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第四十三話 崩


 気まずい沈黙はそう長く続かなかった。僕が先に謝罪すべきだったのだが、一足先に花渕さんが口を開いたのだ。嫌そうな顔をしたまま、嫌なことを思い出すように。

「……頭でっかちが嫌だったんだ」

「頭でっかち……?」

 少しだけ驚きもある。嫌な過去、と言うんでなければまだ分かる。だが、そうでは無いと表情も態度も語っている。そんな話を僕にしてくれるとは思ってもみなかった。だから僕は、間抜けなおうむ返しをしてしまう。

「そう。親の言いなりで勉強頑張って、塾にも行って。友達と遊ぶのも我慢して頑張って。親の言う通りシラジョに入って。目指してた所に辿り着いたら……今度は良い大学に行く為に、学校内でトップに立つために、って。まだ我慢が続くんだ、って言われた気分で……嫌んなって、逃げ出した」

 逃げ出した。なんて言っている時の彼女は、少しだけ笑って見えた。或いは本当に笑っていたのかもしれない。皮肉にも同じ逃げ出したものとして……いや、逃げのレベルが全然違うんだけど。それでも、その感情には覚えがある。笑い話にでもしなければ向き合うなんてことは出来ない。自虐なんかじゃない、ただの自己防衛の言葉だ。

「……で、やっと気付いたんだ。親の言いなりから抜け出せば本当の自分が見つかるって考えてたその時のわたしは、それが都合のいい妄想だってことに気が付いた。親の言いなりも親の期待も、我慢も、わがままも。全部ひっくるめて、やっと自分が出来るんだって。だから……逃げた先には、やっぱり何も無かった」

 まるで我がことの様に胸が苦しくなる。僕はそれに気付かなかった。というか、言われて初めてそんな考え方があるのかなんて思ったくらいだ。僕はこう……なあなあで逃げて、その先になあなあでずっと居たから……

「…………でも、間違ってたなんてもう思わない。秋人さんの言う通り、自分で悩むことが大切だって。その為のきっかけだったんだ……って、そう思えるようになったから。だから私はもう後悔してません。まだもう少し悩んで、それからちゃんと答えを出そうと思います」

「……花渕さん…………?」

 苦しそうな顔は何処へやら。彼女は、清々しいといった柔らかい笑みを浮かべてそう語った。そして…………

「……? っ! テメェ! 忘れろっ‼︎」

 真っ赤な顔して思い切り鳩尾にグーを叩きつけてきた。抉る様に放たれた右のコークスクリューは、的確に僕の息を止めにかかる。目の前が真っ暗になったり真っ白になったりした。

「し……っ! 死ぬ……っ! げほっ……鳩尾は……死んじゃう……」

「死ね! 何言わせんだし! もし他言したら、二度と表歩けないくらいその顔ボコボコにヘコませるかんね!」

 言ってることがおっかなさ過ぎる。でもまあ……あいつに比べたら可愛いもんだ、このコークスクリューも。喧嘩とかは全然やってこなかったんだろうな。当たりどころが悪かっただけで、威力は……うん。というかフォームもガタガタだったし……うふふ。本当は意外と大人しい娘なのかもしれないな。

「オイおっさん! 何笑ってんだし! あたしの声聞こえて無いなら体に教え込むじゃん!」

「わ、分かった! もう重々分かりましたって!」

 辿々しく拳を振り上げる姿に、前まで感じていた威圧感は無かった。第一印象と苦手意識が勝手に彼女の姿を大きく見せていたのかもしれない。というか……こう、格闘の動きに関しては目が肥えたからかな。慣れて無いのがよく分かって……あれ、もしかして最初からこんな感じだったんだろうか。

「いや、でも話してくれてありがとう。学校のこと、誰にも言わないから」

「……そっちじゃない」

 はて、そっちとは? その話しかして無い筈だが…………はて? 首を傾げる僕にしびれを切らしたのか、花渕さんは睨みつけながら僕の胸ぐらを掴んで顔を寄せ……近い! 何度も言うが……いえ、貴女には初めてですけど。みんな距離が近いんだよ!

