。私らしく厚かましく行こう。まずは紹介状を貰いに行くところから始めよう。
——これからは魔法商女だった私の物語。