第四十四話 到
円真希は夢を見ていた。かつて見た竜の夢。
飲み込まれる魔女の姿と、また別の何かの影と。背中に嫌な汗をかいて、その冷たさに叩き起こされた決別の夢を。
頰に冷たさを感じた。濡れた背中を感じた。渇いた涙で引き攣る目元を、古書と埃とカビ臭さを、“彼女”の暖かさを感じた。
真希の目を覚ます、前へ歩けと背中を押す物は、その場所にさえこんなにも沢山存在していた。
「…………気が付いたかい」
何も変わらない、瓦礫の上で本を読む泥人形と、散らかった付箋と。ただ一つ違った事は、きっともう椅子の上に老人の姿はなく、代わりに泥が砂かも分からぬ山が出来上がっているのであろう事。見ても聞いてもいないそんな事が、真希の“何となく”の直感が投げかける。
「……そう……ですよね……」
真希は悟った。もう大勢は決したのだろうと。朝倉も間宮も柿谷もきっと敗れ、もう彼女も。残されたのは何も出来ない自分だけ。
不意に誰かの顔が脳裏をよぎる。ああ、誰だっただろう。きっと私が迷惑をかけた人たちだ。ああ、あれはそうだ、確か初めて取引仲介の場に立った時。
そして真希は。いや、随分と時間をかけて、ようやくだ。真希は手にした切り札の、先程から気付けなかったそれが、ずっと語りかけていた真意をやっとの思いでその手につかんだ。
「…………くっ……ふふっ…………」
突然のことに驚いて口を塞ぐ。それでもダメだ、吹き出してしまう。何が面白いのかも分からないまま、真希は必死で笑おうとする自分と戦い始めた。
「…………そうか。おかしくなってしまったので無いのなら、そうだね。笑うしかないだろう」
ああ、ダメだ。凄惨で悲劇的なこの状況が、目の前の男が、失いそうな大切な物が笑わせにくる。なんて酷い。悲劇は喜劇に見える。泥人形のピエロが見える。空手の自分はもっとピエロだ。ズルい。彼女もきっと脇や背中をくすぐっている。
決壊してもう堪えられない。必死にのたうち回って、顔を真っ赤にしながら塞いだ口から、もう何年も聞いた事がないような自分の笑い声が飛び出した。
「……ふふっ。良い。凄く良い傾向だ」
シャツがヨレても靴が脱げてもストッキングが伝線しても、スカートにだけは少し気を使って、私は文字通り腹を抱えて笑い転げた。
ああそうか。こんな事に、今の今まで気付けなかったのか。なんて馬鹿らしい、いいや私らしい。
私には、円真希には何もない。嗚呼、初めから。
私は魔女だったんだ————