第二十三話 再訪
階段を降りきった、のであろう。眼前に広がるのは明かりの届かぬ深海だった。
「不思議ですね。水の中にいる感覚はあるのに、息も出来るし服だって貼り付かない……」
「なんでもあり、とは言っても流石に呆れるわね」
ため息など漏らす余裕もなく、言葉とは裏腹に稲村は懐中電灯の電源を入れて気を張り詰める。転がる岩に足をかける事は出来ず、妙に生々しい泥の上を歩くような感触だけがヒール越しに与えられた彼女達の得た数少ない道標だった。
只でさえ滑る足元に、視覚的な情報を取り上げられ四苦八苦しながら奥へと進む三人に、それはきっと悪い知らせなのだが、欲しかった情報が思いもよらぬ形で舞い込んでくる。
「……本当悪趣味ね」
そこにはもう板貼りの床があって、突然チャンネルが切り替わった様に先程までの景色は消え失せていた。
そしてそこに転がっていたのは数体の九条の肉体だった。
「兄さんは一体何を企んでいるんだ……」
「クローン……なんて物じゃ無いでしょうね。九条瑛太が人間であった以上、複製では無く模して造られた優良品種なんてところかしら」
かつて稲村は似たような魔法を使った事がある。いつか朝倉に食ってかかった時は、望んだままの姿を写す魔法を持つ魔法商女と、自律行動する人形を造る魔女魔法を合わせてスケープゴートに使ってみせた。
しかしそれでは本人はおろか、替玉に使った魔女魔法の能力すら下回る文字どおりハリボテしか作る事は出来ず、人間の枠を悠々と超えた九条の人形には遠く及ば無いものであった。
「この奥だ。魔法の影響が強く出すぎてカモフラージュも出来ないのだろう。この捻じ曲がった扉の奥に、術者本人が居るはずだ」
積み上げられた本の山と、謎の機械と、古ぼけた木の机とその部屋の造りにとても似つかぬ重々しい鋼の扉。ぐしゃぐしゃに丸めた紙をもう一度広げたように波打つ扉と、捻じ切れた取手に不快感を覚えながら稲村はその奥へと進む道を開く。
生温い風が溢れてきて、骨董屋のような埃臭さの混じる漆器や陶器の匂いがそれに乗って三人の頬を撫でた。
本能に逆らいながら前へ前へと進むと、九条栄介にとって懐かしい風景が現れる。
「……思っていたより普通、と言うより妙に生活感があると言うか」
タイムスリップでもしたかのように違和感のない古い家屋の内装と、囲炉裏や書棚、燭台付きの座卓に幼い頃訪れた祖父の家のような感覚を真希は感じていた。そして、それは当然のことだった。
「そんな…………。兄さんはあの時からもうこんな事を考えていたとでも言うのか……」
それはかつて九条の屋敷に存在した、瑛太の暮らす離れを寸分違わず再現したものであった。