第十一話 不砕
「……貴女の言う“私の見立て”って何かしら」
稲村の言葉を切っ掛けに盛際商社の総合会議室はしんと静まりかえる。それは魔女と魔法商女の初めての対峙に幕が下りた、そのさらに後の事であった。
ほんの数秒の静寂を終えると、コツコツとヒールを打つ音が近づいて来るのを間宮は観念したように聞いていた。
「貴女はまだ、魔法商女として生きてしまっている。言ったはずよ。私は貴女に、間宮智恵に魔法商女を辞めてもらう、と」
また、沈黙の時は続く。間宮の背に手の届くかという所まで進めた歩みをピタと止め、すぐ側にあったパイプ椅子に静かに腰掛ける。
それからきっと数秒だったのだろう。長い夜の様な静けさの最中、ガチャガチャと音を立てながら稲村は手近にあったパイプ椅子を畳みそれを大きく振りかぶる。
「さようなら。最優の魔法商女さん」
恐怖に萎縮する事も、まして後悔から観念する事も無く、間宮は一瞬の風切り音を聞き届けた。
「……誇りを失い、仲間を失い、そして光を失った今。貴方の目の前にあるものは何?」
パイプ椅子の叩きつけられた音が響き終わった頃、稲村は砕け散ったボールペンから視線を間宮へと移し問いを投げかけた。
「稲村さん……貴女は一体…………?」
「間宮智恵さん。最優と呼ばれた貴女の力を……いえ、最優と呼ばれた貴女の力だからこそ、今のままでお借りする訳にはいかなかったの」
その言葉は先程までの冷徹な稲村明美から発せられたとは思えぬ程悲痛さを醸し出していた。
「……虫の良い話だとは思っているわ。それでもきっと私の手を取ってくれると信じて、“魔法商女としての貴女に”共闘をお願いします」
そう言って稲村は間宮の目の前に右手を差し出した。
そんなもの今の彼女には見える筈も無く、それでもその手を掴んで微笑みかける間宮智恵の姿を心待ちにしている姿がそこにはある。
「……もう一度…………」
ぼそりと、しかしその心は力強くまた間宮の中に生まれ落ちていた。
砕け散りインクで床に黒いシミを作っていた筈のボールペンも再び光を纏い、そしてまた抑えの効かぬ本能が衝動を口から吐き出す。
「もう一度……。あの人の隣に立ちたい……っ!」
予想外の出来事と、予想以上の反応が稲村の身を震わせた。
ボールペンは黒炎に呑まれ、間宮智恵はまた闇の様な黒を纏い双眸を開き差し出されたその手を強く握りしめたのだ。
「……っ! やはり“私の見立て”通り……いえ、それよりもずっと…………っ!」
興奮を抑えきれぬまま、稲村の眼は魔女の姿と艶めかしい巨大な天秤の姿を写していた。