「……こっ……言葉遣いのこととか……言いふらしたらマジぶっ殺すから……」

「こ、言葉遣い……? いや……今の暴言まみれの言葉遣いの方がどうかと思うけど……」

 もう一発脇腹に右フックを貰った。貰ったのだが……痛みに慣れて来たってのと…………防具が、ね。その……秋人には自前でプロテクターが……着いてるから……ぐすん。体は痛く無い、心は痛い。痩せよう……あっちの肉体までとは言わないけど……もうちょっと絞ろう。

「とにかく、今日のことは絶対に誰かに言うなよ! 分かったらさっさと働け!」

「はいはい……」

 返事は一回。と、背中に蹴り……は飛んでこず、張り手まがいに叩かれた。多分だけど、あの語尾とか喋り方とかも無理してんだろうな。ギャル系の友達の真似してるとかで。違和感あるもんな……今思えば……

 そして、その日三回目の事件はお昼時に起きた。誰も運転免許持ってない事件、花渕さん案外育ちがいいのバレる事件に続く事件は、板山ベーカリーに対するお客様の声だった。

「ありがとうございました。またお越しください」

 僕らはやっと来たお客さんを見送って、少し暗い顔を付き合わせてため息をついた。原因は、今見送ったお客さんだ。

「ちっ……どうせ買わないくせに難癖付けやがって……」

「ひえっ……どうどう……」

 品揃え減ったね。沢山あるから面白いのに。なんて、店長みたいなことをお客さんに言われたのだ。花渕さんの発案で種類を減らしただけに、彼女にとってみればその意見が面白く無いのも仕方無いことだろう。だが……やはりそういう需要もあるものだ。全員の要望に応えられる手は無いものか。

「……そうだ。無くなっちゃったパンや置いてないパンで、何か置いて欲しいパンはあるかってアンケートを置いてみたらどうかな? それならさっきの人も納得出来るお店に……」

「……それじゃ逆戻りじゃん。まだ二日、結論を出すには早過ぎる。一ヶ月……なんて悠長なコト言ってる余裕は無いにしても、二週間は様子見るし。ころころ変わってたんじゃ、お客さんの定着は望めない。方向性は間違ってない。どうせさっきの奴だって、いくら種類があってもアンパンとコロッケパンばっか買ってるんだし」

 はは……顔と買ってくもの覚えてるんだ。と、尋ねると、あいつはこれで三回目。いつもうろちょろするけど、結局買うものは同じだし。と、返された。前に言ってた、種類があっても買うものは大体同じになるってこのことか。

「……でも、良い気分じゃないじゃん? 足りない部分はなんとか今あるもので補うし。そっちのオススメポップこっちに持ってきて。そんで米粉パンをレジ横に置くし」

「勝手に配置変えちゃって大丈夫かな……あと、米粉パン推しすぎじゃない?」

 美味しいから良いんだし! と、大見得を切られては逆らえない。というか店長不在だし、実質の権限を握っているのは彼女と言っても過言では無いのか。どうして僕はいつもこんなワガママな少女の下でこき使われなければならないのだ。僕は! 歳下の! 歳上お姉さんに! 甘やかされたいの‼︎

 店長が帰って来たのは夕方のことだった。色々あって陳列がガラッと変わった店内を気にも留めず、色々やったんだねぇで済ませてしまうのはどうなんだ。大物なのか、拘りが無いのか。彼女を信頼してのことなんだろうけど……

「それじゃあ二人ともお疲れ様。こっちも上手く行ったし……お店の方も売り上げはそこそこってところかな」

「この店のそこそこは全然ダメってことだし。人件費賄うのでいっぱいいっぱいじゃん」

 だからオブラートに。だめだ……もしかしたら彼女は、本来のあの……他言禁止と言った丁寧な言葉遣いを隠す為に、わざとキツイ言葉遣いをしているのだろうか。なんて勿体無い……無駄な努力だろうに。良いと思うけどなぁ……お淑やかな後輩系女子。髪染めたりしててそう見えづらいけど、髪黒くして服装ちゃんとしたら大和撫子って感じになりそうだけどなぁ。顔立ちも端整だし……うん。黒髪清楚って良いと思うんだよ、ぼかぁ。

「……きもっ。黒髪清楚とか、いい年こいて何言ってんの……? 童貞もそこまで拗らせるともう狂気だし……」

「っ⁉︎ えっ……声に……っ⁈ えっ……」

 どうやら僕は、考えていることがたまに口から漏れるらしい。欠陥品もいいところだ。ごめんなさい、セクハラでは無いんです。訴えないで……何卒! 何卒裁判沙汰だけはご勘弁を! 特大の鉈で叩き切られた心の補修など放ったらかしで、僕は頭を下げてごめんなさいと言った。何度も、何度だって。それはもう死ぬ気で。普通にドン引きされたので、余計に深い傷を負ったのは言うまでも無い。

 花渕さんはその後、一度も口を聞いてくれなかった。本気で凹む。そして店長にも、あんまりデリカシー無いこと言っちゃダメだよ。なんて優しく諭されて僕は帰宅した。一体僕が何をしたって言うんだ! セクハラか! しょうがないわ!

「……黒髪清楚……か」

 着替えて布団に入ってそんな事をもう一度呟いた。そして起きた時すぐそばに居るであろうあの小娘の姿を思い浮かべ……RGB比を………………いや、黒髪似合わんなぁお前。


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