第三十六話 詰み
それはまるで現実逃避のようにも写った。彼女の奇行は余りにも場違いで、二人にとって余りにも受け入れ難いものでもあった。
「よぉーしよし……ってまあお前は何もしてないか……? いいや、飴食え飴、ほら」
「……朝倉京子……」
名前を呼ばれ、足音が聞こえ、それから初めて意識をそちらへ向ける。彼女は意図的に無視していた。たとえそれがたった今、振り向く間も無く背中から貫かぬ保証もない対立する悪敵であるにも関わらず、だ。
「なんだそれは。理解しなくていいと言った。その当て付けに拗ねているのか? もしそうならばお前は大きな勘違いを……」
「だからさ、なんか違わないかい? そーじゃないって」
二人に押し付けた飴の余りを二、三個まとめて口の中へと投げ込み、子供っぽく、遊びにでも誘うように彼女は右手を差し伸べる。
「……理解ならもう終わったよ。チェックメイトだ」
グッと右手を握りしめたその時、人形は顔を歪めて片膝つく格好で崩れ落ちた。右足首から先が握りつぶされたように砕け散り、痛みではなく、物理的な問題で立っていられなくなったのだ。
「……流石だ。想定していなかったわけではないが、まさか警戒し過ぎたと思っていたその枠もギリギリとは……」
それは足を再生させるのではなく、杖を創り出して再び二足で立ち上がる。しかしその表情は苦悶でも憤怒でもなく、挑発的で余裕のある笑みを浮かべていた。
「しなくていいんじゃなくて、されたくないんだろう? もっとも……」
「……ああ、分かっていた。四十以上離れたお前に、私はいつだってあしらわれていたのだ」
次第に二人の表情から悪意や敵意は立ち消え、目を輝かせゲーム開始の笛を待つ純粋な子供の様になっていった。
そしてピリピリと少しづつ張り詰め始める空気に、朝倉は第一手の前の手として間宮の方をチラッと見る。そしてその先で彼女が天秤を保持し続けている事も確認し、また深く息を吸い込み睨み合いに戻った。
「安心するといい。後ろの二人を狙うなんて興の冷めることはしない」
待ちわびる子供の顔から、次第に柄に手をかけ対峙する剣豪の様に研ぎ澄まされた、冷たい表情へと変わっていった。もう互いに口を聞くつもりも無く、殺伐として張り詰め過ぎた空気が重く流れ込んでくる。
「……ッ! 発動! 【Le jugement】」
再び地平は轟音と閃光に包まれた。しかし、それはこれまでと違った結果を迎えることとなる。