第十四話 悪
「——稲村さん?」
言葉に詰まった、と言うには荒れすぎた心情だった。稲村明美は不意に浮かんだ可能性に酷く怯え、とても穏やかではいられないでいた。
「……私の魔法……。私がまだ幼い頃、ただ一瞬だけ発現した魔法商女としての力は真実を視る事。そしてそれは……」
彼女の言葉は尻すぼみに小さくなってゆき、やがて発せられる事も無くなると間宮の手を握り声を荒げて問う。
「ッ貴女が! ……貴女が魔法を発現した時、一体何を望んだの……?」
強く握られた両手に見えぬ筈の視線を向け、投げかけられた問いの答えを探し始める。そしてそれは本当にあっさりと、本人も意識せぬうちから言葉となって溢れ出した。
「……京子さんの様に、強くなりたかった」
ぎゅっと握り続けた両手を少しだけ緩め、稲村はその言葉を受け止める。そしてまた、自分自身の事、自分の魔法の成り立ちを話し始めた。
「私は本当に全てを知りたかったわけじゃない。ただ身の周りにいた人と、顔と名前しか知らない朝倉京子の事を知りたいと願った……」
「京子さんの事を……?」
次第に伏せっていった頭を少しだけ縦に振り、震える声でまた続ける。
「私は自分の周りの“全て”を知りたいと願った。そしてその真実を拒絶した。その結果——」
ポケットから付箋を一枚だけ、離した片手で引っ張り出すと、それはすぐさま黒炎を上げ形を作り変えていった。
現れたのは巨大な十露盤。絶対珠算の姿だった。
「——私の知る範囲の、全ての力を“でっち上げる”魔法が生まれた」
不安の波は生理現象として稲村の身体に浮かび上がっていた。じっとり湿った手のひらや背中。足先からつむじまでゾワゾワと鳥肌が立った様な感覚に見舞われ、稲村はある筈のない視線を感じハッと顔を上げる。
「……やっぱり、貴女の力は……ッ!」
「……理想を……引き摺り堕ろす力……」
目の前に浮かんでいたのは、叩き潰した筈のボールペンだった。
魔女の力。それは希望の反転である。真実を視る力は、虚構を写し取る力へ。そして——
「理想に、貴女が抱いた夢想の中の朝倉京子に成る力は……」
「……一片の濁りさえない正義の味方に成る力は、理想を弄び“全てを意のままに取繕う”最低の悪に成り下がる力へ……」
稲村が感じたのは純粋な恐怖だった。目の前の魔女が持つ力の馬鹿らしさと、その根源にある一人の人間への異常な崇拝に怯えたのだ。
そしてその魔女の中に生まれたのは、巨大な絶望と、それすらを呑み込む奈落の様に暗く深い希望だった。