第五十話 代表
垂れ落ちる鼻血に慌ててハンカチで鼻を覆い、俯いて止血を待っていた真希は、その場の不自然な沈黙に気を止める。
そうだ。ここにいる全員が、自分を待っている。痛みとは別の涙を堪え、彼女は堂々と胸を張ってオーディエンスの前に躍り出た。
「すぅ…………」
わざとらしい深呼吸を繰り返したのち、もう血が流れこない事を確認すると、またこれもわざとらしく息を吸い込んだ。
「ケッコンしたいぃいーーーーー‼︎‼︎‼︎」
そして彼女はかつて自分の部屋で枕に向けてやってのけたように、その鬱憤の全てを吐き出し始める。
「もっと給料あげろぉおーーーー‼︎‼︎‼︎」
誰もが呆気にとられ、目を丸くして注目している。そんな事に気付いて耳まで赤くしてなお、彼女は止まらず叫び続けた。
「お腹の肉全部胸にいけぇえーーーー‼︎‼︎‼︎ カニたべたぁあーーーーい‼︎‼︎‼︎」
突き刺さる視線についに居た堪れなくなり、目をギュッと瞑ってでもまだ彼女の咆哮は続く。
「もっともっと給料ッ……は無理でも家賃安くなれ〜〜‼︎ 誰かいい男紹介……もう、この際犬でもいいので……家に誰かいてぇ……せめて5……3センチでいいからお腹周りほそくなってぇ…………」
振り絞った勇気も空元気も全部出し切って、萎み切る直前の風船のように弱々しい、尻すぼみな訴えはやっと彼女を解放した。
「……真希さん……何してるんですか…………?」
そして彼女はその場唯一の後輩に文字通り真正面からトドメを刺された。
「なっ……⁉︎ ち、違っ……違うの! さっきこうしろって言われてッ——」
顔を白くしたり青くしたり、結果指先まで真っ赤にして列の端で抱腹絶倒する朝倉を指差して必死で弁解する。涙目では収まらずボロボロ涙をこぼしながら、興奮しすぎたのかまた血の垂れ始めた鼻をハンカチで押さえ、笑い転げる朝倉に何度も何度も怒号を飛ばしていた。
「げっほげほっ……はぁ笑った笑った。中々見応えのあるショーだったじゃないの」
「朝倉さんッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎」
睨みつける本人を他所に、朝倉は真希を背に九条瑛太の前に立ちはだかる。
そしていつもの不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「そんでも、これが答えだ」
事態を全く飲み込めない他の全員などお構い無しに彼女は上から目線の演説を容赦なく披露し始める。
「魔女ってのはつまりこういう事なのさ。まず何より自分の為に、利己的に世界をどうこうしようって考えなのさ」
「ちょッ⁉︎ あさッ‼︎⁉︎ 私は溜め込んだストレスを吐き出せって言われてッ‼︎‼︎」
大きな手振りで講釈を垂れる彼女の袖を掴み、ある意味朝倉の言った通り自分の為に抵抗してみせた。
そしてそんな彼女の肩を思い切り抱き寄せて朝倉は真希を瑛太に見せびらかすように前に突き出した。
「それでもコイツは此処にいる!」
随分下げられてからであったが褒められる展開に、真希は表情を少し明るくする。
それは彼女があまり褒められ慣れていないと言う、少しばかり寂しい現実も物語っていた。